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「蜻蛉日記 後半生編ーとどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第1話

藤原兼家と離縁した道綱母(39歳)は975年の春、歳老いた父を連れて養女と共に大和の国の長谷寺を参拝した。道綱母は寺の急な坂で転び足をくじいた。動けなくなった道綱母を救ったのは、遠縁にあたる嵯峨の女とその息子、初瀬(はつせ、28歳)だった。道綱母は足が癒えるまで大和に滞在し、嵯峨の女と親交を結んだ。怪我が治り、都に帰るやいなや初瀬から熱烈に求婚された。道綱母は老いた自分の容貌を恥じ、初瀬の愛情を受け入れるのははばかれた。しかし、神経性の持病に悩む道綱母を理解し、効力のある薬を持参した初瀬に押されて、結婚に踏み切った。彼女の第二の結婚生活がこうして始まった。
 
 
975年( 天延3年) 円融天皇
蜻蛉39歳
初瀬28歳
道綱20歳
兼家46歳
 
 この春は、大変暖かく、お庭の紅梅を愛でているうちに、「初瀬のお寺の牡丹が咲き始めたそうでございます。」と侍女たちが言うものですから、わたくしの頼りにしている人(父)が、
「あたなの母君がお好きだった初瀬の牡丹をもう一度見てみたい。あなた方と初瀬参りに行くのも、これが最後になるだろうから」
などどおっしゃります。そこで、3月の中頃に兄に当たる人と、共を大勢従えて父を大和にお連れしました。
 
祓殿(はらいどの)で身を清めてお堂に上り、観音様にお参りいたします。わたくしが一番愛おしく思っている人(道綱)の所に生まれたばかりの男の子の成長と、養女の行く末を祈願いたしました。思えば、3年前、こちらに参った折は、あの人(兼家)とのことで身が悶えるほど心が苦しく、観音様の御前にあっても、ただただ涙がこぼれるばかりで、願い事を申し上げることすらできませんでした。
 
明け方近くの薄明りの中、お堂を出て、養女と牡丹を愛でながらお寺の坂を下っておりましたら、昨晩の雨で地面が濡れていたのでしょうか。滑って転び、そのまま起きれなくなってしまいました。右の足首に走るあまりの痛みに私はただ呻くばかり。養女は
「お母様!」
と私にしがみついて、
「誰か、誰か、お願い申します!」
と辺りに叫んでいます。養女に、
「坂下の皆が泊っている宿坊にお行き。助けを呼んできておくれ。」
と息も絶え絶えに命じますが、歳の割には(15歳)幼い養女は私にしがみついて泣くばかりで、動けないでいます。
 
すると、まぁ、どうでしょう、突然力強い腕に抱きかかえられました。あまりの、恐ろしさに言葉も出ません。
「怪しい者ではございません。転ばれたのですか? 足をいためられたのですね? 」
若い方は、私を抱きかかえたまま、
「一先ず祓殿にお連れします」
とだけ言うと、天狗のような勢いで、スタスタと寺の急な坂道を登っていきます。あまりの速さに、怖くて目も開けられません。ただ、この方の狩衣から、なんとも奥深い香りが漂ってきたのを覚えています。
 
祓殿に着くと、若い方は私を床にそっと下ろし、
「母上?」
と奥に呼びかけます。すると、亡くなった私の大切な方(母)と同じくらい古風な女人と侍女が2人、灯を持って奥から出てこられました。
「まぁ、どうされたのです?」
と古風な方は、自分の娘にするように、わたくしの肩に手を置かれました。わたくしがこの方を見上げると、そこには母上と瓜二つのお顔がありました。あまりのショックに、わたくしは口もきけずにただこの女人のお顔を見上げるばかりでした。

「どちらの足ですか?」
という殿方の問いに、我に返り、右足を指さしますと、
「失礼いたします。お許しください」
と殿方はおっしゃるなり、なんと、わたくしの右足を大きな骨ばった両手で包むようにさすり始めました。あんまりの恥ずかしさに増々、言葉も出ません。
「このわたくしの息子は、馬を育てる名人で、足を痛めた馬もすぐに治してしまいますのよ」
と、女人はおっしゃいます。
 
若い殿方は烏帽子を被った頭をわたくしの右足にかがめて、両手で一心に足をさすっておられます。彼の細長い指が足首に触れた時、あまりの激痛に、声をあげてしまいました。額から脂汗のようなものも出てきます。
「まぁ、お可哀そうに!」
と侍女たちが後ろで囁いています。
「骨は折れておりません」
若い方が、顔を上げて、ニッコリと微笑まれておっしゃいました。ろうそくの灯の元で初めてお顔を拝見しました。小鹿のような目をされていました。
「それは、よろしゅうございました!」
と、女人がおっしゃった時、やっと祓殿に養女が追いついて入ってきました。あまり驚くことばかり重なり、足の痛みもあって、養女を見たとたんに泣き出してしまいました。
 
わたくしと養女が寄り添っている間にも、古風な方はテキパキと指図を出されます。
「わたくし共の所へお連れした方がよろしいでしょう。お寺の麓から大和川を渡り小山を越えて一里ほど行った屋敷に宿をとっております。この小さなお嬢様には、御一族のお宿に戻っていただきましょう。4人しか乗れない車ですから。お嬢様、今、文をしたためますので、御家族の皆様にお届け願えますか? お母様は御無事ですとお伝えください」
 
御子息には、一足先に発ち、薬草を集めて練っておくように、と。侍女たちには冷たい大和川の水を手桶にくみ牛車に運びこんでおくように、そしてわたくしの足に当てる布を用意するように、と言いつけられました。
 
御子息は、
「お許しください」
と頭を下げると、再びわたくしを両腕に抱いて、寺の急な坂道を降りていきました。あわてて袖で顔を隠します。扇を宿坊に置いてきてしまったことが、悔やまれて仕方ありません。すっかり明け切った朝の光の中で、色鮮やかな牡丹の大輪がユラユラと揺れています。わたくしは、このようなみっともない姿を誰かに見られたらどうしましょう、と恥ずかしく居ても立っても居られません。仕方がないので、この若い方の広い胸から漂ってくる、なんとも新しいタイプの香りに意識を集中することにいたしました。そのうちわたくしを包む、彼の狩衣が見事に仕立てられているのにも気がつきました。頬に触れる絹地の柔らかさから、最上級の絹糸で織られていることが分かります。染色はセンスのいい淡い桃色。思わず、手で触れてしまいました。
「お気に召しましたか? 母上が染められたんです」
ビックっとして、上を見上げると、若い方が、わたくしを見下ろしておられました。大きな目が笑っておられます。なんということでしょう! なんということでしょう! 
 
若い方は、お寺の門前で待機していた牛車にわたくしをそっとお乗せになると、「母上が来るまでお待ちくださいと」、言い残されて、ご自分は、わたくしがこれまで見たこともないような巨大な栗毛の馬におまたがりになり、まるで突風のように午の方角へ消えていかれました。
 
しばしして、古風な方と侍女たちが車に乗り込んでいらっしゃいました。古風な方はわたくしに白湯を飲ませられた後、
「一晩中、お参りされていたのでしょう? 少しお眠りください」
と、おっしゃいます。
 
白湯でカラダが温まり、車が左右にユラユラと揺れる動きに身を任せていたら、懐かしい母上と瓜二つのお方が側にいてくださるというだけで、安心したのでしょうか? わたくしは足の痛みも忘れて眠ってしまいました。道中、2人の侍女は交代で、桶の水で冷やした布でわたくしの右足を包み、腫れを極力抑えようとしてくれていたようでございます。
 
さて、牛車は広大な荘園内の、新築の御殿に着きました。水をたっぷりと引き入れた、大層立派なお屋敷です。大勢の家人が見物する中、また若い方に抱きかかえられて、牛車を降りました。流石にこの時は、侍女の一人から、扇を借りて、顔を隠しました。ほんに、これまで長らく生きながらえてきて、この時ほど恥ずかしいと思ったことはございません。
 
奥の間で、泥の付いた着物を脱がされ、丁寧に仕立てられた衣装をあてがわれ、身繕いをしていると、古風な方と侍女が記帳の裏から、入ってこられました。
 
侍女は、
「薬草を練ったものをおみ足にお塗りいたします」
と、言って、わたくしの右足全体にヒンヤリした深緑色の草の葉を潰したものを、まんべんなく塗り込み、布でしっかりと包みました。薬草からは、鼻がツーンとするような匂いが漂ってきます。
 
わたくしの気を紛らわすためでしょうか、古風な方は、
「さぁ、ゆず湯をお飲みください」
と、湯気のたった、ゆずの香りの高い飲み物をすすめられます。

一口いただいて、あまりの美味しさに驚きました。
「美味しゅうございます。どうやって甘味をつけられたのですか?」
「わたくし共の嵯峨野の荘園で採れるはちみつですのよ」
と、ニッコリと微笑まれます。あんまり、亡き母上に似ておられるので、わたくしはただ、懐かしい気持ちで一杯で、うなずくことしかできません。ゆずは薄切りにして壺に入れ、はちみつにつけておくのだそうでございます。
 
そうこうしているうちに、食事が運ばれてきました。特別に変わった料理が並んでいるわけではないのですが、素材が良いからでしょうか? 何を食べても美味しくいただきました。
 
夕刻に、父と兄が訪れられました。兄は、わたくしの休んでいる所に入っていらっしゃるなり、
「このような所で、身分の低い者と混じわるのは、よくありません。すぐにおいとまいたしましょう」
と、不条理なことをおっしゃいます。このわたくしの兄という人は、細かいことにうるさく、目下の者に非情なところがおありになります。
「そのようなおっしゃり用はお止めください」
と申し上げます。主婦として高貴な人々の間で暮らしてまいりまして、身分がいかに高くともリディキュラスな人間を多く目の当たりにしてまいりましたので、こう申した次第です。
「まぁまぁ、まずは御主人に御礼を申し上げなければ」
と父は穏やかにおっしゃいます。
 
そこへ、古風な方が家の主(あるじ)と、酒と肴の盆を掲げた侍女たちを従えて、おいでになりました。父と兄は、古風な方のお顔を拝見した途端に、まるで幽霊でも見たかのように固まってしまわれました。古風な方は、父と兄に酒を勧められました。わたくしたちはお互いの血筋について語り始めました。
 
わたくしが招かれたこの紀(き)家の荘園は、古風な方の亡くなられたご主人の従兄筋の所有だそうでございます。父とも親交のあつかった故下野守のおじさま(紀貫之)は、ここの御主人の大叔父様に当たるのだそうです。片や、古風な方は故嵯峨天皇の御末で、わたくしの亡き母上の祖母に当たる方と、この方の祖母に当たる方が姉妹同士だったのだそうでございます。
 
古風な方は、
「今日は亡き母上の20年目の命日。母上がお好きだった初瀬のお寺であなた様に出会ったのも、ご先祖様の思し召しだったのかもしれませんね」
としみじみとおっしゃいます。父も兄も袖で涙をぬぐっておられます。
 
古風な方は、わたくしに、これからは自分を「叔母上」と呼ばなければいけませんよ、とおっしゃる。
「本当に親戚同士なのですから、どうぞおみ足が良くなるまで、いくらでも滞在なさってくださいませ」
と、荘園主も勧められます。
 
早速、わたくしと養女だけが大和に残り、わたくしの足が治り次第、嵯峨の叔母上と御一緒に都に帰ることが決まりました。
 
嵯峨の叔母上は去年の夏の疫病で、ご主人と御長男を亡くされ、今は次男の若い方とお2人で嵯峨の荘園でお暮しです。ここでは、若い方を初瀬殿(はつせのとの)とお呼びすることにいたしましょう。初瀬殿は去年までは、御父君の片腕として、山城の荘園で馬を繁殖させたり、播磨の塩田を管理なさっておいでだったのだそうです。
 
大変お忙しい初瀬殿ですが、外からお帰りになると、すぐ、わたくしの元にご挨拶にみえ、なにか入用なものはありませんかとお尋ねくださる。わたくしが、絵を嗜むとお聞きになると、絵の道具一式を都から取り寄せられます。怪我に効くからと、コイを釣らせ、料理させます。わたしが好きだとお聞きになると、わざわざご自分の嵯峨の荘園からタケノコを取り寄せられます。嵯峨のタケノコは格別美味で、朝廷にも献上されているとのことです。
 
そのうち、嵯峨の叔母上と養女とわたくしが食事をとっていると、初瀬殿もご一緒するようになりました。まるで、わたくしの大切な方(母)がいた頃の家族の団らんが戻ってきたようでございます。このように、心が安らかなのは、ほんに何年ぶりでしょう?
 
次第にわたくしの右足も癒え、歩行も問題なくできるようになりました。
 
4月の上旬に、都へ帰る日がきました。わたくしがこの上なく愛おしいと思っている人(道綱)が立派な牛車を率いてわたくしを迎えに来ました。父からの大層な土産物を主(あるじ)に差し上げます。わたくしは養女と叔母上の車に乗り込み、侍女たちは道綱の車に乗り込みました。
 
車の横で、馬にまたがった道綱と初瀬殿が、歓談しています。わたくしたちを見送るために家から出て来た家人たちの視線がどうしても2人に集中します。
 
それにしても、2人はなんと美しい若者でしょうか。何も知らない方々は彼らを兄弟だと思うでしょう。この日、道綱は淡い黄色地の狩衣を着ていました。わたくしが染めたから言うのではありませんが、馬の濃い褐色に大変映えています。初瀬殿は深緑地の狩衣をその長身にまとわわれ、巨大な漆黒の馬にまたがっておられます。
「なんという、お美しさでしょう!」
「なんてご立派な若君たちでしょう!」
と、侍女たちのウットリとした声が聞こえます。
 
叔母上とわたくしは一日中御一緒していても、お互いに飽きることはなく、大和から都への道のりがこんなにも短く感じられたことはこれまでありませんでした。叔母上といると、まるで、亡き母上とお話しているようで、和歌、裁縫、刺繍、染色、庭作り、料理、絵画と話題がつきません。
 
泉川は雪解けの後ということもあって、かなりの水量でした。そのゴウゴウと流れる川を船で下ります。あまりのスピードと揺れに、2,3ヶ所で大変怖い思いをいたしました。養女はわたくしにしがみついています。取り乱して叫び声を上げる侍女もおりました。その度に初瀬殿を見上げますと、いつも、
「ご安心ください」
というようにわたくしに頷いて微笑まれるので、このような頼もしい方が付いていて下さるなら、と我慢できたのでした。
 
さて、都に入り、自宅のある広幡中川へ方角は塞がっておりましたので、わたくしと道綱は一先ず父の屋敷へ向かいます。叔母上と初瀬殿はそのまま嵯峨へお進みになりました。
 
父の屋敷に着いたか着かないかのうちに、嵯峨から新鮮な川魚や自家製の酒が届けられました。初瀬殿からの、心のこもった文も添えられています。
 
都に着いて以来、初瀬殿からの猛烈な求愛が始まりました。日に文が2,3度届き、夜は必ずいらっしゃる。
「大和では、自分の気持ちを抑えておりました」
と、おっしゃいます。

文に添えられた御歌は、決してお上手とは申し上げにくいのですが、技巧を無視されたその御作風はわたくしにはかえって新鮮に思えます。
 
その夜も、侍女たちが、
「おいでです。おいでです」
と、初瀬殿のお越しを告げます。まさか、この歳で10も若い方から求婚されるとは、つゆとも思っておりませんでしたので、御簾の裏に隠れようとすると、古株の侍女が、
「初瀬では、御家族同様に暮らしてらした方と、今さら、御簾を隔ててお会いになるのも、不自然ではございませんか」
と申します。
 
さりとて、求婚というような状況で、こんな歳老いた醜い姿をお目にかけることなどできません。
 
惨めな沈んだ気持ちでおりますと、
「ご気分がよろしくないのですか?」
と、大変心配なさり、翌日には嵯峨の叔母上から、ゆずのハチミツ漬けが届きました。
 
その次の夜は、
「あなたのご気分が少しでも良くなればと思いまして」
と、横笛を演奏なさいます。
侍女たちは、
「素晴らしい御演奏です」
と聞き入っています。
 
わたくしは、何事も物事をハッキリとさせないと気が済まないタチなので、申し上げました。
「いつも、お召し物に、お洒落なお香を焚き染めておいでですね。奥様のお気に入りのお香ですの?」
「妻たちとは離縁してまいりました。あなたは大層嫉妬深い方だと皆が申しますので」
「なぜ、そこまで! このような、老婆に!」
「お止めください! ご自分のことを老婆などと。あなたはまだ若々しい。わたしには、あなたは、まだ娘っ子のようにしか見えないのです。わたしは、あなたほど可憐な女人を見たことは、これまで一度もない。長谷寺で牡丹に囲まれて、転んで地べたに座ってらしたあなたを一目見た時から、わたしはあなたのことしか考えられないのです」
「もう、お子様を産んで差し上げることも、できないのですよ」
と申し上げても、既に男の子が3人いるから構わないとおっしゃる。
 
「離縁したうえは、息子たちは母上に育ててもらいます」
耳を疑いました。気が動転して、上手く喋る事さえできません。わたくしは過去に養女を産みの母親から引き離しました。また、同じ過ちを繰り返しては、仏に顔向けもできません。
「どうか、それだけはお止めください。お子様たちを女親から引き離すことだけはお止めください」
と、泣きじゃくる事しかできない。
「分かりました。全てあなたのおっしゃる通りにいたしましょう。どうか、あなたにそのように泣かれては、わたしはどうしたらいいか」
と、おっしゃって、笛をおっぽって、わたくしの方ににじり寄られます。気分が優れませんので、とわたくしは慌ててその場を去りました。

翌日も、早朝から心のこもった歌と文が届きます。侍女たちは、
「お返事を」
とせかします。
「おまえたちは、わたしが若い男と求愛して、浮き名を流し、挙句の果ては捨てられて、世間の笑いものになってもいいのかい?」
と聞きます。侍女たちは、
「初瀬殿に限ってそのようなことはあり得ません」
「お若いのに大変真面目な方と伺っております」
「そういう方面よりも、馬と荘園に夢中な方だと伺っております」
「世間では、あのマザコンで石頭の初瀬が初めて恋に狂ったと大評判です」
と申します。
 
あの人(兼家)との夜離れ以来、ちょくちょく泊まりに来る兄にあたる人は猛反対です。
「あなたは、一体何歳(いくつ)だとお思いか? もう色恋に現を抜かす歳ではないでしょう? そもそも身分が違いすぎる。馬丁と結婚する気ですか?」
とカッカしてらっしゃる。
 
父上は、
「相当な財力のある方らしいから、わたし亡き後もあなたをお守りくださるでしょう。あなたさえよろしければ」
とおっしゃる。
 
道綱は、初瀬殿と山城の馬場に馬を見に行くことしか頭にないようです。
「一番良い馬をくださるそうです」
と楽しみにしています。
 
近頃は、道綱と養女関連の文を交わすだけになってしまったあの人(兼家)からは、嫌味な文が届きました。
「広幡中川のような僻地にサッサと引っ越したのも、私を遠ざけて若い男を迎え入れるためだったのですね。なんという仕打ちでしょう。ああ、つらい。薄情です。あんまりです」
と、いつもの読みにくい字で、書いてこられます。
若い女に狂って、わたくしを捨てた御自分のことは棚に上げて、なんという言い方でしょう! 呆れて言葉もありません。
 
そうこうしているうちに、もう4月も下旬になりました。
陽気がいいので、養女と船岡山へ散策に出たついでに、去年道綱の所に産まれた男の子を見に行きました。大層可愛く、順調に育っています。
 
養女は、あちら(兼家と正妻が暮らす東三条殿)の歳の近い方が入内なさる時、お供して出仕することが決まっております。こればかりは、わたくしがいくら反対しても、仕方のないことです。実の父親であるあの方のご意向でございますから。一度、出仕したら気軽に出歩くこともままならないでしょう。わたくしの所にいる間だけでも、春の陽気がいい時などは、なるべく外に出してあげたいと思っております。
 
帰りの車の中で、養女とウトウトとしながら、
(今日は早い時刻から出がらしだった。屋敷に着いたら、初瀬殿からの文はいくつ届いているかしら)
と思いあぐねておりました。
 
そこへ、鴨川の河原から、あのわたくしの不幸の元凶! 呪われた痩せ犬が這い上がってくるではありませんか! そして、いつもするように、わたくしの車の後にピッタリとついてヨロヨロと歩いてきます。いつものことですが、あの痩せ犬を見た途端にわたくしのカラダは硬直し、恐怖で口もきけなくなりました。


「蜻蛉日記 後半生編―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第2話
https://note.com/yoshihime2024/n/nab4698608a57
 
「蜻蛉日記 後半生編―とどまるところを知らぬノロケをお聞きくださいませ」第3話
https://note.com/yoshihime2024/n/ne5c9925e9dc4
 

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