①長男の不登校からサンタさんになれた話#52(アドラー的 課題の分離 編)
ちょうど4年前の9月5日。
私は悩んでいました。
小1の長男が学校に行かなくなり、この先どうしたらいいか、どう関わっていけばいいのか、全く分からずに無力感と憤りに溺れ、先の見えない不安感を感じていました。
今であれば、アドラー心理学における「課題の分離」と
人生の目標である「自立」と「社会との調和」によって
自分の気持ちを落ち着けることが出来て、
すぐに悩むことを辞められたと思います。
しかし、その時の僕にはそんな風に考えることができませんでした。
待って待って、まず「課題の分離」ってナニ?
自分の例から説明します。
僕の場合は、不安感はどこからきているのかを妻との対話によって
考え直していきました。
この学校へ行かないという選択により、「最後に責任を取るのは誰」なのかを考えました。
子どもの人生は子どもの物ですので、それは「子どもの責任」です。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、20才過ぎたら家の外に出ろ。
大学卒業したら就職しろ、の方がよっぽど冷たくないですか?
その当時の僕は、一人では認めきれなかった子どもの人権を
夫婦間の対話の中で認めることが出来るようになり、結果的に
子どもの「選択」を尊重することが出来るようになりました。
ここまでが「課題の分離」という考え方だと理解しています。
その後、生きている間は「わが子の生(衣、食、住)に責任を持つ」ことも
覚悟を決めました。もちろん死ぬまでには離れて自立していくと思います。
楽観的に受け取られるかもしれませんが、本当に信じています。
人間は、どんな人でも一人で歩けるようになり、悩みながらも人生のパートナーを見つけ二人以上で歩いていくことができると信じているからです。
アドラー先生の言を借りると、
「自立すること」からの「社会との調和」です。
この「社会」の一番小さい単位は
1人 対 1人=「夫婦や恋人・パートナーシップ」から始まり、
大きい単位は「無限大」、つまり自分 対 nの関係です。
社会は「2人」から始まり、
もっと大きな多数(n)の幸せを希求するものだと思っています。
皆さんも、仕事している人は誰かのためにしていますよね?
それって、多数のための幸せの希求にほかなりません。
自分の仕事が、沢山の人の役にたっていると感じることが出来ると、
仕事の満足度がグッと上がりますよね。
脱線しましたが、夫婦2人での対話から、子どもの人権を認めて
「課題を分離」出来た話でした。
この後の話をすると、真の意味での「課題の分離」は
すぐに出来たわけではなく、揺れ動くメトロノームのように
行きつ戻りつしました。
普通であることに対する社会の同調圧力。
それに押しつぶされそうになりながら、
自分の中の感情に折り合いをつけることは
1~2年の間はできませんでした。
次回は、その感情やストレスをどうしていったのかについて
その方法について触れていきます↓↓↓
②子どもの不登校からサンタさんになれた話(チャリティーサンタ編)
https://note.com/yoshihiro1126/n/n6c5b3e2bfa35