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祈る
カナダに移って32年になる。日本に行く度に、神社仏閣で必死に祈る。家族の健康を。
なにかいいことがあった時、真っ先にご報告したい日本の神社仏閣は埼玉県狭山市の小祠様だ。茶畑が並ぶ小高い丘の中腹にある、名もない小さな石の祠だ。明治三十二年と建てられた年が彫られているだけで、どなたをお祀りしているのかも、何も分からない。次に帰国した時、市役所で問い合わせてみようと思う。
父がアル中になり母に暴力をふるうようになった。両親は私が8歳の夏に離婚した。母は私と妹を連れて、叔母を頼って千葉県から狭山市に移り住んだ。そして小祠様のすぐそばの茶畑に囲まれた小さな家を借りた。最寄りのバス停へも遠い、不便な所だった。
母は、狭山市駅前の西友で働きだした。西友へは毎日自転車で通った。雨が降っても風が強くても、自転車で職場へ行った。私は、毎日不安だった。台風の時は、ゴウゴウと溢れかえるように流れる狂暴化した入間川を想像した。入間川にかかる橋をカッパを着て自転車で渡る母を想像して心配でたまらなかった。
私がしっかりしなければ、と取りつかれたように勉強した。料理以外の家事も全てこなした。小祠様の前を通るたびに、お詣りした。母をお守りをください、と。
当時、私を助けてくださったのは、 小祠様だと未だに信じている。小さな8歳の、土地になんの縁もゆかりもない女の子を守ってくださった。
狭山市には2年半ほどしか住まなかった。2023年に84歳の母と、44年ぶりに小祠様を訪れた。「あの当時は大変お世話になりました」と、深く頭を下げてお礼を申し上げた。
家族と夏休みを過ごすヨーロッパでも、教会で祈る。どうか、家族が健康でありますように、と。あんまり、教会巡りばかりしたがるので、娘達には怪訝(けげん)がられている。
月並みだが、パリのノーテルダムが好きだ。観光客が何百人と入っていても、混んでいるという感覚が持てない。魔法がかった巨大な洞窟のような空間なのだ。十数年前、誰かがオルガンを弾いていた。礼拝中でもなかったから、練習していたんだろう。心が瞑想状態になった。安らかな、安らかな、優しい空間にいた。
(このまま、消えてもいいな)
と思った。
2019年にノートルダムで火事が起きた。屋根の大部分が焼け落ちたが、寺院は残った。その夏家族で、寺院の前まで見に行った。立ち入り禁止の立て札が立っていた。
(ああ、無事だった!)
フランス人でもキリスト教徒でもないのに、心が躍った。現在(2024年)は修復工事中らしい。
普段住んでいるカナダでは、去年撮った狭山の小祠様の写真に向って祈る。
(主人が出張で出ています。お守りください。あと、次女の物理のテストがうまくいきますように)
私は願い事が多すぎるようだ。あんまり神様を、わずらわせるのも、どうかと思う。そこで、
「おはようございます! 今日もよろしくお願いいたします」
とだけ申し上げることにした。
私には信仰なんてないのに、いったい何をやっているんだろう? でも、祈らずにはいられない。
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