多様な睡眠スタイルに対応できる社会

僕はいつも寝ている。本当に寝ている。一日のうち、長ければ20時間くらい寝ている。

決して、20時間ぶっ続けで熟睡しているわけではなく、布団にくるまっている時間が合計20時間という感じ。目が覚めては、スマホを眺めて、時計を確認し、SNSをたどっているうちに、眠気がきて、そのまま寝てしまう。

背景にあるのは不安感やけだるさかもしれないから、精神的・身体的な病気の症状だと捉えることもできる。また、自律神経のバランスがくずれていることもあるかもしれない。

ただ、起きなければならない時には、起きることができる。仕事に行かなければならない時には、ちゃんと起きられるし、仕事が終わって帰るまでは、起きていられる。また、とりあえずは健康上大きな弊害は起きていないので、まあいいかと思っている。

確かに、朝早く起きて、夜は日付が変わるまでには寝るのが模範的な生活なのかもしれない。けれど、それは僕にはとても難しい。

朝は、というか昼までは寝ていたい。午前中に起きると、眠気がなかなか抜けない。たまに起きると、エンジンがなかなかかからない。

夜は、何かと楽しいことにあふれているか、心配事が気になり出すかして、起きていてしまう。眠気があっても、それを楽しさや不安が上回る。

例えば、おもしろいマンガに出会ってしまったり、深夜のライブ配信が始まったりしてしまうと、時間を忘れて没頭してしまう。文章を書いていて、乗りに乗って夢中で書いているうちに、朝になっていることもある。

一方、急にお金のことが心配になりだして、求人サイトを眺め出したり、次の日の予定が気になって、下調べをしたりしてしまう。

そんなだから、ついつい夜更かし、というか夜通し起きていてしまうことが、よくある。

ただ、そんな時でも寝ようと思えば寝られてしまうのも、またすごいところだ。多少気分が高ぶっていても、心配事でドキドキしていても、布団に入ると寝られるから不思議だ。

少し前は、布団に入ると咳ぜんそくの症状が出て寝られないことがあった。しかし、しっかり治療を受けている今では、そんな日も少なくなった。

そんな生活を送っているから、長くて20時間は寝られるし、平均12時間は寝ていると思う。一日の半分は寝ていることになる。

なぜそんなに自由に睡眠時間を確保できるかというと、パートタイム労働、それもかなり短時間、しかも午後や夕方に限った労働形態を取っているからだ。

もし、かつてのようにフルタイムで働いていたら、こんな生活はできないけれど、今は安定した賃金と引き換えに、自由な睡眠スタイルを手に入れた。このような生活リズムになって、そろそろ一年が経とうとしている。着実に経済状況は悪化しているが、体調はそれほど悪くない。

できることなら、この睡眠スタイルの状態を維持したまま、しばらく生きていけたらと思っている。寝たいときに寝られるのは、最高の贅沢だ。それをお金で買っていると言ってもいい。そのためには、今の状態を維持したまま、お金を稼げるような仕組みを作らなければならない。

さすがに今は睡眠時間を取り過ぎているような気はしているので、睡眠時間を削って、パートタイム労働を増やすことはできそうだ。しかし、パートタイムの賃金はたかが知れている。いずれ、持続不可能になるだろう。

本当ににっちもさっちもいかなくなったら、フルタイム労働に戻ることも考えているが、なるべくなら、自由な睡眠スタイルを維持したい。睡眠の自由は、かなりQOLの向上に寄与する。

たぶん世の中には、僕よりもよっぽど睡眠スタイルを大事にしたい人はいるはずだ。環境や体調によっては、睡眠スタイルに制限がある場合もあるだろう。

そもそも、一日8時間労働を基準とするのは、間違っているのだ。一日8時間なんて、根拠があるのだろうか。労働基準法を決めるときに、なんで8時間にしたのだろう。さらには、その上限ぎりぎりまで労働時間を想定してしまうのだから、タチが悪い。

僕みたいに、一日12時間前後は寝たい人からしてみれば、残り12時間のうち8時間も労働してしまったら、4時間しか残らない。その4時間を通勤時間や食事、身支度の時間に使ってしまったら、ほとんど残らないではないか。映画の一本も観ることさえできない。

さらに悪いことに、ほとんどの仕事は午前中から仕事をするように組まれている。午前中に仕事をしたくない、できない人はどうすればいいのか。

逆に、頭が冴えてくる夜から深夜にかけて働けないのも、不平等だ。夜型の人にとっては、午後8時から午前4時の方が仕事が捗る人も多いと思う。同じ8時間でも、質が違う。個人的には、それはそれでも辛いから、午後8時から午前1時くらいにしてほしい。

もちろん、そのような時間帯に働いている人も少なくはない。飲食店やコンビニ、医療関係、警備関係の仕事は、夜勤がある仕事として知られている。

だが、僕にはそのどれも向いていない。ライセンス以前に、向いていない。飲食店やコンビニ店員も一生に一度はやってみたいと思いながらも、変なところに気を遣いすぎてしまう自分には難しいだろうな、と思っている。医療・警備関係のように責任ある、しかも専門性を要する仕事は、とてもできる気がしない。

そんな僕みたいな人でも、夜働ける仕事があったらいいと思う。フレックスタイム制の発展版として、一日のうち自由に働ける時間を決められたら、ありがたい。しかも、人によって就業時間ももっと調整できたらいい。高度プロフェッショナル制度など持ち出さなくとも、就業時間にとらわれるような働き方はやめたら良いと思う。とにかく、仕事がうまくいけばいいのだ。

会議や作業等で、誰かと同時にやらなければならないことは、調整すればいい。それ以外の時間は、好きなときに働いて、好きな時に働かないことを可能にする。理論上は、全く働かずにいても給料がもらえてしまうこともあり得るが、そのために、独自の評価制度を導入しているところもある。

それに、人間全く働かないでいるとか、仕事をしないでいる、というのは決して心地よい状態ではない。それをコロナ禍に感じた人も多いと思う。ベーシックインカムの実験も行われているけれど、人間は働きたい生き物という側面があるんじゃないかと思う。

日本の企業慣行や、業界の事情、法整備の関係と、壁は多いかもしれないけれど、グローバル化の後押しもあり、雇用の多様化は進んでいる。その流れに乗っかって、過眠型、夜型の人にとっても、無理なく働ける職業が増えればありがたい。

「在宅でできる仕事をしたら?」とか、「フリーランスとか個人事業主を考えたら?」という意見もあるだろうが、そういうことではない。僕は選択肢の話をしている。在宅という選択肢もあるけれど、夜に会社で働く、という選択肢もあったらいいなと思うのだ。

人間は、いつごろから昼型になったのだろう。それは、生物学的なものなのだろうか。だとしたら、夜型人間は、文明の発達がもたらした進化の一端なのだろうか。

昼型の正当性を強化する流れの一つが、学校教育だと思う。学校教育は、昼型を中心としている。なんなら、学校の始業時刻は一般の会社よりもずいぶん早いから、朝方と言ってもいいかもしれない。

ただ、そこに教育上の利点がどれほどあるのだろうか。ある種の研究では、子どもが学習する時間として適切なのは、午前10時以降だとする研究も聞いたことがある。学校現場に長らくいた実感としても、1~2時間目、もしくはその前の時間の授業の集中力は、決して高いとは言えない。集中力が高くないことを前提に授業を組み立ててさえいる。

さらには、昼すぎの時間も眠気で集中できないから、集中できるのは昼前の3時間目だけだということになる。そして、実は一番活発なのが、夕方以降の部活動の時間だ。そう、学校は部活動の時間に最適化された時間割を組んでいるのかもしれない。

そんなこともあるので、始業時間を遅らせたり、昼休みを長めにとったりする学校も出て来た。これまでの(といっても数十年程度の)当たり前を疑い、柔軟に時間割を組む動きもある。

そんな中でも、昼夜逆転に苦しむ子どもは少なくない。学校は昼型に最適化されており、夜型にとっては不利な仕組みを持っている。僕自身は、昼夜逆転については、健康上のデメリットはあんまりないんじゃないかという説の信者だから、この不利な仕組みは是正すべきだと考えている。

夜型の子ども達が苦しむのは、健康上の理由以上に、社会の仕組みが昼型を中心に作られているからだ。その延長線上に、学校がある。もし、夜型の学校があれば、夜型の子ども達は何の問題もなく学べるんじゃないかという気がしている。

実際には圧倒的少数派であるし、そのような仕組みを整える環境は難しいだろう。でも、そのような環境さえあれば、問題が問題ではなくなるという視点は、あっても良いと思う。

もちろん、夜型の子ども達が夜型になる背景には、昼型の子ども達が活発ではない夜だからこそ落ち着けるということもあるだろう。それが、夜も学習できるようになってしまったら、逃げ場がなくなってしまう恐れもある。

ただ、そんな選択肢もあっていいかな、と思った。少なくとも、夜型でも問題ないという視点はあってもいいと思う。夜型の子どもをあの手この手で昼型にする労力と苦しみよりも、夜型のままでより良い生き方を目指す道はないのだろうか。

そんな選択肢を模索する上でも、夜型に適応した働き方は、もっと多様になってもいいと思う。少なくとも、「夜型だと社会に出てから困るよ!」と言われることは、なくなる気がする。

夜の働き方の選択肢が増えることは、他にもメリットがある。それは今、いわゆる「夜の仕事」をしている人達が、特別なことではなくなるということだ。

その仕事に、昼だ夜だなんてものはない業界なんていくらでもある。今はたまたま昼の世界と夜の世界が棲み分けられてしまっているから、それぞれの生活も偏ってしまう。

昼に仕事をしている人が飲みに行ったり映画を観に行ったりするのは夜だ。一方の、夜に仕事をしている人はなかなか飲みにいけないが、日中のすいている時間に映画を観に行くことができる。

この偏りがなくなれば、飲みにいくのも、映画を観に行くのも機会が分散されて、極端に集客が偏ることもなくなる。

弊害としては、24時間世界が周り続けるということだ。いつも誰かが起きていて、生活の中心を生きている。

しかしそれは、今でもそうだけれども、意識していないだけだ。多くの人が飲みに行き、睡眠の時間に当てている時間に、活発に仕事をしている人もいる。その人達が、ちょっと「普通」を犠牲にしていてくれるから、成り立っている。

ただ、それが望んでやっていることであれば、まるく収まると思うのだ。昼型の人は昼働き、夜型の人は夜働く。それを望んでできる仕事が増えれば、生活スタイルとのミスマッチが少なくなると思う。

まあ、そこに至るまでいろいろな法律を変えなければならないこと、労務管理が面倒なこと、などなど、そうする必要のない理由はいくらでもあげられる。

そこまではいかなくとも、夜型の人達の居場所だけは、あってほしいと思っている。それは、緊急事態宣言の中で多くの夜型の人達が感じたことだと思う。

それまでは、深夜まで開いていたカフェや居酒屋、バーが早い時間に閉まるようになってしまった。そこに居場所を見出していた人達は、居場所を失ってしまった。

居場所とは、物理的な場所だけではない。そこには様々なレベルのコミュニティがあり、多様な交流が生まれる場でもある。知人や友達と顔を合わせる場でもあるし、ゆるやかなつながりの中に自分も含まれていることを感じる場でもある。

例え誰とも話さずカフェで本を読んでいたとしても、その場に居るということは、なんらかの社会につながっている実感を持たせる。ましてや、その場所でしか会わないような知人との関係が、心のよりどころになっていることもあるだろう。

そんな夜の場を大切にしている人は多いはずだ。そして、そのような時間を作っている多くの労働者がいることも確かだ。そんな場を失うことは、労働者にとっても、利用者にとっても、とても辛いことだと思う。だからせめて、夜を生きる、夜型の人達の生きる場を、大事にしていきたいと思っている。

僕の理想としては、昼も夜も関係なく、様々な職種が働けるようになってほしい。夜に働く仕事の選択肢が増えればいいと思う。そして、学校やフリースクールのような子ども達の居場所も、昼夜関係なくあればいい。さらには、労働や学習に、必ず時間をかけなければならないという仕組みを是正したい。

これは、夜型で睡眠重視型の僕のわがままだ。机上の空論だし、勝手に妄想しているにすぎない。けれど、イノベーションは願いから生まれる。空論や妄想から生まれる。

こんなわがままから生まれるシステムや、新しい働き方もあるかもしれない。僕はそこのところの専門家ではないけれど、そんな便利な仕組みができたら、その享受者にはなれると思う。こんな需要もあるよ、という一例にはなるはずだ。

ということで、僕個人としては、好きな時間に睡眠を取ることができて(主に深夜から昼にかけて)、働く時間も短く調整できる仕事で、生活を持続可能な収入を得られるようなお仕事、お待ちしてます。

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