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体力には限界がある、ということを忘れずに

もっと文章を書きたい。仕事を始めてから、思うように書けない。そりゃそうだ。仕事をしていないときは、拘束されていなかった。毎日書いて、それ以外の時間は休む、という生活リズムも可能だった。今は復職して、平日は働いていて、働いていないときは休んでいる。仕事以外の時間に何かをやろうとするのは、少し無理があるのかもしれない。

書く時間や体力(や書くことへのハードルが低くなる仕組み)をどうにかしていきたいんだけど、今はとりあえず仕事で精一杯かもしれない。そして、それでいい。それでいいと、何度も僕自身に伝えてあげたい。昔から、ペースや体力をあまり気にせず、思い付いたら「あれもやりたい、これもやりたい」と考える癖があった。

たくさんのことをいっぺんにやろうとして、結局どれもうまくいかない。焦っているから、前に進んでいる感覚、何かを積み上げられている感覚があまり生まれない。(自分が勝手に設定した)完璧を目指すから、「これではダメだ、自分はダメだ」とよく自分を責める。だから続かない。全てをピタッと止めてしまう。ただの三日坊主で、面倒くさがりなだけってのもあるけど、「小さくコツコツ、一つのことに集中して、着実に」がずっと苦手だった。

うつ病になって、大切なことに気付いた。「体力には限界がある」ということ。こうやって書くと当たり前すぎることで、みんな意識して生活しているのかもしれないけれど、僕はあまり気にしていなかったように思う。当然、体を動かしたら息切れする、みたいなレベルの理解は当たり前にあった。体育の時間の持久走が大嫌いで、今でもよく思い出すし、「ずっと走ることはできない、ペースを上げたら肺や筋肉が疲れる」という身体的な仕組みを理解してなかったという訳ではない。

ただ、「気合い」や「意志力」みたいな概念で何となく色々なことを片付けて、「何をして、どんなことが原因で、エネルギーを消費したり、心身にダメージを受けたりするのか」をあまり理解していなかった。「それが趣味であっても、ただ人と話すだけであっても、何かをするときに体力(や気力、認知資源などの心身のエネルギー)を必ず消費して、一日に使えるエネルギーの量は決まっていて、しっかり休まないとエネルギーが不足したまま次の日を迎える」という原則を無視して生活をしていたんだと思う。

捉え方を変えると、「うつ病になるまでは、何とかなってしまっていた」ということなんだと思う。ある日、整骨院に行ったときに、担当してくれた整復師の方がこんなことを言っていた。「疲れを我慢できてしまう人がいる。施術していると、『この状態でよく耐えているな』という人がいる。そういう人たちは、体がギリギリになるまで、知らず知らず我慢できてしまう。けど、あるとき、ポキっときて、急に強烈な痛みを感じる」と。そのときは腰が痛くて整骨院に行ったんだけど、僕もその「我慢できてしまう人」に該当するほど、状態が悪かった。

心と体で同じことが言えるのか分からないけれど、うつ病になったのも、「我慢できてしまう」がずっと悪さをしていたのかもしれない。怖がりで弱気だし、自分のことを「メンタルが強い」の反対側にいる人間だとは思っていたけど、だからこそ「自分の耐性や弱さ、溜め込んだ疲れや否定的な感情」の危険度をずっと見誤っていた。いや、「見誤った」とまで言えるほど、そもそも観察をしていなかった。

自分の辛さや経験を矮小化するつもりはなかったのだけど、うつ病になった後に度々、「一般的に、うつ病になる人って、もっと過酷な経験、長時間労働や嫌がらせなどを経験したのではないだろうか。僕は大したことを経験していないのに、うつ病になってしまった」という風な考え方をしてしまっていた。正直に言うと、今でも時々考えてしまう。

これからも大切に心に住まわせておきたい考え方として、「体力には限界がある」に付け加えるとするなら、「体力や耐性は人によってバラバラで、何に、どのくらいエネルギーを消費するかは人によって(そしてそのときの心の状態によって)違う」だと思う。

「普通は簡単に我慢できてしまうから」「他の人はみんな平気なんだから」が、自分に当てはまらない場合がある。僕は、自分の特性や体力の限界、疲れ具合にアンテナを向けてこなかった。どんな衝撃で、どれくらい心にダメージを受けるのか(そして今どれくらいダメージが残っているのか)、気にも留めなかった。結果として、体力を前借りしてしまい、気付いたときには、大好きだった映画鑑賞が楽しめなくなっていた。

だから今、ペースを大切にしたい。体力を限界を意識しながら、着実に一つ一つこなしていきたい。

やりたいことがあって、体力がなくて今できないと感じるなら、他に今やっていることを減らしたり、残っている体力で対応できるくらいハードルを低くしたり、できる工夫は色々あると思うし、「人生において注げる時間は有限だから、やりたいなら、今すぐにでもガツンと始めた方がいい」「とにかく速く改善サイクルを回して、たくさん挑戦した方がいい」というメッセージも分かる。ただ、焦燥感に駆られてペースを乱すことは避けたいと思う。

自分に合ったペースで、心身を大事に生活するのが、今の僕にとって大切なことだ。少し仰々しくも聞こえるかもしれないけれど「死ぬまでに何にエネルギーを注ぎたいだろう、何に魂を捧げたいだろう」と、しつこいくらい考えて、日々の小さい達成を大切にしたい。

常に計画通りうまくいく訳ではない。いつも落ち着いて、正しい選択ができる訳ではない。自我や焦燥感に惑わされながら、迷って戸惑ってイライラして悩みながら、ぐねぐねと進む。それが「どう生きるか」という命題な気もする。刺激が強い、中毒性のある喜びではなく、どっしりと地に足が付いたような、そんな充実感を大切にしたい。

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