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ボルドー

初めてガロンヌ川沿いのボルドーの旧市街の街並みを見たのは、13年前だったか。

我が家は毎年夏休みに、スイスからフランスのアルカッションにレンタカーで海水浴に行く。約10時間のドライブなので、途中で一泊し、アルカッション郊外の巨大な砂丘の麓にあるキャンプ場に1週間ほど滞在する。ボルドーを通過する際は、交通渋滞の激しい市内はいつも避けてきた。

夫のバーニーが運転し、私の役目は地図をみて、道筋を決めることだった。その当時はまだ、私がレンタカーに設置されたナビを使い慣れておらず、バーニーも私並みにテクノロジー音痴で、紙の地図さえあればどこへでも行けるじゃないか、という考えだった。

その夏は私の地図の読みが悪かったせいで、車はいつの間にか混み合った市内に入ってしまった。あわてて、市内から脱出する道を探す。ふと地図から顔を上げると、車はピエール橋を渡って、旧市街へと向かっていた。ガロンヌ川沿いにびっしりと軒を連ねる宮殿のような建物が目に迫ってきた。

なんて、壮大なんだろう!

その美しさに目を見張った。一瞬にして、オルセー付近のセーヌ川沿いにワープしたような錯覚を覚えた。

流石は世界でも有数のワインの生産地。ワインを売りまくって、こんな立派な街を築いたんだ、と感嘆した。

この夏は(2022年)、徒歩でボルドーの旧市街を観光する機会を得た。観覧車方面から、ガロンヌ川沿いを歩いた。13年前に私を感動させたあの美しい街並みはそのままだった。

今回、初めて、ネットでボルドーを調べた。ボルドーが最盛期を迎えたのは18世紀。のべ 150,000人もの黒人奴隷を乗せた船がボルドーを出航した。フランスの植民地があった西インド諸島からは、コーヒー、ココア、砂糖などを入荷し、それらの、奴隷によって生産された物産はドイツやオランダに売られたという。ボルドーを潤したのはワインだけじゃなかった。あの、船着き場のあった川に面して並ぶ美しい建物は奴隷貿易によって得た収入で建てられたんだ。

なんとも複雑な心境だった。奴隷貿易がなければ、造られなかったであろうあの美しい街並み。この街並みが築かれていく過程で、どれほどの人が苦しんだことか。植民地主義はゴメンだ。でも、植民地主義のお陰で潤った人々が造った物を愛でる自分がいる。

人間を凄いな、美しいな、壮大だな、と感動させるものの影には、よく苦しむ人達の影がある。ピラミッドにしかり。万里の長城にしかり。仁徳天皇陵にしかり。

これからも、複雑だなとか何とか言いながらも、ウワーっと心の中で歓声を上げながら、色んな物に感動していく自分を否定しきれないでいる。
 
 

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