見出し画像

ジョギング

「ちょっと、ゴルゴタまでジョギングしてくる」
と言うと、娘達は
「オーケー」
と声を合わせて言い、本から目も上げない。
 
時は2022年の夏、スイスのゴムスに滞在中の私は山でジョギングをする。ハイキングのメッカ、ゴムスでジョギングなどをしているのは、日本のオバサンの私くらいだ。
 
ゴムスを訪れる観光客は大抵ゴンドラでアルプスに登りそこからさらに上の木のない岩の山肌を登ったり、氷河の横を歩いたりする。下界でジョギングをしている暇などはないのである。
 
私は体重維持のために走る。たまに日本に帰る度に旧友たちと会食する。彼女達は50を過ぎているというのに、スッキリと細くカモシカのような手足をしている。そんな、優雅に軽やかに東京の街を歩く彼女達に交じって大柄な私がいると、小山かマンモスが動いているような具合になる。なので、ジョギングは欠かせない。
 
私は山の中腹を地面に平行に走る山道を走る。平らなので楽だ。途中で牛を見る。牛の鳴らすベルがのどかだ。ローネ谷の反対側を黄色いポシュテ∙バス(ポスト∙バス。スイスの郵便局が経営するバス)がビン谷から降りてくる。バスが鳴らすトランペットの3音符が反対車線を走る車に、急カーブの先にバスが近づいていることを知らせる。
 
ゴルゴタというのは、私が勝手に名付けた、村の外れからはじまる急な坂道だ。私はトレーニングのために、この坂の麓からてっぺんの自動車道まで走って登る。
 
麓から坂の上まで、キリストの受難劇を扱った12の木彫りの彫刻が、一定の距離をおいて小さなガラス張りのケースに展示されている。だから私はこの坂をゴルゴタと呼ぶ。
 
ゴムスはヴァリスにある。スイスでもカトリック信仰が強い地方だ。畑の真ん中に、道路の脇によく十字架をみかける。キリストが張り付けられているのもあれば、十字架だけのこともある。畑仕事中に、運転中に事故に合わないように、という祈りが込められている。スペインやイタリアやフランスの漁港でみかける十字架と似ている。漁からの無事な帰還を願って建てられた十字架だ。ヨーロパの田舎で十字架を見ると、長野の道祖伸を思い出す。
 
彫刻の入ったケースの1つを調べてみた。鍵穴も扉もない。作者名も記されていない。日本の道端に、地元の人に大切に拝まれているお地蔵様が無造作にまつられているのと似ている。
 
気温はすでに35度。ヴァリスは猛暑で有名だ。日本ほどの湿気はないとはいえ、ジョギング中に汗が噴き出る。ゼイゼイ、ハーハーと、カメのような速度で走りながら急な坂を登る。あー、もう限界だ、と思いながらふと横を見ると、彫刻のキリストが十字架を背負ったまま地面にひれ伏していた。
 
(そうだ! キリストが体験した受難と比べたら、私のこんな苦しみなんて……)
 
坂の頂上にガラス張りの小さな祠がある。半畳ほどのスペースの奥の壁に十字架に架けられたキリストがまつられている。十字架の下、中央に幼子イエスを抱いたマリアが、彼女の右手には永久に若く可憐なマグダレーナが、左手にはマリアの母アンナが立っている。
 
私は、ゼイゼイ、ハーハーと大袈裟に祠の前のベンチに倒れ込むと、息が整うまで祠の中の5人を見ながらボーッと座っている。
 
そうして、5人に、
「また、お会いできましたね。ありがとうございます」
と、礼を言ってゴルゴタを下り、森の中の山道に戻る。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?