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創作大賞感想【残夢/豆島圭】

前半がネタバレ無し、後半がネタバレありになっています。
ネタバレタグをつけると、避けてしまう方もいらっしゃると思うので、先に断り書きをつけることにしました。よろしくお願いします。

 豆島さんの作品を本格的に読み始めたのは『いかのおすし』からだったと思う。

 1話目からではなくて、途中から読んで追いかけていった記憶がある。春ピリカで一躍有名人になった(と勝手に思っていた)豆島さんの長編と言うことで、心して読まねば、と思った。

 一読して、学校のことに詳しい、とまず、思った。たいていの人は学校モノだったら「1時間目」から始めるものではないだろうか。
 「登校からが学校」。この感覚は学校関係に勤めるひとっぽい、とも思った。その後他の記事の中でなんとなく「本当に学校関係のお仕事だ」ということが明かされたように思うがもし間違えていたら申し訳ない。

 いまここで問題なのはそれが本当かどうかではなく、リアリティの問題である。豆島さんの小説の背景と人物には、圧倒的リアリティがある。

 確か初めてコメントしたのはこの作品だったと思うのだが・・・と探したら、どうやら私は、「はじめまして」も「こんにちは」もなく、いきなり、知り合いみたいにコメントしていたようだ。

こわ・・・こわかったです😱。
事件じゃなくて本当に良かった。事故じゃなくてホッとしました。
子供が帰ってこない、連絡もつかない状況がリアルで、不安で胸が潰れそうになりましたが、それ以上にその状況を取り巻く人の冷淡さも恐ろしかったです。自分の子じゃないならどうでもいい人、野次馬根性で大騒ぎする人、知りもしないことを広める人。
時代の危うさが浮き彫りになっていきますね。今後が楽しみです!

 3時間目からいきなり話しかける失礼な転校生(私)である。
 優しくコメントを返していただいたが、この時点で、豆島さんにドン引きされていた可能性が高い。

 さて昨年は、『いかのおすし』を夢中になって読み、次のパグちゃんが出てくる小説もわくわくしながら読んだ。犬好きなので犬が主役のお話をスルーするわけにはいかない。
 どちらも、2023年の創作大賞ミステリー部門に応募した作品だ。そもそも創作大賞期間中に2作品を応募するパワーと集中力がすごい、と思った。 

 この後「ベストレビュアー賞」を受賞され、「いよいよ殿上人となられたのだな」、と遠ざかる眩しい背中を見つめるような気持ちでいたが、なんと今年の文学フリマの私のブースに来てくださった。飛び上がるほど嬉しかった(実際何センチか飛び上がったと思う)。

 豆島さんのお近くにそっと近づいたのはこの企画の時だ。

 これはnoteの一角でかなり盛り上がった企画だった。
青豆さんはこの企画に投稿した記事を膨らませて創作大賞に作品を応募している。
 影響力が半端ない。

  私は常々ミステリが苦手と公言しているので、豆島さんにとってはあまり「いい読者」ではないのかもしれない。
 「ミステリ好きにはたまらない○○」といった部分や、作者が力を込めた部分、ここのパロディではぜひニヤリとして欲しい、といったところの機微を、おそらくわかっていない。

 そんな、ミステリ門外漢の私をも惹きつける魅力が、豆島さんの文章にはある。

 今年の創作大賞も2作品を応募されているが、もうひとつの作品はまだ未完ということで、今回は最初の作品、『残夢』をレビューさせていただこうと思う。

『夜行バスに乗って』で青豆さんが創作大賞応募作を書いた、と言ったが、豆島さんご自身も、小牧幸助さん主宰の「シロクマ文芸部」さんの「20文字小説」という企画に出した作品を膨らませてこの作品を書いた、とおっしゃっている。

 昨年の『いかのおすし』では「学校関係者では」と思ったが、今回の応募作『残夢』では「警察内部の人かも」と思った。
 冒頭でも述べたが、豆島さんは、どんな話を書いても、その背景にはリアリティがあるのだ。

 以前、バカリズムさんのドラマ『ブラッシュアップライフ』で、主人公は人生何周もして多種多様な仕事を経験していたが、あんな感じである。
「経験者かも」「実際にそう言うお仕事をしているのかも」と感じさせるリアリティというのは、なかなか醸し出すことができないと思うのだが、豆島さんの文章はまるで「ええ、私、ついさっきまでそこに勤務していて今帰宅したところなんです」みたいな風情なのだ。おかげで、するりと小説の中の世界に入って行ける。

 さて『残夢』は、トップ画だけ見るとちょっとホラー系で怖いのかな、と思うのだが、ホラーというよりはどちらかといえば猟奇的である。といって、奇妙奇天烈、残酷でグロテスクという「猟奇」ではない。
 とにかくその展開の仕方が凝っていて、淡々と読み飛ばしていると後になってから「ええっ!なんて?あれがこうで、これが、ああ?」みたいなことになってくる。
 ゆめゆめ、読み飛ばし厳禁である。

 お話のあらすじは、こうだ。

 日本各地で「ベージュのトレンチコートの女が突然男に襲い掛かり切りつける」という事件が多発していた。群馬県の警察官、堂森建佑(ケン)が逮捕した近堂ひろ子は、事件を起こした動機として「堂森刑事に会いたかったから(逢いたくて、あなたに)」というような供述をする。心当たりはないが、奇妙な胸騒ぎを感じる堂森刑事。彼は倫理観や正義感が強すぎるきらいがあり、他者に共感したり、相手の立場を想像したりすることが苦手で、現代的な考えかたにも馴染めないところがある。同僚や元妻に指摘されても頑なな彼は、近堂の事件をきっかけに、だんだん不安定になっていく。その理由は彼の追っている未解決事件や彼自身の過去と繋がっていて、さらに彼の過去は現在起きている様々な事件にも奇妙につながりあっていくのだった―――

 と、こちらは私の要約だが、豆島さんは、第一話のあらすじにこのように書いている。

今、日本で何が起きているのか。リアルな日常と闇を描く警察ミステリー。

 ちょっと怖そうかも、少し長いかも、と尻込みしているそこのあなた。
 豆島さんの文章が、あなたを虜にして最後まで引っ張っていってくれるから大丈夫。ホラー的には怖くない。怖がりの私が言うのだから怖くない。でも心理的にはじわじわくる。最後まで謎がちりばめられていて、目が離せない。

 さあ、豆島ワールドを体感にGO!

 ところで余談だが、7/10に出たばかりのAdoさんの『残夢』というアルバムが、恐ろしいほどこの物語にハマるのでお勧めだ。特に1曲目の「抜け空」はぜひ豆島さんの『残夢』が実写化した時の主題歌になって欲しいくらいだ。いやまて、どの曲も合う気がする……


……ということで、恒例となってきたが、この先は盛大にネタバレをさせていただく。たとえミステリと言えども、私にとって感想文は、ネタバレなしはあり得ない。

とはいえ、ミステリ。
未読の方は、必ずここから引き返してください。

この先は絶対に読まないでください。




『残夢』

 物語は、堂森刑事が女を現行犯逮捕するところから始まる。それが何とも言えず、妖艶なシーンである。まるで半径100mさんエロティックの素をガンガンにぶっかけたのではないかというほどのエロティシズムと、若干の嗜虐性が漂っている。堂森は何かのプレイみたいに女に手錠をかける。ここがすでに「肝」だということに、私たちは後から気づく。

 逮捕された女は近堂ひろ子。彼女の言動は少し異常性を帯びていて、犯罪の動機は堂森刑事に逢いたかったから、というものだった。「逢いたくて。あなたに」というセリフは、小牧幸助文学賞に応募した20文字小説から始まっている。

 堂森は動揺した自分に動揺する。読者は何かあるのだなと思うが、それが堂森の過去に押し込めた記憶に繋がっていくと、あれあれ?という気持ちになっていく。

 この小説では、明らかにこれが事実、ということは結末に示されない。作者に意図した結末はあっても、漫画『ミステリと云う勿れ』の主人公、久能整くんがいう、「真実は人の数だけある」という感じで、読者の想像が膨らむ終わりかただ。

 1995年に田舎の山奥の赤い屋根の家で行われていた「セミナー」。最初は英語教室や国際理解の交流会のような顔をして、子供を集める。女の子だけとは銘打っていないが、男の子は自然に来なくなる「女尊男卑」の思想をもち、ギリシャ神話の「ヘラ」女神(嫉妬の女神)と「アルテミス」女神(狩猟と貞潔の女神、アポロンの姦計で恋人オリオンを弓で射殺する)を信奉するようなシステムを形成している。
 「Me Too」のような女性の権利と性被害の告発(この性被害には男性も含む)とは違い、強い被害妄想を纏っており、偏った強烈な「男卑」は短期間で女の子たちを洗脳し、英語教室に通っていた女の子たちは学校で過激な言動が目立つようになる。このセミナーは全国から子供が集められていて、宿泊する子供もおり、冒頭で逮捕された近堂ひろ子もその一人だった。

 その家には、セミナーの主催者である母子とその両方の愛人である外国人男性が暮らしており、主催者と外国人男性は夜な夜なSMプレイに興じていた。ある時そこでその家に住む三人の異常死という事件が起こる。発見者は子供で、大柄な男が逃げたという証言があり、「金門村一家惨殺事件」として未解決のままになっている。
 当時短期間にもその地域に住んでいた主人公の堂森は、その事件を解明するために群馬勤務を希望して赴任した。小学生だったその当時の自分の記憶がどこか曖昧で、時折夢に見て悲鳴を上げるほどで、その事件を無視して生きることができないのだった。

 1995年というのは、新興宗教の宗主と信者による「あの事件」が起こった年だ。私のような、当時を鮮明に覚えている年代には、いやでもそれとの関連を感じてしまうし、冬のクリスマスの「一家惨殺」ときけば、いやでも「あの事件」を思い出してしまう。
 豆島さんは、「みんなが知っている、あの事件」のイメージを絡ませながら、セミナー受講者が今日本中で起こっている「トレンチコートの女が男に切りかかる」事件に繋がっていることを示唆する。さらには、主人公の身近にいる女性が、そのセミナー受講者である可能性もほのめかしていく。

 堂森の身体にはオリオンの星座のほくろがある。事件当時ハンマーを奪って逃げた堂森は「棍棒を武器とする狩猟の神オリオン」であり、美男で少々粗暴な点も「オリオン」の特徴を有しているといえる。
 セミナー受講者の女性たちが「アルテミス」という「階級・身分・称号」を目指すように洗脳されていることを思えば、もしかしたら堂森に関わる女性たちは皆、「男性」というカテゴリに入ると言うだけではなく、オリオンを「狩る」女たちといえなくもない。

 近堂ひろ子は、セミナーだけではなく、あの家に寝泊まりした時にSMプレイに引きずり込まれており、特殊な性被害をうけたことにより、より「苦悶」は「喜び」であるという刷り込みをされてしまった。好きな人にはより「苦しんで」もらいたい。それが祖母殺害にもつながっている(事件当時は事故死と扱われた)。

 また、ひろ子はハンマーを持って逃げた堂森があの家で殺人を犯したと思っていたため、彼女が『現場保存の鬼』という堂森のあだ名に笑うのも意味深だ。
 堂森が刑事になるきっかけとなった女性私服警察官(本部長の娘)は「アルテミス」の何代目かであり、堂森の告白で凶器を隠蔽。しかもその理由は「殺人を行うのは女性であってはならない」という狂気にも似た思想から発していると思われる。
 さらに「八代目」のアルテミスがひろ子に「犯罪を犯せば彼に会える」と言ったことからすると、「アルテミス」は代々警察官のなかに潜んでいるようにも思える。

「同様の事件の容疑者が一斉に野に放たれて、次に刺されるのはオレかもしれないって。怖くて昼間の住宅街を歩くこともできないって、コンビニも怖くて買い物できないって。ビクビクすればいいんです」

 堂森の同僚藤岡は、近堂が過呼吸で倒れた後、署内で男性たちが「精神鑑定で酌量されても近堂を不起訴にしたり釈放したりしてはいけない」という話をしているのを聞き、突如何かにとり憑かれたように「男の性犯罪者は平気で野に放つのに」といい、先ほどのセリフを口走る。

 夢の中で「あと何年何か月」と数えていた堂森は、自分の罪の意識から逃れられる「時効」を数えてるようにも思えるが、反対に「自分の正当性」が証明される日を待っていたのかもしれない。
 2010年からは凶悪事件の時効が無くなり、堂森はあの事件の真相に限りなく近づいているにもかかわらず、それを証明できるものはなにひとつない。彼が明け方の夢から解放されることはないのである。

 私は女性なので、この社会が女性を虐げて来た歴史というものには常に胸のざわつきを覚えるし、日本は女性の社会進出としては、経済的に発展している国の割には世界でもかなり低いレベルだということに遺憾の念を覚える。
 歴史的に考えれば、女性の男性に対する恨みは確かに深い。ジェンダーの多様化と言われていても、社会の体質はそう簡単に変わらない。まだまだ、である。しかし、過激な「男嫌い」「男卑」の思想は、何も生まない。
 人間という生き物は、「かたつむり」のような雌雄同体を選ばず、男女の別がある生命進化を選んだ。協調していかなければならないにもかかわらず、有史以来、なかなか足並みがそろわない。互いに思いやり、尊敬できる日は、まだまだ遠いと言わざるを得ない。

 この物語の事件は、子供の性被害という点でも、ジェンダー視点でもとても痛ましい。最後に読者にざらついた感情を残し、問いかけてくるこの作品は、神話や過去の事件の数々や子供の問題、ジェンダー問題がよくよく練りこまれ、現代の社会的問題をはらんでいる。
 作品のテンポも良いが、時折さしはさまれる「呼吸の苦しさ」に、「息が苦しくなるような」意欲作だと思う。









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