白川ユウコ

コスモス短歌会会員、COCOONの会メンバー。歌集『乙女ノ本懐』六花書林、『制服少女三…

白川ユウコ

コスモス短歌会会員、COCOONの会メンバー。歌集『乙女ノ本懐』六花書林、『制服少女三十景』フーコー/星雲社。

最近の記事

大西淳子歌集『火の記憶』評~ロスジェネと“溜め”

歌集評 大西淳子『火の記憶』青磁社 二〇二二年  『火の記憶』は大西淳子の第三歌集。二〇一五年から二〇二二年の四八八首を収録。 涼やかにそうめん入るるみずいろのガラス食器は火の記憶持つ  表題となっているこの歌は、うつくしい手吹きガラスの器だろう、それがそれになる前の姿に想いを馳せる。冷たく心地よい現在の感触とは対照的な熱気。歌集全体を一読してから読み返すと、これは、苛烈な炎熱に焼かれながらもまったく平気そうに、涼しい顔をして生きている作者自らの姿ではないかと思えてくる

    • 河合育子歌集『春の質量』評

      『春の質量』は河合育子さんの第一歌集。二〇一一年から二〇二二年の作品を収め、満を持しての出版である。  コスモス内勉強会COCOONが二〇一五年に発足して河合さんを知って以来、感覚、表現、技術のたしかさに注目してきた。 マフラーをゆるめて歩む三月のわれはほどける欅の冬芽  春の近づくぬくもりを自分のマフラーと、繊毛にけぶる欅の芽とで共有する。このような細やかさ、あたたかみがよく詠まれ、丸っこい植物の芽や蕾、もふもふとした小動物、ちょこちょこした昆虫をやさしくつかまえる。 

      • ゼロ年代ブックオフ店員の記憶

         「いらっしゃいませー!」いらっしゃいませー!いらっしゃいませー!…これは〈やまびこ〉。一日の目標として、ダッシュ(お客様やスタッフのもとへ小走りで駆け付ける)出し切り(入荷した商品はその日のうちに陳列)、スマイル(常に笑顔)、やまびこ(冒頭の大声複唱)。カウンター内からはコミックスの小口の汚れを削るガス―!ガス―!という研磨機の音。二〇〇〇年代初頭のブックオフの店員のテンションの高さは異常だった。私は奇妙に明るいサービス!サービス!の二〇年前にアルバイトとして働いていた。

        • 中澤系とその時代~コスモス 新・評論の場

          3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって            中澤系『uta0001.txt』二〇〇四年  プラットフォームのスピーカーから聞こえる上の句。いつもの駅の風景だ。だが、下の句の声はどこから響いてくるのか。一瞬で「理解」してしまった筆者は、その分析や解体は野暮と承知で書かねばなるまい。閃光のようなこの下の句の意味を、中澤系の歌についてを。「理解できない人」は、常識的で善良で平和に暮らしてこられた人たちなのだろう。そちらがわに向かって。 出口なし それ

        大西淳子歌集『火の記憶』評~ロスジェネと“溜め”

          吉野家炎上に寄せて~「狙い目は田舎娘!!」と私

           2020年4月16日の早稲田大学社会人講座における吉野家常務取締役企画本部長(本日解任)伊東正明氏の発言「生娘シャブ漬け戦略」がFacebookで告発されtwitterで炎上、テレビにも取り上げられ炎上中だ。燃ゆるがままに燃えしめよ。  「センスがAV」とも言われているが、「シャブ漬け」はビデ倫を通らない。エロ漫画を描いている人も「商業誌は性行為以外の犯罪に厳しい」と呟いている。現在流通しているポルノグラフィではなくて、このノリは1990年代末のいわゆる「鬼畜系」の流れでは

          吉野家炎上に寄せて~「狙い目は田舎娘!!」と私

          映画「のさりの島」を観てきました

          2021年7月24日、浜松シネマイーラにて映画「のさりの島」を観にいってきました。 ※ネタバレあり。けっこうがっつり書きます。山本起也監督許可済み。  のさり、というふしぎな言葉は、大分県出身の友人も聞いたことがあると話していました。運がいい、めぐりあわせが悪い、など、良くも悪くも使うのだとか。「前世の徳とか業にかかわること?」と訊くと、「そこまでの因果は感じないなあ。銀のスプーンを咥えて生まれた、みたいなのに近いかも。生まれつきたまたま、みたいな。」  映画が始

          映画「のさりの島」を観てきました

          Zガンダムとおばあちゃん~白川ユウコの昭和ノスタル少女伝②

          「機動戦士Zガンダム 星を継ぐもの」を観ました。DVDをレンタルして、昼間のんびりと。  Zガンダム映画版三部作の一本目。テレビシリーズの映像を編集しなおして、新作映像で繋いでいるという造りでした。  古い絵のアニメ画像を観ているとおもいだすのは、これをリアルタイムで観ていた子どものころのことです。小学校五年生ぐらいでしょうか。  リアルタイムといっても再放送で、土曜日の五時半には「機動戦士ガンダムZZ」が放送されていて、月曜日から金曜日の夕方にZガンダムの放映だった

          Zガンダムとおばあちゃん~白川ユウコの昭和ノスタル少女伝②

          続・甘味の短歌史 コスモス新・評論の場 2017年

           かの子とドラえもん はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうをひとつ喰(とう)べぬ    岡本かの子『浴身』大正十四年 栗まんじゆうの栗を前歯にこちこちと噛みつつ春の雨脚を見る  はてしなき〈おもひ〉。これは〈なやみ〉とは違うように思えまいか。ネガティブな考えではなく、とりとめなく誇大・肥大した妄想、壮大な計画、遠大な未来予測…。このような感覚を有するのは岡本かの子に限らず例えば、 馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る 安立スハ

          続・甘味の短歌史 コスモス新・評論の場 2017年

          甘味の短歌史 コスモス 新・評論の場 2016年

          はじめに  どんなものを食べているのか言ってくれたまえ、君の人となりを言い当ててみせよう。とはブリヤ・サヴァランの有名すぎる箴言だが、ロラン・バルトはさらに食事と言語が口腔という同一器官に関わる営みであるとし、タイトルそれもラ・ラングLa langueと銘打つ考察を試みている。彼に倣い「口唇性」の概念によって、言葉であらわされるもの、なかんずく「うた」、近現代の短歌を読み解いていこうと思う。  食べ物を詠んだ短歌は数多く、和歌の成立時から見ていけば膨大な数にのぼる。ここでは

          甘味の短歌史 コスモス 新・評論の場 2016年

          白川ユウコの昭和ノスタル少女伝~少年サンデーと大叔父の松葉杖

          松葉杖つきつつわれに大叔父が買いてくれたる少年サンデー Mixiコミュ「サルでも詠める短歌教室」、今年の「第十回サル短賞」で一位になったこの作品の自解を書く約束だったので、書きます。  「かみあしのおじさん」と呼んでいたのは、住んでいるのがとなりの区域の「上足洗」だったこと、足が不自由でいつも松葉杖をついて生活していたことが物心ついたころから頭のなかでごっちゃになっていて、そう呼びながらときどき家から歩いておじさんの家に遊びに行っていました。  おじさんは、「アッコ(姉)

          白川ユウコの昭和ノスタル少女伝~少年サンデーと大叔父の松葉杖

          オニグルミ~実家の大木伐採の記録

           二年越しの計画で実家のオニグルミの大木を伐採しました。樹齢は四十余年。元々は父が蝶の飼育のために植えたものですが、夏になるとアメリカシロヒトリという蛾の幼虫が大発生し、白い毛虫で毒はないけれど洗濯物にくっついて始末が悪く、毎年伸びた枝を秋に父が高枝鋏で落とすのだけれど、もう八十歳を迎えての作業はしんどくなってきました。  いつもお喋りに寄る呉服屋さんのマダムが、知り合いに宮大工で落語愛好家でという人がいて、と言ったのを聞き逃さなかった私はすかさずご紹介を頼みました。  二〇

          オニグルミ~実家の大木伐採の記録

          ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 追記その② 七間町の屏風絵

           夢ではありません。たしかにこの目で見たのです。しかし、今となってはそれは幻となってしまいました。  私が中学生、ふたつ歳上の姉が高校生の頃です。1991年ごろ。  昼下がりの静岡の繁華街を二人で散策し、呉服町から七間町へ、そして、青葉通りに抜けようと裏道に入りました。  裏の路地には得体の知れない飲み屋があったり、それに混じってお洒落な洋服屋があったり、雑貨屋さんができたり、当時はバブル経済真っ只中、チェックしているときりがない、混沌とした面白い街並みでした。  あれ?こん

          ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 追記その② 七間町の屏風絵

          馬酔木の名前~若奥さんと私~

           「若奥さん」と呼ぶように言われたけれど年のころは私の母と同じぐらいではないでしょうか。大学の卒業論文が一段落し、都内の近くの和菓子屋さんでアルバイトを始めました。一九九九年のことです。豆餅と豆大福がおいしいことで有名なお店で、またそのころはNHKみんなのうた「だんご三兄弟」大ヒットの効果で串団子が飛ぶように売れていました。  文京区の交差点にあるお店は、ショーケースでの販売と喫茶室があり、女性店長と、売り子が私を含めて三名、喫茶の厨房係兼ウエイトレスが四名、工房とお店を行き

          馬酔木の名前~若奥さんと私~

          歌物語の現在~短歌と生きづらさ~ コスモス新・評論の場 2019年11月号

            手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこ   の世の息が         河野裕子 ニ〇一〇年八月十一日 口述筆記         まさに絶唱というべき歌を遺して去った河野裕子。  死後、彼女の関連書籍が多く出版された。『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』産経新聞出版、『たとへば君―四十年の恋歌』文藝春秋、『河野裕子読本』角川学芸出版、その他、エッセイなどの遺稿をまとめたものの数々。  壮絶な癌との闘病の末に、その死をもって歌人としての人生を不動のもの

          歌物語の現在~短歌と生きづらさ~ コスモス新・評論の場 2019年11月号

          鬼滅の映画観てきたよ!~雪かき、水面と無限列車~

           以下、「劇場版鬼滅の刃・無限列車編」ネタバレあるかもです。  「冷たっ!」「あっ、ごめんなさい!」  掛川道の駅で手を洗っていた。11月8日、浜松から静岡へ、鈴木邸探書会へ向かう途中のトイレ休憩。私の蛇口の水がお隣のおばあちゃん(70-80代?)にかかったらしく、「すみません、濡れましたか」とハンカチを差し出すと、「いい、いい!ねえ、その着物、鬼滅?鬼滅の恰好?」  そのとき私が着ていたのは、赤とピンクの大きな市松を梯子にずらしたお召に、黒と赤の博多織の半幅帯。「いえ、叔

          鬼滅の映画観てきたよ!~雪かき、水面と無限列車~

          14年ぶりの「プラダを着た悪魔」~28歳フリーターが44歳専業主婦になりまして

          (ネタバレあり)  公開当時、なぜか映画館へ行って観た。なぜか母と。静岡市にまだかろうじて映画街が残っていたころ。ミラノ座か有楽座か、七間町から昭和通りを渡ったところ。2006年冬、「プラダを着た悪魔」。  うわー、いやなパワハラ映画だなあ、綺麗なお洋服を目当てに観たのに。という感想だった。観ていてしんどかった。大学を卒業してフリーター、地元のカバン屋でアルバイトをしている身には、あの過酷な労働現場の描写がキツく、ビジネスに奔走する女性たちの姿は遠い存在で、心がついてい

          14年ぶりの「プラダを着た悪魔」~28歳フリーターが44歳専業主婦になりまして