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コーチングや対話サービスってホント非合理的だよねって感じるポイント4選

ライフコーチング&対人支援者向けコンサルを生業にしている山田です。

今日は、競争社会・ビジネス偏差値の最高峰ともいえる外資戦略コンサルティングファームで活躍している友人と、僕が扱うコーチング&対話サービスについて話をする機会がありました。

僕自身も元々すごく合理性・客観性・論理性などといったものに重きを置いて生きてきた自覚がありましたが、それらの能力値で僕を大幅に上回る友人と話をすることを通じて、改めて僕が扱っているサービスって本当に「非合理的」なんだなと実感しました(笑)。

他方で、「超・合理的」でもあるのが対人支援サービスや芸術の世界。

またぜひ「コーチングや対話サービスは非合理的だが、超合理的でもある」というタイトルで記事を書きたいと思いますが、今日はそこまで書ききれる気がしないので、まずは僕がコーチングや対話サービスに対して改めて「非合理的」だと感じたポイントを4つ、皆さんへ伝えていきたいと思います。

こんな自虐的なコラムを書く僕も、商売人としてすごく非合理的な感覚ありますが(笑)、中長期的に見れば自分にとって合理的な存在にきっとなってくれる気配も感じるので、このまま書き進めちゃいたいと思います。

①効果効用がクライアント次第


はい、早速「ほんと非合理的だな~」って改めて自分で感じました(笑)

もちろん、提供者側はプロとしてクライアントが最大限価値を実感できるように様々な働きかけや仕掛けをしていくべしということは大前提です。

他方で、コーチングや対話のような、クライアントと提供者とでともに創り上げていき、かつ扱う対象がクライアントの主観やクライアント自身の人生というサービスの性質上、どれだけ提供者側がクライアントの主観や人生を変えようと力んだところで場合によっては全て逆効果になってしまうのが、対人支援サービスの特徴。

これは、特に企業がマス向けに創った有形商材や、提供者側と受益者側が明確に分かれている無形サービスの取引で行われる「●万円分のサービスを受けるために対価として●万円を払う」という合理的な等価交換の世界に慣れていると、対話やコーチングの世界はだいぶ違和感ある世界だと思います。

改めて言葉にすると、「●万円分の価値をクライアント自身が感じられる時間や自身の変化を、提供者とともに創るために●万円を支払う」という世界。
「価値を受け取るために支払う」ではなく「価値と共に創るために支払う」という世界ともいえるかもしれませんね。

等価交換&公平なギブアンドテイクの世界観で表すと、「非等価交換」です。

②価値を感じるかもしれないし、感じないかもしれない


①に通ずる内容ですが、投資対効果が曖昧(リターンが明確に見えない)って、投資対象としてはすごく非合理的だなと思いました(笑)。

もちろん、サービスを通じて得られる未来を明確にし、それを売るっていうスタイルの対人支援者さんもいらっしゃると思いますが、現時点で僕が面白いと感じているのは「対話を通じて自己探索を支援すること」。

まさに「なりたかった自分」ではなく、「思ってもみなかった面白い自分」になれるような支援を、したいなと思っています。

③価値を実感するタイミングが、契約期間内かもしれないし、契約期間後かもしれない


これがまた厄介なんですが、例えば半年契約でコーチング契約したとして、その半年間は提供者が言うことや、やり取りの価値にピンとこなくてサービス終了時点で「マジでクソサービスかよ!●万円払ったのに損した!」とクライアントが感じていたとしても、1~10年後クライアントの人生が大きく変化するタイミングで深く思い悩んでいる時などに「あ!あのとき提供者が言ってたのは、このことだったのか!!!」と衝撃が走り価値を実感する可能性があるということです。

これを僕は「対話サービスの遅効性」と勝手に名付けたいと思います。

④転売との相性が悪い


これはここまでと少し毛色が違うかもしれませんね。
これは、対話やコーチングのサービス価値が、有形商材や機能が明確である無形サービスと比にならないくらいクライアントの主観に大きく左右されるということを表現したくてピックアップしてみました。

つまり、Aさんが●万円分の価値があるって思って買ったものが、Bさんにとってはお金を受け取ったとしても不要である可能性が、他サービス以上に高いということです。

また改めてコラムを書きたいと思いますが、古典的な経済学で言えば「使用価値」の比重が高く、「交換価値」はほとんど無いと表現できるのだと思います。

■まとめ


今回記事を書いていく中で感じたのが、「合理的って何だろう?」ということです。

言葉の上では「理屈に合っている」「得たい結果に対して、論理的に手段を明確にしている」のようなニュアンスで理解していますが、そもそも「合理的」と相性が良い対象って結構偏りがある気もしています。

「定量・客観・短期・部分的」などは「合理的」と相性が良い気がしますが、「定性・主観・長期・複雑な全体」などは相性が悪い気がしました。

対人支援サービスで扱うのは、まさに「定性・主観・長期・複雑な全体」の世界。
「合理的に人生を生きる」「合理的に楽しむ」「合理的に味わう」など、あえて相性の悪そうな言葉を組み合わせてみて、なんだか哲学のしがいがあるなと感じたので、また後日改めて今回の続編のコラムを書きたいと思いました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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