言葉あれこれ #6
「言葉あれこれ」は、言葉や文章について思うことを好き勝手に書いているシリーズ。あまり読まれないのだけれど、しばらく時間が経つと澱のように沈殿してくるものがあるので書いている。
先日、noteで闇夜のカラスさんが企画した「本好きに30の質問」に参加した。
チャレンジしてとても楽しかった。
でも書いたものを読み返してみると、なんとなく不完全燃焼と言うか、もどかしい思いがあった。他の方の記事を読んで、なんであんな大事な本を忘れていたんだろう、と思ったり。
私のように記録もせず、図書館で行きずり合うだけの雑駁な出会い方(なんかやらしい)をしていると、なんだかこう、はっきりと断定できないことが多すぎる。私はこの本が好きだったはずだけれど、なんで?とか、この作家の本を一時的に集中的に読んで影響を受けたけれど、好きかどうかは今でもわからない、とか。
著者や作者が若いころに書いた本と晩年に書いた本、新刊や廃盤した本、古い時代の本と現代の本、というような区別はあるけれど、本そのものはニュートラルだ。
人間みたいに若いとか年寄りだとか、スタイルいいとかぽっちゃりとか、なんかいい匂いがするとか、イケボだとか神経質そうとか、そう言うぱっと見の情報は全くわからない。にも関わらず背表紙や装丁に、時代背景や生い立ちや生き方や性格、といったものがにじんで出ている本もある。見た感じから近寄りがたくて閉ざされた本もある。それでも、本は本棚にそっと並び、読者をえらぶことはない。
きみ、何年生まれ?へえ、読んだってわかるかなあ、なんて見下ろしてくることもないし、えっ、〇〇年生まれなんですか!いやぁ見えないですね、お若くみえます、なんておべっかを使ってくることもない。
芥川龍之介は35歳、太宰治は38歳で死んでしまって、中学生の時に出会ったときはオジサンというイメージだったのに、今ではずいぶん年下になってしまった。谷崎潤一郎は80歳、志賀直哉は88歳で亡くなったから、出会った時からおじいちゃんだけれど、おじいちゃん、と意識して読むことはあまりない。あとから作品を書いた年齢を知って今の自分より若い時にこんな素晴らしい作品を書いていたのかと刮目したり、美文に酔ったりする。
外国の作家となるとそれに距離が加わり、いつの時代のどこの作家か、ということさえ知らぬうちに出会ってしまうことも多々ある。昭和の同時代に生きた作家たちも、私の年齢になるとだいぶ鬼籍に入ってきていて、生前は本屋で平積みになっていても読もうとしなかったのに、死後初めて出会い感銘を受ける作家もいる。
自分が何歳でその本に出会うか、その本を書いた人は何歳だったのか、気になることもあるし、気にならないこともある。プラトンとユヴァル・ノア・ハラリの背表紙を並べて置いたところで、違和感はない。あらゆる本は、等しく洞察や愉しみをくれる。つまらないと思っても、つまらないということが何かを教えてくれる。
古い時代の作家や、亡くなった作家のことは、一生を総じて考えることができる。何年に生まれて何年に何を書き、何年にはどこにいて、何年に死んだ。功績はなんで、性格はこうだったらしい。何歳頃はスランプだったらしいが晩年に傑作を書いたとか、〇年頃まではベストセラーを連発していたけれど、晩年は落ちぶれた、とか、そういうことをいったん平らにならしてみているように思う。時代との相性や普遍性の有無でどんなに商業的に売れても後世に残るとは限らない。
同時代を生きている作家については、最近ちょっとテーマに変化があったとか、今回の作品はよくできているとか、今はスランプなのかなとか、「これは売れるぞ!」とか、その時その時で感じたことによって、その作家が好きだとか苦手だと判断し、応援したり遠ざかったりする。
相対し方が違うような気がする。
読み手としても、最初から、背景を知って読みたい人もいれば、出会い頭にぶつかるように言葉に出会いたい人もいる。
私はどちらかというと後者で、たまたまパラパラめくった本が面白くて読むのをやめられないような時には、楼蘭を発見したヘディンか風呂で数式を思いついたアルキメデスかのような興奮につつまれる。それがたまらない。「発見」したいのだと思う。「出会い」たいのだと思う。
とっくのとうに、もういない人たちが、読み手になるこちら側とは無関係に、言葉によってそこに生きている。私たちは表紙を開くだけで彼らに会える。なんて凄いことだろう。相性のいい出会いもあれば、そうでない場合もある。こっちの都合で絶縁状態になったりもする。それでも彼らの方から選り好みしてくることはない。SNSのように「あなたこれ好きでしょう」と押し付けてくることもない。
私にとって、本は有難き友で尊敬すべき善き師だ。
いっぽうで、都合のいい愛人でもある。
幾千億もの本たちと、これからどんなふうに出会って行けるのだろう。
こう、と決めつけることはないけれど、出会いのときめきは忘れたくない、と思う。
私と、本。
振り返ることができて、とても嬉しかった。
闇夜のカラスさん、素晴らしい企画、ありがとうございます。
吉穂みらい、これから少しの間、お休みをいただきます。
復帰がいつになるかわかりませんが、きっと戻ります。
待っていてくれたら嬉しいけれど、無理は申しますまい。笑
また皆さまとお会いできる日を楽しみにしています。
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