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かりそめの日々を送りながら。

一年が経ちました。

昨年2023年9月9日、9時5分。
母が息を引き取りました。
配偶者もおらず、子供は僕だけ。
最期を見送るのは僕にしかできない。
そう考えて過ごしてきましたが、
葬儀を機に
長らく疎遠だった親類と繋がり
一周忌も先日行うことができました。

6人きょうだいの いとこが居ましてね、
ひとりっ子の僕ですが
法事で和歌山で会ったときは
自分のきょうだいのような
そんな気持ちを持つときがあります。

一方で
名古屋での自分の生活には
変化が起こりつつあります。
もうすぐ具体化することになるんですが、
これまでの数年は
どこか今が人生の本番じゃないような、
ずっと表に出られていないような、
なんだか仮の人生を送っているような、 
そんな気持ちで過ごしています。

すごく落ちてるときには、
最悪のことも考えます。
三浦春馬さんは連ドラの撮影中だったな。
竹内結子さんには子どもが居たよな。
上島竜兵さんはあんなに仲間に囲まれていて
しあわせそうに思ったけど
それでもそういう選択をしたんだな。
ああ、人って何か区切りがあったときを
必ずしも選ぶわけではないんだな、って。
それとともに、
「いつでも居なくなることはできるんだよ。」
そう自分に言い聞かせてきました。
それと、
母が生きてるうちは生きてないといけないな、
とも。


少なくともいまは大丈夫。
いまの心の中は少し凪です。
ただ、平和で穏やかな気分で気持ちよく
過ごしていたいなと思っています。

前のnoteから随分時間が経ちましたが
また書いていきたいと思います。

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