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【長編小説】いかのおすし

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関東の田舎で小4の娘、美桜を育てるシングルマザー塩谷美紀は、そろそろ娘にスマホを買うか悩んでいた。近所にいた不審な老人、公園で仲良くなった見知らぬ男性、推しのTikTokerに会… もっと読む
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いかのおすし① 【登校】

① 【登校】どうせ眠れないと諦めていたのに、名前も知らない生物の声で目が覚めた。暗闇の中で、ああ今日も自分は生きているんだ、と失望する。 隣の枕もとに手を伸ばし、手探りでスマホの電源を入れた。 懐中電灯で照らされたような眩しさに一瞬目がくらむ。 時計を確認し、習慣でウエブサイトをひらく。 「……にみだらな行為をしたとしてP市の小学校教員の男を逮捕した件で、市の教育委員会は……」 「……で生後間もない赤ちゃんの遺体が見つかった事件で、技能実習生の問題に詳しい専門家は……

いかのおすし②【朝の会】

←①から読む  《美桜ママ》「みなさん、覚えましたね。大事なのは? せーの」 「い・か・の・お・す・しー」 はいよくできました、ではさようなら、と『サイバー犯罪対策室の警察官』と名乗っていたパンツスーツの女性が児童に手を振りながら体育館後方に進む。プロジェクター画面がはっきり見えるようにと体育館の二階の窓は全て暗幕が閉められていたけれど、先生が体育館の鉄の扉を大きく開けるとパッと明かりが差し込んできた。 4年生、全クラス合同の授業参観。 プロジェクターにはまだ「いかのお

いかのおすし③ 【朝読書】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》車を降り、アパートの外階段を軽快にあがって一番奥の玄関前に立った。 インターフォンを鳴らしてから鍵を回し、そっとドアを開ける。でも中からチェーンはかけられていなかった。 んもう。必ずチェーンしろって言ってるのに。 勢いよく扉を開け、「ただいま」と声をかけると奥からいつもの「おかえりー」が聞こえる。 美桜はダイニングテーブルにプリント広げ、ちょこんと座っていた。 「宿題やってるね。えらい。でもチェーンかけとかなきゃだめだよ

いかのおすし④ 【1時間目】

←←①から読む  ←前回から読む 《美桜》スマホがぶるると震えてたから、トイレ中のママにそれを伝えた。 「電話?」 「メールぽい」 「じゃいいや」 早くトイレから出てほしいんだけど。と思ってメールを読み上げてみる。 「きのう午後4時半ころ、あさひ町内で小学生ジドウが、えーっと、に『どこの学校? 何年生?』と聞かれたというジアンがありました。男の、トク、トクチョウは……」 「あー、はいはい。今出るから、読まなくていいって」 すぐに流す音がしてボサボサ頭のママがトイ

いかのおすし⑤ 【2時間目】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》「最近、友香ちゃんのおうちに行くとき、自転車乗って行ってるの?」 毎日のようにおねだりされる「ガツン弁当」の唐揚げをひとつつまんで美桜のご飯の上に乗せながら尋ねた。 代わりに高野豆腐と人参の煮物が乗ったおかずをアルミ箔ごともらう。 「え?」 驚いたような反応をみせた美桜に、逆に驚く。 「あれ? このおかず嫌いでしょ。もらっちゃダメだった?」 「ああ。うん、嫌い。ママにあげる」 「え、じゃなに、どした?」 「いや。

いかのおすし⑥ 【20分休み】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜》「見て、友香ちゃん。四つ葉のクローバー」 「かわいい。栞にしたんだね」 リュックに隠していたクローバーがママに見つかったときは、どこの公園に遊びに行ってたのって怒られるかと焦ったけど、ママはニコニコして押し花を作ろうと言ってくれた。 ティッシュに挟んだり、レンジで乾かしたり。100均で押し花用シートを買ってきてアイロンをかけたら立派なしおりが出来あがった。 「今日も、おじさん来るかな。お礼に見せてあげたいんだ」 「来るか

いかのおすし⑦ 【3時間目】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜》「来週から学校だね。そしたら、この公園までは来ないよね」 いつもの桜公園に着くと、友香ちゃんが自転車を降りてそう言った。わたしはヘルメットをかぶったまま水筒の麦茶をがぶ飲みして「そだね」と返事した。 6時間の授業のあとに遊びにくるのはちょっと遠くて大変。土曜日はどうかな。友香ちゃんとはいつでも遊べるけど、でも、ここで何度も遊んだアンや、おじさんに会えないと思うとちょっとだけ寂しい気もした。                  

いかのおすし⑧ 【4時間目】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》あと数日で夏休みが終わる。とにかく給食が始まるのが助かると思いながら夕飯の片づけを終えた時間、吉田シュウト君のママから一本のラインが届いた。 ――ヒナタちゃんの話、聞いた? 私が「?」のスタンプを送り返すと、今度は電話がかかってきた。 吉田さんは挨拶もせずに話しだす。 「ヒナタちゃん、まだ帰ってこないんだって」 「え?」 「誘拐じゃないかって、ミクちゃんママからLINEがあって」 ユーカイという言葉の意味がピンと

いかのおすし⑨ 【給食】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜》夏休みにあれだけワクワクした桜公園には、あれから一度も行ってなかった。だけど、秋の土日はフリーマーケットとか保護猫のジョート会とか福祉のなんとかイベントとか、色々やってるらしい。 「美桜ちゃん、明日ひさびさに自転車乗って桜公園まで行かない?」 「あれ。あの公園は危ないって、だれかに言われたじゃん」 「あのおじさんは人が少ないときは危ないって言ってたんだよ。覚えてないの?」 ああ、そうだ。あのおじさんに言われたんだった。すっかり

いかのおすし⑩ 【掃除】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》先週は、お店の近くの神社でこども祭り。今週は近くの幼稚園で発表会。毎年、その関係者からの大量予約で製作作業に追われるから、先週も今週も昼過ぎまで土曜出勤。 美桜の「一人留守番」が多くて悪いなと思っている。 でも、「森野さんど」の2店舗目が順調で、店長は次の出店も考えているらしいから……あわよくば、ひとつお店を任せてくれないかな、なんて野望もある。 美桜が大学に行きたいとか、留学したいとか。いろんな夢を言い出した時に経済

いかのおすし⑪ 【昼休み】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜》公園の時計を見たらもうすぐ12時半。 散歩してる犬が遠くでキャンキャン吠えてる。 「保護猫の譲渡会」は遠くからしか見られなかった。「なでてもいいですか」って聞いたら「まずは親と一緒に受け付けしてください」って言われちゃって。 がっかりだよ。この前みたいなドーナツ屋さんもないし、つまんない。 本物の大きな川には危ないから近づかないけど、芝生にあるニセモノの川は小さな子も入って遊んでるから、靴下を脱いで足先だけ突っ込んだ。 ぬ

いかのおすし⑫ 【モジュール学習】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》「ね、どした? 大丈夫? 旦那って何のこと?」 杉崎さんの声ではっと我に帰る。中島という名前を聞いて、私は無意識に「旦那だ」と声が出ていたのかもしれない。 「あ。ごめん。美容師の中島って。もしかして……元旦那じゃないかと思って」 「えー!」と杉崎さんは大袈裟な声を出す。 どうしたの? ねぇ、どうしたの? という友香ちゃんの声と咳き込む音。「ちょっとあなたー、友香おねがい。クスリあげて」と、杉崎さんは旦那さんに向かって言っ

いかのおすし⑬ 【5時間目】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜》つかれた。 おばちゃんに「あの赤と白の鉄塔の手前」って教えてもらった時は結構近いと思ったけど、歩いてみたら遠かった。そういや図工で習ったかもしれない。大きいものは近く見える。 自分の分のパンは歩き始めてすぐ食べた。うっかり途中でもう一つ食べた。お茶も一本なくなりそう。 目印の郵便ポストをやっと見つけた。そこを右に曲がったら……青と赤のクルクルが目に入った。 「あったァ!」 小走りで近づくと、まえに夢で見たような白い壁と緑の

いかのおすし⑭ 【6時間目】

←←①から読む  ←前回のおさらい 《美桜ママ》見知らぬ携帯番号がアンのお母さんの携帯番号ではないかと一縷の望みを賭けていたけれど。私がコールし続けるのを諦め、溜息をついた瞬間、画面に表示された名前に慌てた。呼吸を整える間もなく私は「中島篤弘」との通話ボタンを押していた。 ゆっくり、耳にあてる。 「もしもし?」 「あ、美紀。さっき電話くれた?」 中島の、久しぶりの低い声が耳の奥に響く。 この私の心臓の音が、あの時のような嫌悪感から来るものなのかどうか分からない。 とにかく