オニグルミ~実家の大木伐採の記録

 二年越しの計画で実家のオニグルミの大木を伐採しました。樹齢は四十余年。元々は父が蝶の飼育のために植えたものですが、夏になるとアメリカシロヒトリという蛾の幼虫が大発生し、白い毛虫で毒はないけれど洗濯物にくっついて始末が悪く、毎年伸びた枝を秋に父が高枝鋏で落とすのだけれど、もう八十歳を迎えての作業はしんどくなってきました。
 いつもお喋りに寄る呉服屋さんのマダムが、知り合いに宮大工で落語愛好家でという人がいて、と言ったのを聞き逃さなかった私はすかさずご紹介を頼みました。
 二〇一四年、月亭門下の上方落語の会が呉服店にて開かれました。連絡先を交換し、「木の水分が抜ける来年の秋か冬がいいですね」という約束をとりつけました。
 

いよいよ二〇一五年秋。宮大工さんにお電話をしました。
 小洒落たインテリアショップで〈ウォールナット材のテーブル〉とやらが勿体つけた値段で置いてあるのを見て、ウォールナット?クルミ?うちにある。と思っていたので、伐った木でダイニングテーブルを作ってもらえないかと相談してみました。
 何度か下見に来てくれて、伐採・製材・乾燥用台設置までの見積もりをしてもらい、あとは日程を決めるのみ。ちょうど大安で日取の良い十二月十七日に決定しました。
 当日。トラックや、場合によっては重機を入れるので、自家用車を除けるために父には車で出掛けてもらいました。
 午前八時、宮大工さん二名が到着。息子さんが棟梁と呼ばれていて、年嵩の方はお父上。日本最古の木造建築・法隆寺の宮大工棟梁西岡常一の元で修行を積んできた職人さんです。息子さんは、削りの技術では世界一の腕前とか。

 午前九時、お父上が「お酒と、お塩、洗い米をお皿に盛ってきてください」母と私は言われたように用意し、木の前に行きました。お清めです。三つのものを撒き、東と南の間の「杜門」東の「離門」の二方向に手を合わせました。方角というものは八門に分けられて、三番目が離門、四番目が杜門、斧にはそれを表す数が刻まれている、「離すこと、切ることになるけど成仏してください」という祈りが込められているとおっしゃいました。
 午前十時、チェーンソーの職人さんが一名到着。母と私が台所でお茶を飲んでいると、庭から隣家の外壁に反響して、モーター音とともにオニグルミの太い幹が分断されてゆく轟音が飛び込んできました。
 物心ついた頃にはもう姉と木登りができる高さだった木。緑の房状の花を咲かせて気まぐれに実をつける年もあった。裏のアパートのタケちゃん、ヒロくん、アッちゃんら三人の悪ガキたちとの木登り、蝉とり。ニイニイゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクホウシ。カナブンやゴマダラカミキリ。
 たびたびキジバトが巣を作った。小学校三年生のとき、二羽の雛を私は毎日見守っていた。夏休み、プールに行って、帰りに古本屋で漫画を立ち読みしているあいだに、巣立ちの直前の二羽が野良猫に惨殺されてしまった。木の根元の亡骸を見て私は吐くほど泣き叫んだ。まだ三十九年しか生きていないけれど、あれほど泣き喚くことは後にも先にも無いと思う。しばらくは猫を見るたびに石を投げた。
 父がビニール紐と棒切れでブランコを作ってくれた。紐が切れて姉が尻餅をついて泣いた。お正月に湘南から来た一つ違いの従兄はお坊ちゃん育ちで木登りを怖がって一族に笑われていた。笑ったり泣いたりした木。

大きな音を立てて伐られてゆくのには、もっと哀切な感情が湧くものだと思っていました。しかし、幹の上部からチェーンソーで器用に分断されてゆくさまを見ていると、庭には今まで入らなかった角度で日光が入ってかつてない明るさとなり、鬱蒼とした狭さは広々とひらかれてゆき、庭という空間がみるみる変容する様子がめざましく、景色と心が同時に刷新されるのはあたらしい気持ちの良さをもたらしました。
 正午、伐採作業終了。伐った木はトラックにのせられました。切り株を再び酒、塩、米でお清め。杜門、離門を拝む。
 午後三時、今度は八枚の板状に製材されたものを搬入。コンクリートブロックの乾燥台を設置し、板と板の間に小さな角材を挟んで重ねます。最後にトタンを被せて、紐を掛けて固定。一連の作業が完了しました。
 切り株は綺麗な平面、楕円形で縦三十センチ、横四十センチ。人の肌や肉のような色をしていて、しかし触ってみるとひんやりと湿っていました。皮の内側の周縁の白い部分はシラタといって、デンプン質だけどうまく乾けば木材として使える、木の本体は赤身と呼ばれる中心部分なのだそうです。瘤を切り取ったものを渡してくれました。

伐ったばかりの木材は、生えていたもとの場所に置いて乾燥させるのが一番良いのだそうです。気候、環境が違うところにいきなり持ってゆくと割れてしまうこともあり、木はその土地その土地で作り、使うのが良いのだと聞きました。
 切り株の傍らで、オニグルミが眠りにつきました。きっと、蝉や鳩や子どもたちの夢を見ていることでしょう。何も言わずにひっそりと、しかしにぎやかな夢を。


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