ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 追記その② 七間町の屏風絵

 夢ではありません。たしかにこの目で見たのです。しかし、今となってはそれは幻となってしまいました。
 私が中学生、ふたつ歳上の姉が高校生の頃です。1991年ごろ。
 昼下がりの静岡の繁華街を二人で散策し、呉服町から七間町へ、そして、青葉通りに抜けようと裏道に入りました。
 裏の路地には得体の知れない飲み屋があったり、それに混じってお洒落な洋服屋があったり、雑貨屋さんができたり、当時はバブル経済真っ只中、チェックしているときりがない、混沌とした面白い街並みでした。
 あれ?こんなお店あったかな?と、入り口に衣類を積んだお店を見つけました。ジャワ更紗、ビーズ刺繍の布、クラシカルなドレスなどを無造作に。
エスニック衣料品店?古着屋さん?とたいへん興味をそそられて覗いてみると、中から女の人が出てきました。
 二十代後半から三十代くらいに見える、長い黒髪の、「お姉さん」という感じの女性。
 「何のお店ですか?」というようなことを我々は尋ねました。お姉さんは「バーなの。でも、もうお店なくなるの。中、見る?」というような流れで、店の中に通されました。
 長いカウンターがあって、我々は奥のふかふかの椅子席に座りました。
 「あなたたち暇?時間あるなら、私ちょっと出掛けるから、お留守番していて欲しいんだけど」
 我々を置いて、お姉さんはどこかへ出ていきました。
 店内には衣類や外国の本や雑誌の山、照明はつけておらず、入り口から入ってくる昼光のみ、バーとはいえお酒や食べ物は見あたらず、ただ姉と二人でなんとなくぼんやりとボックス席に座っていました。
 冷暖房はかかっていなくて、それでも平気で、暗い空間に差し込んでくる光の感じから今思うと初夏だったように思います。
 大丈夫なんだろうか、見ず知らずのがきんちょにお店の留守番任せて。レジとか心配じゃないんだろうか…。それにしてもおなかすいたな。ピーナッツぐらいないかな。
 店内を物色しようとしたら、カウンターの背後に、大きな綺麗な屏風。女のひとがたくさん。バッスルスタイルのドレスの貴婦人、アール・デコのワンピースの断髪モガ、セーラー服にお下げの女学生、袴にブーツのはいからさん、だらりの帯の舞妓さん、浴衣姿の粋な姐さん、錦紗に羽織の若奥様、振袖姿のお嬢様、衣かつぎのむかしの旅のお姫様…。何十人ものあらゆるお洒落をした女性たちを描いたレトロな絵画。私はその屏風絵にずっと見とれていました。
 しばらくしてお姉さんは戻ってきて、お礼を言われて出ていった、という記憶です。
 このことはずっと忘れていたのですが、大人になってから、大正・昭和の挿絵画家の画集などを見るようになり、高畠華宵の作品集の中にこの屏風絵をみつけて、あ、これ!と、一気に記憶が蘇りました。
 「移り行く姿」、これは明治から昭和初期にかけての女性ファッションの移り変わりを、六曲一双の屏風の中に六十人以上の女性の姿をもって描いた作品。暑い季節に寝食を忘れてこの絵を描きあげた華宵はそのためすっかりやせ衰えてしまったという弟子の証言があるほどの、一世一代の力作、なのだとか。
 カウンターの中にあったのはまさにこの屏風なのです!静岡の裏道に在るはずないし、あのころの私は華宵のカの字も知らなくて、そのレプリカントの丸尾末広の漫画がせいぜいの田舎の中坊だったけれど、確かにこの絵でした。
 現在は個人蔵、となっています。あれは複製品と考えるのが自然かもしれませんが、当時の日本の好景気の狂躁のどさくさの中、あの街のあの店にひととき置かれていた可能性はゼロではないと思うのです。
 姉にこの思い出を話すと、「覚えてない。一緒に行ったのは友達じゃない?」と言われました。しかし自由に使えるお金は持っていなかったので、ゲームセンターやボウリングや映画館に行く文化も、お友達とショッピング、などという習慣もなく、中学生の私にはただ姉妹で街を歩くぐらいしか遊興はありませんでした。
 「夢だったんじゃない?」とも言われましたが、私はよく夢を見るのでその感触とは違うのがわかります。現実の手触りの記憶なのです。
 狐につままれたのかしら。
 華宵の画集をよく見てみると、屏風絵の左下の辺りに、ホワイトフォックスの襟巻をした女性が描いてあります。
 あのお姉さんは狐だったのかなぁ、などと思い返すのでありました。

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