吉姫百合子

よしひめゆりこ と申します。コロナ禍中に小説を書きはじめました。カナダで夫と子供2人と…

吉姫百合子

よしひめゆりこ と申します。コロナ禍中に小説を書きはじめました。カナダで夫と子供2人と猫と暮らしています。昼間は教員をしています。エッセイにも挑戦中です。

最近の記事

蜻蛉日記 後半生編⑧―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 979年(天元2年)

979年(天元2年) 円融天皇 蜻蛉 44歳 初瀬、32歳 道綱 25歳 兼家、51歳 牡丹 4歳 養女 20歳 昨年、父の法要で一族の者が集まりました折に、父上の忘れ形見の女の子も今年で七歳になるということで、和歌や手習いや裁縫ならわたくし以上に教える資格のある者はいないでしょうという話になり、週に1度くらいの割合で、教えることになりました。雪の中を牛車で兄上の屋敷に参ります。兄上や弟の孫たちがレッスンに参加することもございます。佐(すけ、道綱)の長男も六歳になりますが

    • 蜻蛉日記 後半生編⑦―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 978年(天元元年)

      978年(天元元年) 円融天皇   蜻蛉 43歳 初瀬 31歳 道綱 24歳 兼家 50歳 牡丹 3歳 道長 13歳 養女 19歳 詮子 17歳   年が明けて間もなく、東三条殿からの使いの者が、養女を迎えに参りました。暮れに関白様が亡くなられて以来、あちらでは、二の姫(詮子)の入内を着々と準備なさっておられるようでございます。(養女は)今のうちに、二の姫の入内チームに入っていた方がよろしいでしょう、とのことです。   嵯峨の叔母上が染められた布で、養女のために仕立てた装束が

      • 蜻蛉日記 後半生編 ⑥ ― とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ977年( 貞元2年)

        977年( 貞元2年) 円融天皇   蜻蛉 42歳 初瀬 30歳 道綱 23歳 兼家 49歳 牡丹 2歳 道長 12歳 養女 18歳   新春のまだ朝晩の冷え込みが厳しい頃、佐(すけ、道綱)とあちらの五の君(道長)が鷹狩から広幡中川の屋敷に戻って参りました。養女と午前中に作っておいた焼き米を、叔母上から送っていただいた梅干と一緒にお出しします。   ほんに、底なしでございますこと! 焼き米は食べつくされましたので、鹿の肉やナスを茹でたものも播磨のお塩を添えてお出ししました。二

        • 蜻蛉日記 後半生編 ⑤ ― とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ976年(貞元元年)

          976年( 貞元元年)円融天皇   蜻蛉、41歳 初瀬、29歳 道綱、22歳 兼家、48歳 牡丹、1歳 道長、11歳 養女、17歳    夫という人(初瀬殿)と出会ってから丁度一年が過ぎたあたりに、女のやや子を出産いたしました。わたくしの頼りにしている人(父)は西のお山のお寺(般若寺)から、亡き母上の甥にあたる僧を呼び寄せて、大袈裟に祈祷をさせられます。わたくしの大勢の家族がひっきりなしに訪れ、助(すけ、道綱)と共に祈祷に参加いたします。   助は、 「自分の妻たちが出産する

        蜻蛉日記 後半生編⑧―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 979年(天元2年)

        • 蜻蛉日記 後半生編⑦―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 978年(天元元年)

        • 蜻蛉日記 後半生編 ⑥ ― とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ977年( 貞元2年)

        • 蜻蛉日記 後半生編 ⑤ ― とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ976年(貞元元年)

          蜻蛉日記 後半生編 ④―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 975年(天延3年)続き

          婚礼後、初瀬殿は広幡中川の屋敷に住みついてしまわれました。突然、嵯峨の荘園から大勢の大工を引き連れていらして、瞬く間に馬小屋を拡張されます。御自分のお気に入りの馬を二, 三 頭、随時こちらに置いておくためです。存じ上げませんでしたが、初瀬殿の山城の馬場は名馬が出ることで名高いのだそうでございます。その従順さとサイズの大きさで知られているとか。   同時に、(初瀬殿は)屋敷の南側の土地を買い上げて、馬の牧草地に変えられました。   初瀬殿は、嵯峨や山城にいらっしゃる日は、日の出

          蜻蛉日記 後半生編 ④―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ 975年(天延3年)続き

          「蜻蛉日記 後半生編 ③―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第3話

          暫くして、初瀬殿が白湯の入った器を片手に戻ってらっしゃいました。   「どうなりましたか?」 「河原でキジをやりました。おいしそうにムシャムシャと喰っておりました」 わたくしは、大きく息を吐いて、顔を覆いました。 「わたしがいる限り、痩せ犬をお屋敷に近づかせるようなことはいたしません。家人にもお屋敷の周りをうろついていたら、追い払うよう言いつけておきましょう」 わたくしを包み込むように、抱きしめられながら、おっしゃいました。   安心しきってすすり泣くわたくしに、初瀬殿は話

          「蜻蛉日記 後半生編 ③―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第3話

          「蜻蛉日記 後半生編 ②―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第2話

          車が屋敷の門をくぐりましたが、わたくしは、あの痩せ犬も屋敷に入ったのだろうか、と怖くて怖くてたまりません。身動きもできないでいると、わたくしになにが起こったのか見当もつかない養女は、 「お母様、お母様、どうなされました?」 と、騒ぎたてます。   家から出てきた古株の侍女は、車の中のわたくしを一目見るなり、男手を集め、わたくしを寝所に運ばせました。   そこへ、鷹狩から帰ってきた助(すけ、道綱)が、 「母上!」 と、ダンダンダンダンと足音をたてながら、わたくしのいる所に入って

          「蜻蛉日記 後半生編 ②―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第2話

          「蜻蛉日記 後半生編 ①ーとどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第1話

          藤原兼家と離縁した道綱母(みちつなのはは、40歳)は975年の春、歳老いた父を連れて養女と共に大和の国の長谷寺を参拝した。道綱母は寺の急な坂で転び足をくじいた。動けなくなった道綱母を救ったのは、遠縁にあたる嵯峨の女とその息子、初瀬(はつせ、28歳)だった。道綱母は足が癒えるまで大和に滞在し、嵯峨の女と親交を結んだ。怪我が治り、都に帰るやいなや初瀬から熱烈に求婚された。道綱母は老いた自分の容貌を恥じ、初瀬の愛情を受け入れるのははばかれた。しかし、神経性の持病に悩む道綱母を理解し

          「蜻蛉日記 後半生編 ①ーとどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第1話

          ボルドー

          初めてガロンヌ川沿いのボルドーの旧市街の街並みを見たのは、13年前だったか。 我が家は毎年夏休みに、スイスからフランスのアルカッションにレンタカーで海水浴に行く。約10時間のドライブなので、途中で一泊し、アルカッション郊外の巨大な砂丘の麓にあるキャンプ場に1週間ほど滞在する。ボルドーを通過する際は、交通渋滞の激しい市内はいつも避けてきた。 夫のバーニーが運転し、私の役目は地図をみて、道筋を決めることだった。その当時はまだ、私がレンタカーに設置されたナビを使い慣れておらず、

          松林、燃ゆ

          コロナ禍で2年間、夫のバーニーの故郷、スイスに帰郷できなかった。2022年の夏休み、やっと、家族でヨーロッパを訪れた。早速、レンタカーにテントや寝袋を詰め込み、スイスから南仏のアルカッションに向かう。巨大な砂丘の麓のキャンプ場に一週間泊りながら、海水浴を楽しむ予定だった。 7月12日: その日はアルカッションの旧市街の船着き場から、船でキャプ∙フェレに向かい、そこのビーチで泳いだ。途中、La Teste-de-Buch 付近の広大な松の森から煙が、立ち昇っているのを見た。真

          ハイキング

          2022年7月下旬。快晴。今日は長女とスイスのヴァリスでハイキング。標高、1,200 mくらいの村から標高2,200 mのフィエシュ∙アルプスまで徒歩で。いざ、出陣!   1,600m付近: ゼイゼイ、ハーハーと登っていたら、16歳の娘が、 「ママ、持つよ」 と言って、私の背中から水筒の入ったバックパックを取り上げスタスタと前を歩いていく。 さすがは、水泳部! 彼女は狂人的な心臓と肺を持つ。   赤ちゃんの頃は背中に負ぶって、一緒にハイキングもしたし、スキーもした。プールでは

          ジョギング

          「ちょっと、ゴルゴタまでジョギングしてくる」 と言うと、娘達は 「オーケー」 と声を合わせて言い、本から目も上げない。   時は2022年の夏、スイスのゴムスに滞在中の私は山でジョギングをする。ハイキングのメッカ、ゴムスでジョギングなどをしているのは、日本のオバサンの私くらいだ。   ゴムスを訪れる観光客は大抵ゴンドラでアルプスに登りそこからさらに上の木のない岩の山肌を登ったり、氷河の横を歩いたりする。下界でジョギングをしている暇などはないのである。   私は体重維持のために

          流れ星

          私は子供の頃、一時期不幸だったことがあるので縁起をかつぐ。テントウムシも好きだし、日本の寺や神社を巡ってはお守りを買う。イタリアやスペインの教会では一番安いロザリオを買う。ギリシャでは小さいイコンを買う。ハイキング中にコガネムシを見つけては、 「ラッキー!」 と、鬼の首を取ったようにはしゃぐ。   子供達には蔑まれ、夫には呆れられる。 お坊ちゃま育ちの夫や、何不自由なく育ったうちの娘達 に分かってたまるか!   なので、8月と12月中旬の流れ星の季節には、目をギラギラさせて必

          ルツェルン湖

          夫のバーニーの同級生のテレサはスイス人のグラフィック∙デザイナーで、ルツェルンに住んでいる。社会福祉士のパートナーと同棲中。子供はいない。私達は夏休みにスイスに行くたびにテレサの家に泊めてもらい、ルツェルン湖で泳ぐ。   今年は彼女のパートナーはゾロトゥルンで和太鼓のキャンプに参加中ということで、テレサにしか会えなかった。   私達親子4人は2022年のスイスの建国記念日 (8月1日)の前夜に車でルツェルンに着いた。テレサが2種類のサラダとスパゲッティを作ってくれた。夕食後み

          ルツェルン湖

          ヴァリス

          私達家族はカナダに住んでいるが、夏休みは夫のバーニーの母国スイスのヴァリスで過ごす。バーニーはチャキチャキのベルン人で本当はベルナー∙オーバーランドで夏を過ごしたいのだが、ベルナー∙オーバーランドは物価が高すぎて手が出ない。そんなベルン人の避暑地がヴァリス。夏はハイキングの、冬はスキーのメッカだ。ヨーロッパ中からベルナー∙オーバーランドやエンガディンに手が出ない観光客が通年で訪れる。特にオランダ人に大人気だ。   この日は車でゴムスからジュネーブへお出かけ。シエールでふと右手

          祈る

          カナダに移って32年になる。日本に行く度に、神社仏閣で必死に祈る。家族の健康を。 なにかいいことがあった時、真っ先にご報告したい日本の神社仏閣は埼玉県狭山市の小祠様だ。茶畑が並ぶ小高い丘の中腹にある、名もない小さな石の祠だ。明治三十二年再建と修復された年が彫られているだけで、どなたをお祀りしているのかも、何も分からない。次に帰国した時、市役所で問い合わせてみようと思う。 父がアル中になり母に暴力をふるうようになった。両親は私が8歳の夏に離婚した。母は私と妹を連れて、叔母を