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松林、燃ゆ

コロナ禍で2年間、夫のバーニーの故郷、スイスに帰郷できなかった。2022年の夏休み、やっと、家族でヨーロッパを訪れた。早速、レンタカーにテントや寝袋を詰め込み、スイスから南仏のアルカッションに向かう。巨大な砂丘の麓のキャンプ場に一週間泊りながら、海水浴を楽しむ予定だった。

7月12日:
その日はアルカッションの旧市街の船着き場から、船でキャプ∙フェレに向かい、そこのビーチで泳いだ。途中、La Teste-de-Buch 付近の広大な松の森から煙が、立ち昇っているのを見た。真夏の山火事はカナダで見慣れている。早く、消えればいいね、などと言いながら、たいした火事じゃないだろう、と気にも留めなかった。

夕方、キャンプ場に帰って来た頃、物凄い量の煙が松林からモウモウと立ち昇っている。黒い煙は強風に煽られて、標高100メートルはある砂丘の頂上をかすめて南下する。ここしばらく、猛暑が続いていた。南仏はどこもかしこも、乾燥しきっている。

他のキャンプ場の客達と、砂丘に登り、消防飛行機が3台、火事と戦っているのを見た。2台のカナダ製の飛行機が近場の湖と松林を往復しながら、大量の水を上空から撒く。白い、長細い飛行機はピンク色の粉を撒く。火を消す化学物質なんだろう。時々、松林の間に、メラメラと燃え上がるオレンジ色の炎が見える。

砂丘を降りて、キャンプ場のレストランに夕食を食べに行った。バーニーがキャンプ場の貸自転車ブースのお兄ちゃんに聞いている。
「火事、どうなってんの?」
「大丈夫ッすよ。10キロ以上離れてますから」
ホントかな、とは思ったが、子供に夕飯を与えたり、シャワーを浴びたりしているうちに、火事のことは忘れてしまった。

夏のフランスの夜は遅い。今夜もレストラン脇の野外ディスコで大人も子供も楽しく11時まで踊っていた。しかし、キャンプ場の規則で真夜中の零時過ぎにはどこも静まり返る。私も、1時にはテントで眠っていた。誰一人、火事のことは心配していなかった。消防士たちが消してくれるだろう、とふんでいた。
 
7月13日:
「起きてよ!緊急避難だって!」
朝の3時ごろバーニーに起こされた。
「貴重品だけ持って、非難するから」
「でも、うち、車ないし」
生憎、レンタカーのタイヤがパンクしてしまい、車は2日前からアルカッションの車の修理屋に預けてあった。
「車ない人はフランス軍がバスで連行するって」
フランス軍? マジか?
子供達を起こし、パスポート、財布、アイパッド、水着、洋服をバックパックに手早く詰めて家族でキャンプ場の入り口に向かった。

ほとんどのキャンパーは車で避難した。バスで避難所に向かったのは私達を含めてたったの3家族。あとは、臨海学校だか、卒業旅行中だかの高校生らしい団体だけだった。

避難所は巨大な体育館のような建物だった。砂丘の麓にある他のキャンプ場からも続々とキャンパー達が避難してくる。駐車場はすでに満杯だ。中では、コーヒーとクッキーが配られた。避難者の数、すでに6、500人。誰もが、自分の車で仮眠をとっていたが、太陽が、ギラギラと照ってくる朝の10時以降は、冷房の効いた屋内に入らなければならない。この猛暑の中、車の中にいると熱中症を起こしてしまう。女子トイレには便器が4つ。

バーニーに目で訴えた。
(絶対無理!)
車の修理屋が開く午前9時に、バーニーが電話でレンタカーのことを問い合わせた。なんと、修理は完了していていつでも受け取りに来ていいという。幸い、修理屋は避難所の近所だった。

10時にはバーニーと次女が修理屋から車で戻ってきた。そのまま、近場のスーパーで水と食料を買い出し、スペインのサン∙セバスチャンに直行した。便器が4つだけの混みあった避難所に閉じ籠っているくらいなら、大好きなサン∙セバスチャンで観光した方がいい。

翌日は7月14日のフランス革命記念日。フランス中がお祭りになる日のはずだった。予定では、14日の夜は砂丘に登ってピクニックをしながら花火を楽しむはずだった。もちろんアルカッション市は翌日の花火を中止した。花火どころじゃない。本物の火がメラメラと砂丘に届く勢いで松林を燃やしつくしているんだから。

日本の友人によると、猛暑が続く日本で山火事が起きないのは、湿度が高いからだという。なるほど!だから、京都や奈良の山奥の国宝になっている寺や神社が焼けないで残っているんだ。まさか、あの不快な日本の湿気を有難く思う日が来るとは!

私達は、スペインの北海岸を旅行しながら、火事の状況を追った。火事は収まるどころか増々勢いよく森を焼き続けた。アルカッションだけじゃない。同じ頃、ボルドーの南部でも松林が燃えていた。フランスだけじゃない。スペイン、ポルトガル、イタリア、サルデーニャ島でも森が燃えていた。

キャンプ場への道路は7月13日早朝から、通行止め。砂丘にも立ち入り禁止。私達のお気に入りのビスカロス∙ビーチも煙公害で立ち入り禁止。ビスカロス周辺のキャンプ場からもキャンパー達が続々と避難し始めた。よくイカのフライを買いに行ったビスカロス商店街の魚屋のオジサンはどうしてるんだろう? この前行った時は、オジサンは、
「奥さん、おまけ付けるから持ってきな」
と、美味しい小魚のフライを紙袋につめてくれた。

7月13-16日:
アルカッション関連のニュースを常に聞きながら、サン∙セバスチャンとサンタンデールを観光する。

7月17日:
ボルドーで待機。この日、子供が小さい時によく行ったLe Petit Nice ビーチ前の広大な松林が5分で燃え尽きたという。ビーチのレストランも公衆トイレも一瞬で灰と化した。火は海の前でやっと止まったという。

7月18日:
この日の朝、キャンプ場に残してきたテントや寝袋を回収することはもう諦め、私達はボルドーからスイスに車で帰った。ペリゴーで高速道路の反対車線を7,8台の消防車がボルドーに向かって行ったのを見た。フランス中からアルカッションに応援が駆け付けてくる。本当に大変なことになった。

私達がスイスへ車を走らせている間に、私達のキャンプ場の90パーセントが燃え尽きてしまったそうだ。結局あの火を止められたのは海と巨大な砂丘だけだった。
 
私達はキャンプ用品は失ったけれど、命は無事だし、パスポートもお金もある。キャンプ用品はまた働いて買えばいい。家やレストランを失った人達もいる。うちの娘達が (14歳と16歳)騒いでいたトム∙クルーズとそっくりのキャンプ場のレストランのウェイターのお兄さんも失業してしまった。あんなに張り切って、毎日朝の1時まで働いていたのに。

私はそのお兄さんに、フランス語で、カフェオレください、と注文したことがある。
「Excuse me?」
と英語で聞き返され、フランス語が流暢な娘達に爆笑された。
 
3,4年前から、夏休みはどこへ旅行しても温暖化の影響を見る。
昨年(2021年)はコロナ禍で海外に行けなかったので、家族でカナダを車で横断した。途中、ブリティッシュコロンビア(BC)州でいくつもの山火事を見た。カムループス郊外では真夏の夜の暗闇の中、山全体が燃え上がっていた。まるで噴火中のようだった。

BC州の山火事で発生した煙がアルバータ州に流れ込み、BCの一部の住民とアルバータ州民は夏中、太陽も青空も見れなかった。

こんなんでいいのか? なんか、地球規模でおかしくないか?
バーニーと私は大分年をとってから子供を作ったので、孫は見れないと思う。多分出会えない孫の世代には氷河の上をスキーで滑るとか、南欧で海水浴やキャンプを楽しむこともできなくなるのではないか? 地球全体が燃えていたりはしていまいか?

ビスカロス∙ビーチの、飲み水のように透明に澄んだ海水を泳ぐ魚を思い出した。
 
 
 

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