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熊野詣日記

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「熊野詣で日記13」 最終回

「熊野詣で日記13」 最終回

朝は、ゆっくりと目が覚める。

まだオリバーもマサキも寝ていたので、私は本棚にあった「日本•ユダヤ 封印の古代史 【仏教•景教篇】」という怪しい本を一人読んでいた。内容はあまり覚えていないが、トンデモ説だとわかっていながらもロマンはある。

大乗仏教の成立にはキリスト教の影響があるというのを他の何かでも読んだことがあるが、イエスキリストの弟子トマスがインドまでやってきたのは知られているそうで、その

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「熊野詣で日記12」〜紀伊勝浦から伊勢へ〜

「熊野詣で日記12」〜紀伊勝浦から伊勢へ〜

3月29日

昨夜はかなり酔っ払っていたのにもかかわらず、目が覚めたのは朝の6時半。 二日酔いもほとんどない。

熊野古道の巡礼中は電波も悪いこともあってほとんどSNSの類いをチェックをしてなかったが、今はあたりまえのようにinstagramを開いていた。

そのスマートフォンの画面の中は、色んな人たちのそれぞれの「日常」が表現されている。 自己顕示欲を満たすため、そして寂しさを紛らわすため皆必死

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「熊野詣で日記 11」 〜観音の浄土〜

「熊野詣で日記 11」 〜観音の浄土〜

3月28日

昨夜は那智高原公園の障害者用のトイレで寝たがのだ、誰も来ることなく、また雨風が防げて、今までの野宿の中では一番快適であった。

オリバーは、ここを「ゲストハウス」と名づけていたが(笑)

5時半に起き、コーヒーを淹れ、出発の用意して、那智高原公園を出たのは6時45分頃。

那智大社まではもう数キロも離れていない。

朝もやの残る高原を降り、山道をとおって那智大社へ向かう。

瀑布

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「熊野詣で日記⑩」 ~トイレで寝るの巻~

「熊野詣で日記⑩」 ~トイレで寝るの巻~

3月27日

5時半くらいに起床しただろうか。昨晩はかなり冷えた。

山深い谷間の、川辺にかかる橋の下にテントを張ったのである。

霜がテントにびっしょりついていてどうりで寒いはずだと思った。寒さのせいで朝の用意も容易にはいかなかった。

コーヒーを淹れ、山崎パンの食パンにバターを塗っただけの食事をとったが、寒さのせいであまり朝食をとった気がしない。

もう4月も間近なのに。

霜を乾かすべく、

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「熊野詣で日記⑨」 〜俺はどこに行っても忙しない日本人〜

「熊野詣で日記⑨」 〜俺はどこに行っても忙しない日本人〜

3月26日

今朝はゆっくりと過ごすことができた。

7時半ぐらいに目が覚めたが、8時くらいまで布団の中で司馬遼太郎さんとドナルド・キーンの対談本を読んでいた。 まだまだ私には知らないことがたくさんある。日本文化に造詣の深い彼ら二人の本はとても刺激になる。

その後、再び温泉に入って最後の湯垢離をし、その後はお粥の朝食を食べた。
ジェイホッパーズは朝食のお粥が無料でついてくるのだ。

宿のスタッ

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「熊野詣で日記⑧」〜天狗ハンティングへ(笑)〜

「熊野詣で日記⑧」〜天狗ハンティングへ(笑)〜

3月25日

朝4時半起床

朝から温泉に入り、熊野本宮の神様に会うための湯垢離をとった。

まだ暗いうちから大日峠を越えて約4キロの道を歩く。

途中から雨が降り始め、合羽を持ってくるのを忘れた私は濡れながら歩いた。

大斎原についたのは6時過ぎだ。

空はもうほの明るい。

熊野川の中洲に鬱蒼とした森が広がる。

昨日のパン屋のおばちゃんはここに天狗がいると言ったが、確かに物の怪でも

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「熊野詣で日記⑦」 ~三越峠~水呑王子~熊野本宮~

「熊野詣で日記⑦」 ~三越峠~水呑王子~熊野本宮~

3月24日

5時半起床。夜は相変わらず寒かったが眠れない程ではない。俺もなかなかタフなもんだと思う。

朝は朝食は食べず、コーヒーをドリップして飲んだ。三越峠の東屋を出発したのは七時前だ。 

今日いよいよ熊野本宮に到着する。

オリバーは、本宮の町で2泊しようと言っていたので、その予定だ。

発心門王子までは杉の植林で荒れ果てた道を進んだ。

オリバーも山が汚いなーと言っていたが、彼はこの杉林

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「熊野詣で日記⑥」〜高原~牛馬童子~継桜王子~三越峠篇〜

「熊野詣で日記⑥」〜高原~牛馬童子~継桜王子~三越峠篇〜

3月23日

朝は5時半起床。

夜中は寒くて何度か起きたが、寝られないほど寒いというわけでもない。

高原の展望台の朝はとても清々しい。

一帯の空気には都会にはない冷たさと清らかさがあり、展望台の下の数々の棚田と水車が、まださほど高くは登っていない明朝の太陽のほの明るい陽光を受けて幻想的に映えていた。

遠くには深い山脈が延々と折り重なる。

右方の山々一帯は「果無(はてなし)」というらしく、

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「熊野詣日記⑤」 ~中辺路を往く 紀伊田辺~滝尻王子~高原 篇~

「熊野詣日記⑤」 ~中辺路を往く 紀伊田辺~滝尻王子~高原 篇~

3月22日

今日からいよいよ、熊野に向けた本格的な旅になる。

朝8時くらいに起きたが、オリバーがまだ寝ていたので私は一人で近くの闘鶏神社に行った。若干曇ってはいたが静かで穏やかな天気の朝だった。

闘鶏神社は、武蔵坊弁慶の出身地だと言われている。

「平家物語」によると、熊野別当(注1)・湛増(たんぞう)は源平合戦のとき、この社地の鶏を紅白に分けて戦わせ神意を問い、白の鶏が勝ったことから源氏に

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「熊野詣で日記④」 〜高野山 篇〜

「熊野詣で日記④」 〜高野山 篇〜

3月21日

「タク! 何やってる!」

私は朝6時に急かすオリバーの声で目が冷めた。部屋のドアが開きっぱなしだったらしく、昨晩風呂でへべれけになってそのまま寝てたに違いない。

6時32分の高野山方面に行く電車に乗る予定だったが、私の寝坊のため遅れた。

恥ずかしながら昨日は飲みすぎたようだ。

私たちはこれから、高野山へ向かう。 3月21日は高野山奥の院で「正御影供(しょうみえく)」が行われる

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「熊野詣で日記③」 ~そもそも熊野古道とは何なのか~

「熊野詣で日記③」 ~そもそも熊野古道とは何なのか~

3月20日

七時半頃起床。意外と二日酔いはなく、その後だらだらと本を読んだりして9時過ぎに活動開始。3畳半の部屋は思いのほか快適だ。

オリバーを起こしに行ったが彼はかなりの二日酔いのようであった。

私たちはモーニングを食おうと、喫茶店を探しにうろついて、通天閣のほうにある店に入った。

朝飯を食いながら、熊野古道のどのルートを歩くか、どこで寝るかなど色々とより詳細な計画を練った。

私たちは

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「熊野詣で日記②」 〜大阪、西成、ストリップ篇〜

「熊野詣で日記②」 〜大阪、西成、ストリップ篇〜

3月19 日

夜行バスは朝7時、無事に難波に到着した。久々のバスの旅は寝苦しくて仕方がなかったが、そんなことよりも久々の旅のワクワク感の方が圧倒的に優っていて、気分は高揚していた。

難波からは新今宮駅に行き、まずは予約していた西成の宿「PARK INN」へ向かった。

朝が早すぎたためかフロントが空いていなかった。
仕方なく私達は荷物を近くのラゲッジサービスに預け(二人分で200円)西成を歩い

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「熊野詣で日記①」 〜1年に2度目の失職(笑)、そして旅立ち篇〜

「熊野詣で日記①」 〜1年に2度目の失職(笑)、そして旅立ち篇〜

もうちょうど一年前に熊野古道を歩いた時の日記をiPadに残していたのを思い出し、その日記を編集しnoteに残すことにしました。

今後熊野詣でをする人や、熊野に興味のある方の助けになれば幸いです。ただ、熊野と関係ないことも多いですが、あしからず。これから数日間連続投稿していきます。お時間の許す限り少しでもお付き合いいただけたら幸いです。

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2021年2月、私は勤め

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