吉野家炎上に寄せて~「狙い目は田舎娘!!」と私

 2020年4月16日の早稲田大学社会人講座における吉野家常務取締役企画本部長(本日解任)伊東正明氏の発言「生娘シャブ漬け戦略」がFacebookで告発されtwitterで炎上、テレビにも取り上げられ炎上中だ。燃ゆるがままに燃えしめよ。
 「センスがAV」とも言われているが、「シャブ漬け」はビデ倫を通らない。エロ漫画を描いている人も「商業誌は性行為以外の犯罪に厳しい」と呟いている。現在流通しているポルノグラフィではなくて、このノリは1990年代末のいわゆる「鬼畜系」の流れではないか。
伊東正明氏は40代後半、筆者と同世代。メディア体験はきっと共通するものがあるだろう。
 漫画家・根本敬氏に発掘された村崎百郎氏(故人)と、ライターの青山正明氏(故人)がその中心人物で、彼らの著作や現在の考察はいろいろな場で読めるので参考にしてほしい。これから書くのは私の個人的な話だ。
 1991年に「月刊漫画ガロ」を購読しはじめ、「噂の真相」を静岡市立図書館で読み、「S&Mスナイパー」を書店で立ち読みするサブカルチャー漬けの中高生時代。アンダーグラウンド文化は東京にしか無い。都内の女子大への進学を決めた。
 入試に合格して一年間は地方出身者は寮生活、二年から独り暮らし。門限夜9時、アルバイト禁止等の厳しい環境ながらも「独立夜間学校ライターズ・デン」に通った。
 この講座ができたきっかけというのも、主宰者の一人が専門学校の授業にAV女優を連れてきて壇上でフェラチオを実演させたら解雇されたという曰くがあった。それを聞いて「ぜひとも受講したい」と思ってしまうタイプの女子大生だったという見方は正しい。
 講師陣はサブカルチャーの大物揃い。「鬼畜系AV」とされるもののレーベルの監督も複数いた。知的で紳士的な印象だった。
 AV女優の実演こそなかったものの、授業でビデオ作品を上映することはあったし、文章講座なので講師陣の執筆している雑誌によく目を通した。女友達はレンタルビデオ店でアルバイトをしていたので話題作を頼めば貸してくれる。女同士で営業マンがくれた割引券を持ってストリップに行く。そんな環境を積極的に楽しむ大学生時代だった。
 いま思えば、男尊女卑の極みのポルノ文化を「名誉男性的」に消費していたのかもしれないし、SMやスカトロや女優をホームレス男性や脳性麻痺の男性たちと絡めるみたいな過激な作品は過激過ぎるため自分と切り離して観られたのかもしれない。まあ「あのときの自分はこうだった」というふりかえりはしばしば恣意的で、自己歴史修正主義に簡単に陥るのでどうでもいい。今回のことで喉に刺さった魚の骨のような、指に刺さった小さな棘のようなものがずっとあり、それが、炎上の火種の中にあるのを見つけたのだ。
 そのアダルトビデオのパッケージの記憶はない。活字として見た。ふだん読んでいるサブカル系の雑誌にでも載っていたのだろう。それを読んだときの「嫌」な感じ。「嫌」と思った。

 それは「狙い目は田舎娘!!」
 当時は援助交際ブームで、街を歩くだけで「二万円、二万円、三万は?」とかおっさんが寄ってくる。ポルノだけでなく女が売り買いされるのは地続きだ。女の尊厳なんて持っていなかった。一見さんお断り、現金授受なし、やらずぼったくりこそサクセス。それが私個人の矜持としてあったぐらいだ。そんな私が許せなかったタイトル。
 勉強して受験して晴れて合格して上京して、最先端の文化に触れてお洒落や夜遊びに精を出して、けっこう頑張っていたんだ。ポルノ耐性だって、強くなるために身につけたものだったのかもしれない。そこに「虚を突かれた」感じ。
 大学の学科の友達は、都内や近郊から通っている都会の女子なのでこの感覚は共有できない。寮の友達は、きれいな空気と水の中で育てられてお嬢様女子大に送り出された純粋な子たちばかりなのでこんな話は聞かせたくない。だからずっと一人で、今日まで、ひどいよ、最低超ムカつくバカにすんな!という気持ちを抱えてきた。そこに「生娘シャブ漬け戦略」炎上で私の中にも火がついた、のだ。
 「田舎から出てきて右も左もわからない生娘が男に高い飯を奢られるまえに味を教え込む」火がついて当たり前だ。それに今どきシャブでイキるとかダセえんだよ田舎者はてめえだろ。
 私の見たビデオのタイトルは検索したら正確には「素人ドキュメント 処女さがし4 狙い目は田舎娘!!」らしい。サブタイトルだったのだ。それでもポルノ漬けサブカル女のプライドを傷つけるのには充分だった。

 同じじゃないか。素人ナンパAVと吉野家。あれから何年経ったと思ってるんだ。15年ぐらい?伊東正明さんはまだそこで遊んでいるの?最先端のエッジの効いた尖ったオレなの?

 就職氷河期でそれでも出世できた側の人は、相当に「優秀」だからそうでない人間には厳しい。吉野家という大企業の上に登り詰めた人ならそういうタイプなのだろうと推測する。

 鬼畜系ブームは、初めは、社会の多数派が黙殺している真実を暴露する、みたいな姿勢で、社会になじめないインテリをこじらせた文化系の若者にウケていた。それは机上の遊びだったのが、1996年「酒鬼薔薇聖斗事件」の犯人が雑誌「危ない一号」の読者(として編集部に事件より昔に手紙を書いていた)だった、ということもあり、洒落が通じなくなった日本の社会の中でブームの牽引者たちが失速してゆく。経済的不況も本格的になり、貴族のグロテスク趣味は通用しなくなった。

 社会の多数派になれない者たちの玩具で、いま、東証一部上場企業の常務取締役企画本部長が遊んでいるのだ。聴衆一人につき38万円払わせて。昔のわれわれの武器を逆手にとられた気分もあるし、昔刺さった棘をグイッとやられた痛みもあるし。15年間子どもでいられたんだねすごいね、もあるし。もちろん地方出身者としてバカにされてる怒りや哀しみや、15年前には持てなかった女性としての自尊心が今はあるし。ちょっといま、筆者の情緒は大変である。

気持ちを落ち着かせるために一気に書きました。「実はあのときああ思っていました」はあとになると本当に恣意的であやふやな幻なので、ここに記録しておこうと思ったのでした。取りいそぎ失礼いたします。

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