歌物語の現在~短歌と生きづらさ~ コスモス新・評論の場 2019年11月号

  手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこ
  の世の息が
        河野裕子 ニ〇一〇年八月十一日 口述筆記 

     
 まさに絶唱というべき歌を遺して去った河野裕子。
 死後、彼女の関連書籍が多く出版された。『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』産経新聞出版、『たとへば君―四十年の恋歌』文藝春秋、『河野裕子読本』角川学芸出版、その他、エッセイなどの遺稿をまとめたものの数々。
 壮絶な癌との闘病の末に、その死をもって歌人としての人生を不動のものとした河野。死をもって。河野ほどの才能があれば、生前からもっと注目されるべきではなかったか、存命中の歌人にも、関連書籍出版に値する者がいるのではないかと、なにか釈然としないものがあった。
  

生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、
仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った
例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に
行くと、死んでしまった人間というのは大したものだ。
何故、ああはっきりとして来るんだろう。まさに人の形
をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間
になりつつある一種の動物かな。


 小林秀雄「無常という事」を読むと、なるほどこういうことかと納得できる。作者が亡くなっていれば、安心して評価、論評することができ、本を出しやすいのだろう。特に河野には、伴侶にして歌人・永田和宏という優れた語り部もいる。
 ただ、ことばは、五七五七七ではだめなのか。三十一音の短歌だけでは歌詠み以外の読者を獲得できないのか。〈物語〉とセットでなければ多くの流通が不可能なのか。


   ★〈物語消費論〉と短歌


  あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか
  なんで死んだの
                   鳥居『キリンの子』二〇一六年

 KADOKAWAから出版されたこの歌集には、河出書房新社から『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(岩岡千景著)という副読本がある。目の前での母の自殺、児童養護施設での虐待、ホームレス生活などの半生を取材したノンフィクション。
 鳥居は義務教育を充分に受けられぬまま「形式卒業」することとなり、低賃金の仕事に選択肢が限られる。心身の状態から、就労にはドクターストップもかけられた。
 それでも、世に出たい、短歌を世に問いたい、という強い想いを抱いたとき。自費出版の資金はない。
 経済的に無力な若い女性はどうするか。自分を売るのだ。聡明な彼女は〈自分の物語〉を売りに出した。
 一九八九年に大塚英志は、当時の日本中の子どもたちを魅了したシール付き菓子などのマーケティングを材料に、消費されているのは一つ一つのドラマやモノではなく、その背後に隠されているシステム(大きな物語、幾つもの設定からなる世界観、プログラム)そのものであり、断片としての一話、一つのモノを消費してもらう『物語消費論』を唱えた。この書物では、自らの〈物語〉を自らで作り出す消費者が出現していることに注目し、消費者自身の手による〈物語〉づくりは、一九七〇年代からの記号の戯れ・差異化のゲームの消費スタイルに疲れた人々にニーズがある、精神面のセラピーや自己同一性の回復の効果が期待できるとしている。
 ここではコミックマーケットや少女小説の隆盛から日本社会においてマスの単位の消費者が見込めると予言していたが、遡ればこの消費構造は、旧くは『源氏物語』とその二次創作の『更級日記』をはじめとする女房文学や和歌群というかたちで既に平安時代に生じていたのではないか。


  箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる
                 萩原慎一郎『滑走路』二〇一七年


 『滑走路』は短歌のほか、あとがき、三枝昂之による解説、両親の言葉が収録されているのみなのだが、二〇一八年のNHKニュースウオッチ9やクローズアップ現代での紹介は多分に〈物語消費〉的であった。「非正規歌人が残したもの」「いじめ、非正規、恋…」社会の底辺の若者の声が形になったものとして注目されていた。哀れな生と死の〈物語〉とのセット。
 『滑走路』を読むと、「非正規」に近い頻度で「牛丼」の語が出てくる。ジャンクフードのような労働、食事。萩原の繊細で柔軟な感受性に対して供給される業務、食文化、恋愛などはあまりにも貧しい。経験の欠乏。そこから背伸びしてフランス文学に触れようとする姿勢や、自分へ、友へのエールは、自分も碌に食べていないのにこちらに一切れのパンを分けてくれるような健気さ、いじらしさを感じ、涙を誘う。死による完結なんかいらなかった。だが、葬送が一種のハレの祭祀となってベストセラー化してしまう皮肉…。


  ★生きづらさ、ノンフィクション、説得力


  59の数字がひとつ繰り上がり0時になったら生まれ変わるさ
           『伝説にならないで』成宮アイコ 二〇一九年


 機能不全家庭、不登校、リストカット、社会不安障害を経験し、赤い紙に書いた「生きづらさ」「社会問題」をテーマにした詩、短歌を読み捨てていく成宮アイコの朗読ライヴは圧巻だ。Twitterやコラムも精力的に更新し、散文エッセイ、口語自由詩、彼女はさまざまな言語表現の手段を手にしており、そのなかに短歌という形式も存在する。
 「わたしが優しくなるためには」。横書きの、三行から七行ほどの口語自由詩の後に、短歌を一首ずつ。亡き人、おそらく彼女と同世代の、友達だろうか、自ら死を選んだであろう相手への呼びかけ。「あなたがいなくなって一年」、十年の歳月の流れるなか、一年ごとに歌を詠む。


 さようなら会えないだけできみはいるそうして人はま
た歩みだす


 死を悼むだけではなく、生きてゆくために。儚く流れ去りそうな時間の移ろいに、栞をはさむように、付箋を貼るように。やさしいまっすぐな横書きの十本の短歌たち。


ヤブ医者め 蹴飛ばしてやる
その時に すでに勇気をもらっておりぬ
              『しあわせの王様』舩後靖彦 二〇一六年


 世界初の重度障害者の国会議員が二〇一九年参議院選挙で誕生した。
  筋萎縮性側索硬化症
  ALSの禍々しき名
 全身麻痺の状態でのコミュニケーションは「伝の心」というコンピューターの意思伝達装置でなされる。指や足、そこにも筋力がなくなったら、額の皺の動きでパネルに文字を表示する。この著書もそうして書かれたようだ。 
 一九五七年岐阜県生まれ、ビートルズやローリングストーンズなどのロックンロールに傾倒し、拓殖大学でヒンディー語を学ぶ。宝石・時計の貿易商社に就職して、ダイヤモンドの買い付けでは語学力を生かし、英語の交渉術も身につけてインドやユダヤの商人と渉り合い、バブル経済の衰退などものともせず辣腕のビジネスマンとして活躍していた。
  「惚れるなよ売れなくなる」とボスの声
  きらめく宝石(いし)を手放すつらさ
 その最中の四十二歳、一九九九年、体調不良に襲われ、翌年ALSを告知される。病の恐ろしさを受け止めきれず、死へ至ることの絶望のなか、治癒の奇跡を信じる心を捨てきれずに苦しむが、気管切開・人工呼吸器や胃瘻を受け入れる。


 「生きたけりゃ喉かっさばけ」と医師が言う
  鼻では酸素間に合わないと

 二〇〇二年からは、同じ立場の人を支えるピアサポートを開始し、メルボルンやミラノの国際会議に出席。国会議員となった現在は、病状は進行するも文字盤への視線を介助者に読み取らせて発言する方法をとって議場へ出席する。
 『増補新装版しあわせの王様 全身麻痺のALSを生きる舩後靖彦の挑戦』(ロクリン社)には、一五八首の短歌が挿入されている。二行の分かち書きで、大きなゴシック体のフォント。口語、文語ミックスの文体、ほぼ定型を守る。明解でユーモアに富み、読む相手に意図を確実に伝えたいという強い意思で詠まれる歌だ。学生時代はロックバンドのギタリスト及び作詞も担ったリズム感が生かされているように思う。ロックンロールよりもむしろハードパンクだ。


  暴力か?ヘボ詩ヘボ歌ヘボ短歌
  ゴムやタワシの押し売りにも似


 一九五七年生まれというと寺山修司の影響などが色濃くある世代ではあるが、本書のなかには短歌という表現形式との出会いについて記述がない。ここは取材の余地があるだろう。
 宝石商時代の活き活きとした職業詠などにみるものが多いが、毎日が大変な激務だったようでリアルタイムの作品である可能性は薄い。ピアサポートの一環でメールマガジンを立ち上げて、詩やエッセイを発信するようになったあたりで回想して詠まれた、二〇〇二年以降のものということになるか。
 全身麻痺・重度障害者の壮絶な半生を描いたノンフィクション、それだけでセンセーショナルで話題性は充分だ。現代には「可哀想/感動」を消費するようなセンスは溢れている。しかし、なぜ、ここに「短歌」が?
 本稿に挙げた河野、鳥居、萩原、成宮、舩後…病気、家庭環境、雇用、障害、全員なんらかの「生きづらさ」の当事者だ。そしてそれは十五歳~三十九歳の死亡者のもっとも多い原因が自殺(平成三〇年、厚生労働省自殺対策白書)という行き詰まった日本全体にあらわれたテーマといえるが、そこに共通して刻まれているのが「短歌」。


 しかし人間を生命を毎日を、それぞれ一人にかえって考
 えるとき、真実を言いたく、書き残したくなる。その前
 に短歌という詩型の魅力が現れてくる。
 宮柊二が『短歌実作入門』にこう記している。 


  あなたの墓をあなたの涙は濡らすことができないのだから 雨が降っている
            『人の道、死ぬと町』斉藤斎藤 二〇一六年


 〈重度の身体性障害〉の末に亡くなった歌人・笹井宏之の葬儀を中心に、生前のインターネットや短歌誌を通しての交流のエピソード、弔辞、笹井の父・筒井孝司氏からの手紙による訂正・解説などからなる連作『棺、「棺」』。場所や日時のほか、状況説明であったり、詩、あるいは分かち書きの散文であったり。「行間の余白に、読者がそれぞれの思いを書き加えてゆくのを/わたしの歌が、わたしの体験から遠ざかってゆくのを/ほほえみながら、眺めているほかない。」(同書)
  行間の余白どころか、夥しい詞書が挿入されている。それはあくまでも〈詞書〉として小さなフォントで付属させてあるのだが、そのなかで、つまり空想ではない記述で〈私性〉=〈実体験〉、と言い切ってある。ゆえにこの一連は、笹井をめぐる貴重な記録、短歌史料としても存在が可能だ。
自らが〈歌人〉として存在し、これはあくまでも〈歌集〉である、という斉藤の矜持からこのような形式が選ばれたと考えられるが、強いテーマ性、目的意識は、短歌/詞書、の主従に囚われなくてもよかったのではないか。


    ★今こそ「歌物語」を!


 一九七六年生まれの筆者は一九九九年に大学を卒業し、「日本経済の良かった時代」を知らない。就職氷河期、デフレ、リーマンショック。テロや犯罪のニュースを視るまでもなく、同世代の友達が変な死に方をしたりする。ここに挙げた歌人たちも、つらい話ばかりだ。かなしい物語ばかりだ。しかし、いや、だからこそ。伝えたいなら、一番伝わると思える型式が「短歌」なら、手にしてほしい。「短歌の力」を使ってほしい。見てほしい。

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