今の自分を支える1100日連続の新聞配達が僕にくれた、一生モノの宝(╹◡╹)♡
新聞配達との出会い
二十歳の頃、毎日新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら、夜間専門学校に通っていました。
新聞配達は日曜日の夕刊と月一の休刊日以外は、基本仕事なので、ほぼ3年間の間は、1,100日連続勤務状態でした。※勤務時間超過はありません。
ちなみに朝刊は3時から6時半、夕刊はチラシセットを含めて14時から17時、そして夜は18時から21時まで学校で授業。授業が終わるとよく吹田駅で弾き語りをしていました。
※酔っ払いに追いかけられた事もあります。笑
週に一回日曜日の朝刊を配り終えたら宇治の実家に戻り、その日の夜にまた吹田に帰る。ひたすらこの暮らしを繰り返しました。
雨の日も、風の日も、炎天下の日も、雪の日も、熱が出ても寝不足でも休む事は出来ません。
今でも覚えていますが、研修の初日は土砂降りでした。雨ガッパを着ながら研修を受けた時正直「コレは絶対に無理だ」と思いました。
自分で決めた事とは言え、初めての一人暮らしと新聞配達をしながら夜間学校に通う生活のスタートは、当時の僕にとっては絶望的でした。
雨の日にバイクを倒したり、新聞の配り忘れで、店長やお客様に怒られたり、時々寝坊して迷惑をかけたり、色んな失敗もありました。
正直、毎日辞めたいと思っていました。
毎日新聞なのに(笑)
幸せを感じる時
それでも、ささやかな幸せを感じる事もありました。職場のおじさんがよく「宮川くんタコ焼き食べよか」と言って近所のタコ焼きを買ってきてくれて一緒に食べました。
また、新聞が届くまでの間、紙を丸めて作ったバットとボールで野球をしました。
その他にも、真冬の朝焼けや、極寒の中で飲むホットコーヒー、新聞配達終わりのジュース。どれも大したことでは無いのですが、その景色や味には格別なものがありました。
新聞配達とのお別れ
とにかく永遠に続きそうな感じさえした新聞配達でしたが、その生活にもいよいよ最終日がやってきました。後任への引き続きを完璧に終え、自分の新聞配達がついに終わりました。
その日、部屋に返ってヘルメットを脱いだ瞬間玄関で泣き崩れました。これには自分でもビックリしたのですが、もう二度と新聞配達であの道を走る事はない。みんなとタコ焼きを食べたり、野球をする事もない。一緒に働く事もない。そう思うと強烈な寂しさに襲われてしまいました。
あんなに嫌だったのに。
あんなに毎日辞めたがってたのに。
毎日新聞との再会
あれから二十年以上の月日が流れました。
今日の朝も僕は毎日新聞を読みました。
いつもポストで新聞を取る時「今日も誰かが届けてくれたんだな、有難とう」と思いながら新聞を手にとります。
特に天気の悪い日やチラシが多くて太い新聞が届いた日には、より感謝の気持ちが強くなります。
ちなみに、毎日新聞の契約をした時の担当者さんの名前が僕と同じ「宮川さん」という人だったのですが、コレってきっと必然なんでしょうね♡
新聞配達がくれたモノ
そんな新聞配達の話だったのですが、新聞配達が僕にくれたものは、たくさんあります。
忍耐力。
物事を長い目で見る力。
時間の使い方。
ポジティブなあきらめ。
何もないところに幸せを見つける力。
責任感。
状況を楽しむ力。
数え上げたらキリがありません。
全て現在に活きています。
どれも一生モノの宝です。
おわりに
20年前に作った「点」が30代後半から「線」へと繋がる事が一気に増えました。
あの時は、死ぬ程嫌な日々でしたが、今はあの頃の自分に心から「有難とう」と言いたいです。
また、新聞奨学生として未熟な僕を受け入れ、育て、鍛えて下さった毎日新聞さんにこの場を借りて感謝の気持ちを伝えさせて下さい。
こうして今、毎日noteが続いているのも、毎日新聞でお世話になったからかも知れません♬
多少辛い事があっても、あの時より全然マシだと思えるので、相当タフな方だと思います。
「本当に有難うございました」
「おかげ様で今も頑張って生きてます」
以上「新聞配達が僕にくれたもの」でした。
最後までお読み頂き、有難とうございました!
毎日育英会
「お金が無いから進学できない」
もし、そんな風に考えている人がいたら、人のせい、環境のせいではなく、新聞配達しながらでも勉強をする方法はあります。
弱い僕にでも、なんとかやり通す事が出来ました。一つの選択肢としてこんなやり方もあるのだという事を知って頂ければ幸いです。
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