14年ぶりの「プラダを着た悪魔」~28歳フリーターが44歳専業主婦になりまして

(ネタバレあり)

 公開当時、なぜか映画館へ行って観た。なぜか母と。静岡市にまだかろうじて映画街が残っていたころ。ミラノ座か有楽座か、七間町から昭和通りを渡ったところ。2006年冬、「プラダを着た悪魔」。

 うわー、いやなパワハラ映画だなあ、綺麗なお洋服を目当てに観たのに。という感想だった。観ていてしんどかった。大学を卒業してフリーター、地元のカバン屋でアルバイトをしている身には、あの過酷な労働現場の描写がキツく、ビジネスに奔走する女性たちの姿は遠い存在で、心がついていけなかった。

 ❝パワハラ❞という言葉はそのころ生まれていただろうか。この言葉に初めて出会ったのはたしか安野モヨコ著「働きマン」の中、この時代だと思う。それって何だろう、と思ったぐらい、キャリアウーマン!女性の活躍!仕事も遊びもキラキラ女子!みたいな世界は遠く、職場の2時間ごとのレジ点検で1円の誤差が出れば、あーだめだもうクビだ、店長に棚の整理を注意されればあーだめだもうクビだ、伝票に「代済」って書くの忘れたあーだめだもうクビだ、と毎日クビに怯える、簡単にクビを切られる取り換え可能なアルバイト、よく考えれば採用にあたってはそれなりのコストがかけられているはずで、そうあっさり解雇はせずにスタッフとして育成していくほうが雇用主としては利益になると今は理解できるのだがしかしそんな社会のしくみはわからずクビ妄想に容易にとり憑かれる精神状態の28歳の私は、あークビだあークビだいいじけるなベイベーいじけるなベイベー な に も 期 待 す る な ベイベーいじけるなベイベー、と、帰り道はいつも脳内にthee michelle gun elephantの「いじけるなベイベー」をループさせるいじけた田舎のフリーターだった。

 2008年前後、主演のアン・ハサウェイはヴィダルサスーンのシャンプーのコマーシャルに出ていた。タイトルには「悪魔」の文字が入っているが、書店でも雑誌「小悪魔Ageha」があり、蝶々さんという元ホステスの『小悪魔な女になる方法』が並び、コマーシャルのアンも黒ビスチェに黒い角の小悪魔風の衣装、映画のなかにもそれに似た衣装が登場して、どれが先なのだろう、こういう女性像の流行はグローバルな流れなのだろうか、なんて思ったりした。

 2020年10月16日「金曜ロードショウ」で「プラダを着た悪魔」が放映されると知り、また観る気になったのは、最近のフェミニズム批評のなかでたびたびこの作品への言及を読んだからだ。手元にある書籍には記述がないので、ネットコラムや女性批評家のブログなどで目にしていて気にかかっていた自分がいる。公開当時とは違う見方ができるだろう、とテレビ放映を観た。

 まず、ファッション誌の鬼編集長役のメリル・ストリープが若く見える!28歳の目からは、こんなおばあちゃんになるまでアメリカでは労働の第一線で働くのか、と見えていたのだけど、44歳の目から見たら、日本でいう定年間際ぐらいの年代の、銀髪の美しい女性。幼い双子の娘が二人いる設定で、お孫さんじゃないの?いつの子?とやはりちょっとそこが謎ではあるが。どんどん洗練されていく主人公のファッションも、観るのが二度目だと余裕をもって鑑賞できる。十年以上昔の流行なのに古びない。

 主人公のような、野心を持った文系女子を狙うイケメン業界オヤジ、あーいたいた、などと思ったり。漫画「モテキ」の「墨さん」という四十代のオッサンキャラクターがいて、作者の久保ミツロウさん(女性、私と同世代の1970年代後半生まれ)がインタビューで「ああいう四十代バツイチのエロいおっさん、マスコミ界隈によくいる」と語っていて、そんなオッサンももう定年退職しているだろうなー、とこのごろ思っていた。私のいたサブカル界隈からは絶滅した可能性がある。金がないから。でも、意識高い系・野心成功活躍系の世界では続々再生産されているのだろう。若い女の子をちょっとをいいお店に連れて行ってあわよくば、でもヤレなくてもちやほやされればまあいいやみたいな業界おじさん。これからも存在し続けるだろうし下手すると奈良・飛鳥・平安時代からいたんじゃね?と遥かな気持ちになったりしました。

 

 主人公とそのイケメン業界エロオヤジとの会話のなかで、彼女は鬼編集長のことを愚痴るのだけど、「仕事だけでなくプライベートの雑用まで押し付けられて無理難題ばかり。でもそれが男の上司だったらここまで話題にならないと思う」みたいに発言する。食事のシーンの一コマでさらっと言っているけれど、これは重要なメッセージ性を持っている。

 プラダを着た悪魔編集長が男性だったら、この映画は成立しないのだ。女だから。あの横暴で横柄で暴虐な上司という存在に違和感を感じるのは女だから。世の多くの企業・団体の権力者たちの暴力的なふるまいは、違和感を持ってうけとめるべきで当たり前にしてはいけないよ、という警告があるのではないか。

 先輩・同僚のエミリーもいいキャラクターだ。オフィスで働いている同世代の女の子たちの現実にリアリティをもって存在するのが彼女で、ときに「私は仕事が大好き私は仕事が大好き…」と自己暗示をかけてつらい業務に取り組む。私は彼女ほど仕事に自信も情熱もなかったし、はじめのころの主人公の、仲間たちと「仕事は家賃のためにー!」と乾杯する姿勢に近かった。でも、エミリーのような頑張り屋さんでそれなのに報われない、やけ食いするけど立ち直る、そんな女の子像は日本にもアメリカにもたくさんいて、この映画が公開された多くの国々でも親しみをもたれるのではないか。女子、エミリー。がんばれエミリー。

 主人公に押し付けられる無理難題はほんとにパワーハラスメントで、しかし主人公である彼女はそれをクリアしていく能力を身に着け、完璧に業務をこなすようになる。

 ❝上の人❞への気配り、気遣い、忖度、気回し根回し先回り、は、日本だけのものではないんだなあ。なんだかアメリカの労働現場はもっとクールでドライなイメージを勝手に持っていた。外資系の職場の経験は私にはないので知らないことも多い。世界中の従業員たちがこうやって心をすりへらしているんだなあ。

 カバン屋のアルバイトの後にもいろんな職場を経験して、最後のホテルのフロントの仕事を結婚によって円満に退職し(フェミニズム的にはいろいろ問題があるかもしれないが、クビor dieで生きてきた私には上出来だ)専業主婦生活七年間、ようやく「プラダを着た悪魔」が「ただのおっかないパワハラ映画」ではないと冷静に観られるようになった。

 でも、オフィスワークにピンヒールはないわー、とは思う。あれはdoor to doorの移動で絨毯の上を歩くための構造の靴で、リノリウムやアスファルトを踏むような靴底にはなっていない。と、私の❝あるキャリア❞からは確信をもって言える。ジミー・チュウの靴はほんとうに魅力的なんだけどね。

 こんど14年経って観たら、またなにか見えてくるのだろうか。鬼編集長に共感はできないかもしれないけれど、すっぴんでぼやくメリル・ストリープの言葉はもっと迫ってくると思う。私はそのとき58歳か…せめてあのぐらい健康でいたいなあ。背筋まっすぐでパーティーに出るのさ。

 


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