見出し画像

「蜻蛉日記 後半生編―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」975年( 天延3年)続き

婚礼後、初瀬殿は広幡中川の屋敷に住みついてしまわれました。突然、嵯峨の荘園から大勢の大工を引き連れていらして、瞬く間に牛宿を拡張されます。御自分のお気に入りの馬を2,3頭、随時こちらに置いておくためです。存じ上げませんでしたが、初瀬殿の山城の馬場は名馬が出ることで名高いのだそうでございます。その従順さとサイズの大きさで知られているとか。
 
同時に、(初瀬殿は)屋敷の南側の土地を買い上げて、馬の牧草地に変えられました。
 
初瀬殿は、嵯峨や山城や播磨にいらっしゃる日は、日の出前に馬で行かれます。どんなにお忙しくても、夜半には馬を飛ばしてお帰りになります。
「あなたがご心配されると思いまして」
とおっしゃる。わたくしの前の方(兼家)とは正反対です。
「それに、わたしには、お塩を煎じて差し上げるという使命がございます」
ともおっしゃる。
 
毎晩、初瀬殿が、さじでカチカチとかき回された播磨の塩入りの白湯をいただいた後、床に入ります。
「あたなはお顔ばかりか、おカラダも娘っ子のようでございます」
と、汗をほとばしらせながら、息も絶え絶えにおっしゃいます。
 
5月に、尚侍様(ないしのかみさま、藤原登子、兼家の姉)がお亡くなりになられました。尚侍様を実の母君のようにお慕い申し上げておられた帝のお嘆きは大変深くあられるそうでございます。わたくしにとりましても長年義姉君(あねぎみ)としてお慕い申し上げていた方でございます。東三条殿との関係がこじれている時さえも (こじれていない時はほとんどなかったのでございますが)、常に変わらず心のこもった文を賜っておりました。折々にふれて賜りました御和歌(うた)を、膝に広げて読み返してみるにつけても、涙がとめどもなく流れてくるのでした。
 
このような喪中ですのに、初瀬殿は いつもより一層長くなさります。
「あなたを、お慰め申し上げたいのです」
と息も切れ切れにおっしゃいます。確かにこのようなインテンスな契りの後は頭は空っぽで何を思うこともなく、カラダはヒタヒタに満たされており、心は悲しみで折れておりますのに、朝までぐっすりと眠れます。
 
7月の七夕に、嵯峨の叔母上からセレブ会のお集まりにご招待あずかりました。セレブ会と申しますのは、叔母上と彼女の御友人たちが企画する、ちょっとしたサロンのようなもので、エクスペリエンシャル∙ラーニングをモットーにしておりまして、毎回テーマが違います。親王様や内親王様がたの乳母の方々に大変人気のある学びの場となっております。このたびのテーマは「七夕」と言うことで、会場は木嶋神社でございました。さる内親王様がお二人、乳母の方々とご出席なさるということで、この方々に養女をお見知りおきくだされば、と早朝に、叔母上から頂いた牛車に乗って、イソイソとうかがいました。
 
木嶋神社はいつ来ても趣のあるところです。鳥居をくぐる牛車から、西のお山の緑が朝日に当たって眩しいほどに映えてみえます。まずはセレブ会の皆さまと裏手の竹林の横手の里芋畑に参って、葉にたまった露を集めます。芋の葉の上をプリプリと滑る朝露を碗に集めます。内親王様方は、でこぼこな地面を歩くことに慣れておなりでないせいか、足元がおぼつかないようであられて、乳母の方々がお肘をお支え申し上げています。
 
お若い参加者の方々は、
「こんなに集まりましたよ」
「わたくしの方がたくさん集まりましたよ」
と、朗らかに笑いながら競っておられます。わたくしも養女と手早く集めました。
 
さて、神殿の広間に、机と書の用意が整えてあります。碗に集めた朝露で墨をすり、淡く染色された短冊に、願い事をしたためます。皆さん、アレをお願いしよう、コレをお願いしよう、と楽しく歓談されながら、作業されています。わたくしは、家族と初瀬殿と叔母上の無病息災を祈願いたしました。
 
養女の周りに内親王様方が集まって彼女に話しかけておられます。
「何をお願いなさいましたの?」
「まぁ、可愛らしいペンマンシップであられますこと!」
「お小さい方とお呼びして、よろしいですか?」
この日のために、養女の装束を入念に整え、良い日を選んで髪も丁寧に洗い、マナーのある言動をするよう、厳しく言い渡してありました。自分から積極的にお友達を作るようなタイプではない養女が、このような深窓の御令嬢方とその乳母の方々に、お目通りがかない、お見知りおきいただいて、将来の宮仕えにもプラスとなることでございましょう。わたくしの思惑通りでございました。
 
さて、この辺りには、神職についている者と下男以外は女子しかおりませんので、顔を隠すこともございません。皆でワイワイ言いながら、神殿を降りて、階段の脇に立てかけてある背の高い笹に、美しく染められた五色の糸で短冊を結びつけます。
 
笹の木の前で内親王様方が養女に、おっしゃっておられます。
「こちらの枝が空いておりますよ」
「わたくしの隣におかけなさいまし」
「いえ、わたくしの隣も空いておりますよ」
養女に「小さな可愛らしい方」という評判ができたことは、ようございました。感無量でございます。
 
さて、粥の朝食の後、メイン∙イベントが始まりました。蓮の茎から糸を取り出して紡ぐ課程を学習いたします。インストラクターは三輪山の麓から参った、機織り女(はたおりめ)です。身分の低い割には、知的で感じのよい容貌です。下男らが両手に抱えきれないほど沢山の切りたての長い蓮の茎を運びこみます。参加者は渡り廊下に一列に並び、講義を受けます。機織り女は、まず小さな刃物で茎の端に切り込みをいれ、茎を二つに折ります。切り口から無数の細い糸が出ております。そして、その糸をスーッと茎から抜き取り、床に、たたんだ扇子を自分の前に置くように、自分に平行に置きます。糸が抜けて空になった10センチほどの茎は刃物で切って捨てます。さて、今度は次の10センチの所で茎を折り、同じように、無数の糸を抜き取ります。二度目にぬきとった糸は最初に抜き取った糸の尻尾の部分に少し重なるようにして置きます。この工程を繰り返し、自分の目の前に1メートルほどの無数の透明な糸の束が横たわっているところまできますと、手の甲を使って糸をよります。この時、糸にダマができないよう、均一の太さになるよう、お気をつけくださいませ、とのことです。
 
あまりの楽しさに、時のたつのも忘れて、糸をよっておりますと、いつの間にか、皆様がわたくしと養女の所にいらっしゃって、御覧になられておられます。
「流石でございます」
「どちらの方でございますか?」
「ご存じありませんの? 右馬助の君の御母君であられます」
「あの、詩人の!」
「天才の誉高い!」
「あの、お若い方を迎えいれられたと評判の!」
「ホットな初瀬の君でございますね!」
「シーっ、お静かになさいませ!」
「ご覧なさいませ、あのお手つきを!」
「あまりの速さに、目が追い付きません」
「なぜ、御母君の糸はプッチンと切れておしまいにならないのでしょう?」
と、言うようなことを囁かれております。
 
大和の機織り女も、皆様の御前で、
「プロ並みのお点前でございます」
などと、申します。気恥ずかしくもありましたが、大勢のお嬢様方のロール∙モデルとしての役割を果たし申し上げることができ、参加した甲斐があったものでございます。
 
機織り女が申すには、この日わたくし共が紡いだ蓮の糸は、木嶋神社に奉納され、後にこちらの僧たちの法衣を織る糸となるそうでございます。有難いことでございます。
 
このようなイベントにお招きいただいた嵯峨の叔母上に厚く御礼を申し上げて、帰途につきます。普段はおとなしい養女も、あの方はこのようになさっておられましたね、あのようにもなさっておられましたね、とお喋りが止まりません。養女と長い一日を振り返りながら、牛車に揺られて帰ったのでした。養女にも楽しい思い出ができたようで、大変ようございました。
 
尚侍様のご冥福をお祈り申し上げ、養女に和歌、裁縫、手習いなどを教えているうちに、秋も深まりました。
 
季節も調度いいでしょうと侍女たちが申しますので、いつもご一緒する、2名の女子会の方々のお誘いに応じて唐崎詣でにまいることになりました。
 
面倒なことに、初瀬殿が同行されたいと申します。
「一人寝せよとおっしゃるのですか?」
と、不機嫌そうに申します。
「結婚以来、一夜とも床を分かち合わなかったことはないのですよ?」
「いらっしゃらない方がよろしいかと思います」
「なぜでございますか?」
と、駄々をこねられます。
 
どのように申し上げたらよろしいのでしょう? 夜離のプロセス真っ最中の30代後半のお二方に、年下の夫と参加して新婚の幸福を見せつけるなど、わたくしにはできません。
 
とうとう申し上げました。
「夫と呼ばれる方々のお心を取り戻すために、唐崎の神様に詣でるのです。あなたがいらしては、場違いです。それに、お仕事はどうされるのですか?」
自営業ですので、仕事の方はどうにでもなります、と拗ねたようにおっしゃります。
 
こんなに立派な大きなカラダをされているのに、わたくしには童のように振る舞われる。そのとんがったお口も含めて、何もかもが愛おしいお方です。ですが、今回は、自粛くださいませ、と申し上げたのでした。
 
さて、当日はあいにくの曇り空でしたが、暑くも寒くもなく、外出するには丁度いい日でございました。養女と旅支度を整えます。侍女に初瀬殿のお塩を忘れないようにと、申しつけます。たったの一泊の旅行ですので、たいした荷物はございません。
 
当の初瀬殿は、早朝からお姿が見えません。遠乗りにお出になったようです。まだ、拗ねておられるのでしょうか?
 
女子会の方の網代車に養女と乗り込みます。すると、どうでしょう? 初瀬殿がピカピカになるまでブラシされた巨大な栗毛を引いて、わたくし共の所へ参ります。
 
わたくしが染めたから言うのではありませんが、ゆったりとお召しになった鮮やかな空色の狩衣が灰色の空の下に大層映えてみえます。腰には、太刀をさし、背中には弓を背負っておられます。
 
わたくし共の車に跪いて申されました。
「近頃、逢瀬の坂に武装した荒々しい輩が出没し、治安が乱れていると聞いております。奥様方がこのように手薄な装備で、坂を越えて近江に参るのは、危険も甚だしい。わたくしがボディーガードとしてお供いたします」
 
ほんに、強情な方でございます。養女が申します。
「お父様がいらっしゃれば、鬼に金棒でございます! 都で一番乗馬がお上手でいらっしゃいます」
女子会のお二人が同時におっしゃいます。
「では、この方があなたの新しい……?」
「ご子息かと思いました!」
「なんと、お若く頼もしい!」
「なれそめは、どのような……?」

道々、養女と初瀬での出会いのエピソードを簡単にお話しします。お二人とも興味深々と聞いておられます。普段は、通って下さらない夫の方々を恨んで、泣き明かして暮らしておいでの奥様方です。わたくしのつまらない体験話が、一時でもお慰みになったのはようございました。
 
とは、申しましても、本題は夜離れでございます。逢瀬の坂で、車を降り、弁当を広げながらも、
「侍女が申すには、xxの元に足しげく通っているとか」
「xxの所に囲われている召人に首ったけとか」
「菊の節句にも、いらっしゃらなかった」
と、ひどくお嘆きです。
 
思えば、昨年の今頃は、わたくしも同じように、前夫の一挙一動に一喜一憂しておりました。現在の恵まれた状況とは雲泥の差です。唐崎の女神様に、厚く御礼申し上げなければと、心したのでした。

さて、船に乗り換えてしばらく行きます。時雨が降り始めました。霧が出て大津の岸辺を覆います。霧は次第に、比叡のお山も隠してしまいました。時々、釣り人の木の葉のように頼りなげな小さい船を追い越していきます。
 
やっと、唐崎に着いた頃には、時雨はやんでおりました。
皆で祓殿(はらいどの)で身を清めてお堂に上り、夜半にお祓いを受けます。思えば、これまで何度こちらに参って懐妊を祈願しましたことでしょう。今回は、養女と初瀬殿を授けてくださったことに、深く感謝を申し上げたのでした。
 
女子会の方々は、夢占いをさせています。聞くつもりは毛頭ございませんでしたが、神職の方との会話が耳に入ってまいります。一人の方の夢は、近江の海のシラサギが、優雅に浅瀬を歩いていると、どこからともなく巨大な鷹が舞い降りて、シラサギを襲い食い散らすという、なんとも残酷なものでございました。もう一人の方の夢は、腹の膨れた近江の海のマスが、釣る人の網にかかり捕らわれて、息苦しいようにのたうちまわる、というものでした。わたくしは、と申しますと、夢占いをさせようとも、最近は眠りが惜しく夢を見ることさえありません。昨年までは、毎日のように見ておりましたのに。
 
その夜は、唐崎の宿坊に宿をとることになっておりました。いつや雨がまたふりだすとも知れない空模様ですし、風も出てまいりましたので、こんな真夜中に大津まで行かなくてもよいのは、都合のいいことです。
 
宿坊で、ウトウトとしておりますと、侍女が参って、
「殿がお呼びでございます」
と申します。
記帳のすぐ向こうでお休みになっておられる女子会の方々の手前、イソイソと起きだして行くことなどできません。
「もう、休んでおりますと申し上げなさい」
と侍女を返します。

少しして、また侍女が、
「殿が明日の朝食にお出しする、獲りたての小エビをご覧に入れたいと、おっしゃっています」
ほんに、こんな夜半に誰が小エビを見とうございましょうか? 女子会の方の一人が記帳の裏で寝がえっておられます。
「どんなエビでも結構ですと申し上げなさい。もう遅いから、オマエももうお休み」
と、侍女を返します。

少しして、今度は初瀬殿ご本人がいらして、
「恐れながら、お薬のお時間でございます」
と記帳のすぐ裏に跪かれておっしゃいます。思わず、
「チッ」
と舌打ちしてしまいました。
「まぁ、どこだか、お悪いのでございますか?」
と、もうお休みになっておられたはずの女子会の方が片肘を立ててお聞きになります。まさか、祈祷しても効かない心の病だ、などとは申せません。
「持病の腰痛のお薬でございます。たいしたことではございません」
とお答え申します。
 
なるべく、物音をたてないようにして、部屋を出ます。
「お忘れですか? お薬のお時間です」
と初瀬殿がニコニコと笑いながら湯飲みを差し出されます。
 
お塩の入った白湯を飲み干し、お礼を申し上げて寝所に戻ろうといたしますと、
「どこへ行かれるのです?」
と、おっしゃいます。寝所にもどります、と申し上げると、
「なりません。今日はまだ一度もあなたに触れていない」
と、涙声で申されます。
「でも、どちらで? このような込み入った宿坊では……」
と、困ってお聞きすると、わたくしの手をとられて、
「こちらへ。幸い時雨も上がっております」
と廊下へお進みになります。そして、縁側でわたくしをスクープして抱きかかえられて、ご自身は素足のまま、庭を突っ切って進まれます。
「履物は?」
と慌てふためくわたくしを見下ろしながら、
「お静かに」
と笑いながらおっしゃいます。
 
宿坊の門の内側に、下男が初瀬殿の馬と待っていました。初瀬殿は下男を下がらせると、わたくしを馬の巨大な背にのし上げました。鞍はなく代わりに粗目に織られた厚めの布がひいてあります。
「履物はいらぬと、もうしあげましたでしょう?」
わたくしの後ろに御自分を乗り上げられながら、笑っておっしゃいます。
 
初瀬殿が手綱をとられた瞬間に巨大な馬は方向を変え、門の外に出ます。
「どちらへ? このような闇の中を」
「近江の海の龍神様に、あなたのお美しさを見せびらかしに参るのでございます」
と、恐れ多きことを申されます。
 
辺りは漆黒の闇です。打ち寄せる波の音から唐崎の岸辺に向っていることが分かります。頬を静かに撫でる風が霧を含んでいます。耳元に初瀬殿の熱い息を感じることができます。手綱を左手で操られ、右手でわたくしの髪を梳かれています。
 
馬をお止めになりました。漆黒の水の向こうの対岸も漆黒の闇に包まれています。霧が岸辺で動いているようですが、それさえも見えません。水鳥が鳴いています。どこかで微かにフクロウが呼んでいます。さざ波の音だけが、やけに大きく聞こえます。
「お寒くございませんか」
「いいえ」
「では」
とおっしゃられて、わたくしの着物の前を優しくはだけられて、胸をあらわにされます。
「な、なにをなさるのです? 神様方のお足元でこのような!」
と抵抗いたしましても、
「神様は、美しいものに目がおありでないのですよ」
と、おっしゃり、後ろからわたくしの乳房を両手で持ち上げられ、耳たぶを優しく噛まれます。

あらわになった胸に霧のような時雨がふり始めました。
「お声を。抑えておられるのですか?」
「このような、場所で!」
「どうか、あなたの可愛らしいお声をお聞かせください」
「イヤでございます」
「では」
とおっしゃり、今度は、唇をわたくしの首に這わせられます。そして、その大きな骨ばった手でわたくしの下腹部を撫でまわされて、
「お腹の中の蛇が暴れまわっているようでございます」
とおっしゃります。
 
馬が、
「ぶるるるるるーっ」
といななき、わたくしたちの下で激しく身震いしました。
なんということでしょう? なんということでしょう?

「強情な方だ。では、わたしのためではなく、龍神様にその可愛らしいお声をお聞かせ申し上げなさい」
(初瀬殿は)御自身にわたくしを沈められます。
「お腹の中の蛇が動くようにお腰をゆらしてごらんなさいませ。そうです! そうです! あなたの中の蛇の動きに従うのです!」
わたくしは、なんてことでしょう! なんてことでしょう! と言うことしかできません。
 
そのうち、蛇が激しくのたうちまわり、殿が
「お腰が! お腰が! なんというお美しさ! ああ、もうこれ以上は!」
などと、息も絶え絶えにおっしゃられます。わたくしも気が付けば、龍神様に、
「お願いでございます! どうか、どうか、お許しくださいませ!」
と声も高らかに唱えておりました。
 
その時です、突然の突風に松の木々が大きくざわめき、わたくしたちは吹き飛ばされそうになりました。波が激しく岸辺を打ちつけます。
 
「龍神様の御到来でございます!」
と、初瀬殿がうめくようにおっしゃります。恐れ多きこと、とわたくしは口もきけません。同時にトウトウと内から何かが沸き起こってまいります。
「あなたのお腹の中の蛇が、龍神様をお呼び寄せ申し上げたのでございます」
と、ぐったりと殿の広い胸に寄りかかるわたくしに、ささやかれます。暴れ回っていた蛇もぬくぬくと、どくろを巻いて休んでいるようです。
 
その後、(初瀬殿は)わたくしを抱きかかえられて、湖にお入りになり、身を清めてくださっておいでのようでございましたが、わたくしは眠いばかりで意識も朦朧としておりましたので、どのように寝所に戻ったのかも覚えておりません。
 
さて、後日談ではございますが、女子会のお一人の方には、さる親王様が、もう一人の方には、左大臣様の親衛隊の隊長の御子息が、足繁く通い始められたとか。お二人ともお若い殿方とのことでお忙しく、暫くは、どちらかのパワースポットへおまいりに行くお誘いもございませんでした。
 
新しい出来事がジャム∙パックでしたこの年も暮れようとしています。叔母上のお招きに応じて、新年は嵯峨野の初瀬殿の荘園で迎えることになりました。
 
出発までに、道綱が宮廷での新年の儀に着ていく装束を入念に整えます。あの子の妻たちは、裁縫が得意でないらしく、装束に関しては未だにわたくしに頼りきりです。わたくしの目の黒いうちは、あの子には立派な装束で職場に行かせとう思っております。あの子の父に当たる人(兼家)の家系には、大層な役職に就いておられる方々も多々おりますが、あの子の装束は、どんなやんごとなき貴公子のお召しになる物よりもセンシブルだと、自負しております。
 
さて、道綱の装束もきれいに仕上がり、すっかりホリデー気分です。養女と牛車に乗り込もうといたしますと、初瀬殿が、乗り込んでいらして、養女と侍女に2台目の車に乗るように指示されます。
「まぁ、おめずらしい。馬で参らないのですか?」
「母上に禁じられました。このような凍った道を、馬で疾走するのはいい加減に止めろと。わたしが怪我でもしたらどうする、と。少しは身重なあなたのことを考えろ、と」
確かに、明け方から急に温度が下がり、昨晩降った雨の上に氷が厚く張っております。
 
普段は、都中を我が荘園のごとく馬で駆けまわっておられるので、これまで、初瀬殿と車でどこかへご一緒に参ったことはございませんでした。
 
車は、粉雪の舞う灰色の都を東から西に横断します。そのようなつもりはございませんでしたのに、いつの間に生まれたままの姿で、汗だくになりながら契りを交わす道中となりました。
「(わたくし共に)火鉢は必要ございませんでしたね」
初瀬殿がおっしゃいます。
 
嵯峨野に近づいて参りました。慌てて互いのカラダから汗を拭きとりながら、大変な勢いで香を焚き染めます。まるで、親に隠れて逢瀬を重ねるティーンエイジャーです。
 
嵯峨野は都より雪ふこうございます。叔母上の広大なお屋敷の池もカチンカチンに凍り雪が積もっております。
 
叔母上は申されます。
「夫と長男を伝染病で亡くして以来、あなたのご懐妊ほど喜ばしいことはありません。この年の瀬は主婦としての責任はどうぞお忘れになって、こちらでは客人としてごゆるりとお過ごしくださいませ」
 
妊娠のことですが、今だに信じられません。これまで、どんな神仏に祈願いたしましても、叶うことはございませんでしたのに。今回は、20年前に道綱を身籠っていた時と違って、つわり1つありません。古株の侍女は、
「きっと女のやや子であらせられましょう」
と申します。
 
お腹の子のためにと、叔母上はイノシシやシカやキジの肉やコイを調理させます。昼間は叔母上とおしゃべりをしながら、養女も交えて、やや子の装束やおしめを縫います。至福の時です。外には雪がシンシンとふり続けますが、母屋には、火鉢がいくつもおかれ、心地よい暖かさです。
 
夜は、身重だというのに、初瀬殿が離してくださいません。
「やや子が、あなたのへびにかみつかれたりしてはいけません」
と変な理屈をお付けになります。
 
年が明けたその夜半、初瀬殿の腕の中で、彼の規則正しい寝息を耳元に聞きながら、ウトウトとしておりました。わたくしの愛するお方が、同じようにわたくしを愛してくださるという喜びを嚙みしめながら。
 
嵯峨野の里の追儺の声が、山々に木霊して聞こえます。都のものと少し違うようでございますが、どのように違うのか突き止める間もなく、瞼が閉じられ、深い眠りに落ちたのでした。
 
「蜻蛉日記 後半生編―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」
976年 (貞元元年)へ続く
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?