続 人間に生まれたくなかった

前にもこんなタイトルで何かを書いた気がする。


何かひとつ嫌なことが起きると、それまであった幸せなことをうっかり忘れてしまう。嫌なことに対してとても大きな精神的リソースを割いてしまう。

5個良いことがあっても1個の悪いことでその日はクソクラエな1日になりがちだ。私の場合。
水をさされて、瞬間、無になる。あーね、と心の中で呟く。
そして死にたくなる。なんて簡単に死にたくなるんだ。私の精神が儚すぎてかわいい。より虐めたくなる。
普段はあっぱらぱーで、毎日ハピハピに生きてるんだ。でも時々我に返るように、あーね。と呟く。ものすごく冷めた声で。

この落ち込みはなんだろうか。以前思いやりに欠ける友人から躁鬱病みたいだねと言われたことがある。憮然とした。
失礼なやつだけど、そうかもしれないとも思う。

毎日楽しく生きたいなんてまあ幸せなことは願わないから、毎日恙なく、谷も山もいらないので静かに生活したい。誰に頼る必要もなく、物理的にも精神的にも自立した人間になりたい。

これは裏返すと、多分なんだけれども、誰にも干渉されず、誰にも干渉しない人間になりたいという意味なんだと思う。
それって、つまるところ私の存在する理由が私にしかない状態なんだ。

幽霊みたいだろう。

誰も必要とせず、誰にも必要とされない。
人によったら多分たえられないよね。承認欲求が死に絶えればいいんだけれど。
かくいう私も多分耐えられないと思う。
そのうち幽霊を通り越して、怪物になりそうだ。だから、理想だよ。
人間に生まれたのがきっと間違いだった。

今からでも生まれる前に戻れないかな。
違う精子に受精してほしい。
あるいは、私の両親が河童だったらよかった。

くだらないことばかり考える私には、この脳も体ももったいない。
そう考えて、高校生だった私はせめてと献血にチャレンジしたけれど、体重も足りなければ血液の成分も基準に足りなくてさよならをされた。大学生になってもだめだった。

なんだか足りてないものが多すぎるみたいだ。
水のない水筒だろうか。肝心の液体がなければ水筒はいらない。私の体は筒か。

なんだか、何をしても空虚なんだよ。
何かが足りていない気がして、いつかふとした瞬間に、醒めてしまうんだから何をしても無駄に思えるんだろうな。

本当は、足りないものなんて自力で見つけて勝手に作れるものだと思うんだ。でもそうするのは大変そうだから、私はきっと死ぬまで空虚で、受け入れた方が楽だと考えるんだと思う。

人間としての理想像はあるのに、理想があまりにも理想すぎて、あーあ、人間になんて生まれなければよかった、と思うのかな。




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