天井

葦の髄から. 地球上の生物であることをやめたい。 というか生物であることをやめたい。

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葦の髄から. 地球上の生物であることをやめたい。 というか生物であることをやめたい。

最近の記事

マイクロチップの義務化

 既にお家にいるコたちは努力義務ですね。  テレアサニュースのツイートを見た感じ、結構反対している人がいるみたいです。  そしてそこからペットショップの廃止という意見が展開される。  割とお約束になっているなと思います。  マイクロチップの挿入に問題しかないなら当然ながら義務にはなりません。  義務になる前から、意識の高いペットショップほど既にマイクロチップを入れたコのみお迎え可能になっていると思います。  マイクロチップを入れる利点は3つでしょうか。 1、災害時の迷

    • たまに考えること

      生きているとまあ、人生で何度かは赤の他人に突然危害を加えられたりすると思うんです。 自分に過失はなく、突然にね。 そうした時、喫驚が先に立っちゃって声をあげたり防衛したりってなかなか難しいと思うんですけれど、もし危害を加えてきた人間を殺した場合、やっぱり正当防衛になるのって難しいんですかね。 過剰防衛になってしまう? AさんがBさんに加害をした結果、Bさんに返り討ちにされて死んでしまったとして、やっぱりBさんは悪くないと思うんですよね。 たとえ、Aさんがごめんなさいって謝

      • パチパチするチョコが食べたい

        口の中で弾けるあの感覚、堪らないんだよね〜。 でもなかなかどうして、売ってないんだよね〜。 最近どっかでメリーのパチパチチョコがバズってた気がするんだ。人気あるんじゃん。お菓子各社さん、もっと作ってくれてもよくないかーい? 多分バズって売れるよ〜ロングセラーにはならないかもだけどさ。 私は知っているんです。無印では過去、パチパチチョコが売られていたという事実を。 でも売れ筋悪かったみたいね(笑) 大衆はトレンドに乗ってあっちゃこっちゃをフワフワ飛ぶのだから、過去人気がなく

        • 柿を焼いた

          いつの間にか、オヤツを食べないと1日を終えられなくなった。 お腹が空いているからオヤツを食べるんじゃなくて、オヤツを食べたいからオヤツを食べている。 いったい何時からそうなったんだったか。 どちらかと言うと私は食べない方だ。 「食べることに興味ないよね、トイプー?」とたまに言われる。(健啖家なトイプーもいるよ。) 一時期、お菓子を食べることを一切やめていたのが、凡そ半年間くらい。 あの頃は本当にご飯以外を食べなかった。 でも、人生でその半年間以外はオヤツを食べていた。

        マイクロチップの義務化

          続 人間に生まれたくなかった

          前にもこんなタイトルで何かを書いた気がする。 何かひとつ嫌なことが起きると、それまであった幸せなことをうっかり忘れてしまう。嫌なことに対してとても大きな精神的リソースを割いてしまう。 5個良いことがあっても1個の悪いことでその日はクソクラエな1日になりがちだ。私の場合。 水をさされて、瞬間、無になる。あーね、と心の中で呟く。 そして死にたくなる。なんて簡単に死にたくなるんだ。私の精神が儚すぎてかわいい。より虐めたくなる。 普段はあっぱらぱーで、毎日ハピハピに生きてるんだ。

          続 人間に生まれたくなかった

          その辺の石ころになりたい

          路傍の石って素敵なタイトルですよね。 学校の教科書に載っていましたっけ。どこで覚えたのかどうも忘れてしまいました。内容も知りません。国語の教科書は全教科で最もよく失くしました。 作品とは全く関係がありませんが、私はこれになりたいです。 とてつもなく長い年月を経ていつかはなれるかもしれませんが、そういうお話ではなく、人間から石に変身したいんです。 ある朝、毛布の中で石になっているんです。石像じゃないですよ。その辺に転がっているような小指の先くらいの石です。 誰も私を知らず、

          その辺の石ころになりたい

          11月末日

          毎日毎月毎年、終わるたびに虚しさを覚える。 今日もどれだけの時間を無為に過ごしたかな。 時間は有限。人生は儚い。 死ぬまで何回このフレーズを聞くだろうね。 うんざりする。 まるで有意義に時間を使わないことを罪のように言うじゃないか。虚しくなんて感じたくない。 そう感じさせるのは根底に無駄を厭う社会に洗脳されてるからだ。毎日精力的に生きねばならない。なんてのは詭弁だ。 堕落しない程度に無気力でありたい。その状態を肯定したい。頑張ってもストレス、頑張らなくてもストレスなんてご

          11月末日

          労働に対する意識の変化、過渡期の新社会人

          ここ数年、生活の優先順位に変化を望む声がよくあがるようになったと思う。 仕事より趣味、仕事より家庭。働き方改革。 もっと休みを。健やかな生活を。充実した毎日を。 海の外には日本より短い労働時間で高い生産性を誇る優秀な国が多いと憧れを抱く人は多いだろう。 私はそうだ。外の国に憧れる。実際のところどうかは知らない。外で働きたいわけじゃない。日本が私の憧れる外のようになればいいと投げやりに思うのだ。 実際はならない。 ならないから夢想するだけ。 憧れの国も実のところ九割方想像の産

          労働に対する意識の変化、過渡期の新社会人

          給食の記憶

          Twitterで、給食の完食に対するツイートを見かけて「ああ…あったなあ」と思い出した。 給食の完食を強要されるということ 給食といえば100%出ていた牛乳。 これが私は大嫌いだ。今でもそのままでは飲めない。というかもうチャレンジすらする気にならない。そのままでなければ飲めるのだから。 あれは1、2年生の時だ。 牛乳を飲むのが嫌で、でも飲まないといけなかった。昼休みずっと教室でストローを咥えて微々たる量を少しずつ飲み込んでいた。飲み終わるまで席を立ってはいけない。こんな

          給食の記憶

          夜にだけ眠れない

          こうして日の出を見るのはもう何度目だ。 数えるのもあほらしい。毎日だ。 ごく稀に夜眠れる日もあるけどな。4時くらいに。 頭が痛い。目が痛い。けれどよく冴えている。今日も眠気はまだない。 午前零時から日の出まで、まんじりともしないで横になっている。時間の無駄だ。 なぜ眠れないかというと、いくつか理由は考えていて、 1、昼間は寝るから 2、夜が好きだから 3、悪夢を見るから 4、習慣 5、寝ないのは赤子の頃からと聞いた ざっとこんな具合。 1の昼間の睡眠は昼前に2,3時間ほ

          夜にだけ眠れない

          胡蝶の夢

          夢の中で幾晩過ごしたんだろう。 1ヶ月くらい? 寝ていたのはたったの1時間だったけどね。 夢の中で悪夢を見たんだ。毎晩。悪夢は毎度同じ舞台でね。夢の中で起きて、また寝るとその場所に飛ばされるんだ。もちろん、夢の中でね。 悪夢は、一晩一晩は別に怖くないんだ。 日常のような悪夢でね。ただ少し、少しずつズレを感じるというか。違和感が少しずつ増えていくというか。なのに違和感を感知できなくなるというか。いや、難しいね。目の前で人が死ぬのを日常だと思っていたんだ。血を浴びるのは夢の中

          胡蝶の夢

          私は私の名前が嫌いだ

          名前は時に性別を持っている。 例えば『郎』の字やら『子』の字やら。 会うまでもなく、確実に性別がわかる字。 それなりの人が持つだろうこういった字を自分も名前に持っている。 私は私の名前が嫌いだ。 名前の持つ性別が嫌いだ。 改名するほど厭っているわけではない。生活に支障もない。けど嫌いだ。 自分の性別は嫌いじゃない。異性になりたいわけでもない。正直どっちの性別でもいいと思う。 ただ、性別を自分の認識で決めてもいいこの時世で、自分で決めるまでもなく勝手に決定付けられた名前の

          私は私の名前が嫌いだ

          気づいた

          毎日を惰性で生きている理由。 何に対しても興味を持てない理由。 面倒臭いが口癖になった理由。 本が読めなくなった理由。 思考が鈍くなった理由。 脳のせいだ。 私がそんな脳にしてしまった。 日々の運動不足。 決まったルーティン。 朝寝昼起き。 覚えたことは自分の脳にインプットする代わりにスマホに記録するばかり。 スマホスマホスマホ。 なんでもこなせる代償なのかな。 脳の機能が明らかに落ちている。 もしこの機能がまた活性化したら、私は日々を楽しめるのだろうか。 本が読める

          気づいた

          自分の知らない世界のこと

          人はさ、大抵目に見えるだけが自分の世界になると思うんだ。 というか、目に見えない世界のことは推測でしか語れないよね? 昨今はネットの普及で、情報は大概錯綜している。きちんとした文献、研究資料ほど読み辛く埋もれているものだ。 さらに、確かな文献を読んだとしても、正しい理解が可能かというと、また違う。 同じ文献を読んだとしても、その人の持つ先入観と融合を果たせば、その理解の先は一致しない。 ましてや、文を正しく読むということすら、存外難しいのだ。 人の数だけ理解には差ができる

          自分の知らない世界のこと

          5歳児の時間

          最近妙に昔のことを思い出す。 その中のひとつ、私が5歳児だった時のかすかな記憶。 友人の家にお泊まりに行く日だった。 親同士の決めた約束の時間。 5歳児だった私に、時間の概念なんてものはなかった。否、多少はあったけれど、気にすることがなかった。なんせ、自分で自分の時間を管理する機会などなかったのだから。自分自身が親に管理される身だ。 さらに、とかくじっとしていられない子どもだったもので、時計が動いているというのも俄かに信じ難かった。我が家の愛されし時計には秒針がない。 「

          5歳児の時間

          明日の予定はない

          明日は月曜だよ。 平日に予定がないなんて、と思うか? あはは、私ってばいいご身分だよね。 最近、顔も名前も知らない人にあなたの文が好きだと言われたんだ。 嬉しくもなるよね。 ここじゃない別のところの話さ。 もっと人との距離が近いんだ。 いつも気の向いた時に書き連ねていただけの文に少し意味が加わったんだよ。 もちろん、noteのスキも私に少しの意味をくれる。まあ、大元は自分のためって決まっているけどね。 人に左右されるのは悪いことじゃないけど、私には合わないからさぁ。 で

          明日の予定はない