続・甘味の短歌史 コスモス新・評論の場 2017年

 かの子とドラえもん


はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうをひとつ喰(とう)べぬ    岡本かの子『浴身』大正十四年
栗まんじゆうの栗を前歯にこちこちと噛みつつ春の雨脚を見る


 はてしなき〈おもひ〉。これは〈なやみ〉とは違うように思えまいか。ネガティブな考えではなく、とりとめなく誇大・肥大した妄想、壮大な計画、遠大な未来予測…。このような感覚を有するのは岡本かの子に限らず例えば、


馬鹿げたる考へがぐんぐん大きくなりキャベツなどが大きくなりゆくに似る 安立スハル『この梅生ずべし』昭和三十九年


 に通底するものがあるだろう。彼女らの〈おもひ〉〈考へ〉の思考空間世界を埋めるものとして食べ物が置かれているところもおもしろい。
 筆者がお菓子と短歌の関係について考え始めたのは、かの子の栗まんじゅうの歌への深い共感からだった。身に覚えのある感覚。遺作の数々による圧倒。しかしなぜ〈栗まんじゆう〉なのか。
 守安正『和菓子』(毎日新聞社、昭和四十八年)によると、栗まんじゅうは明治から大正にかけて東京名物として人気となった〈栄泉堂岡埜〉特製のものが元祖とある。冒頭の2首の初出は大正十二年五月号の「文藝春秋」掲載の連作「白玉椿」二十五首の末尾。この頃のかの子の住まいは、東京都芝区白金三光町、のちに今里町。栄泉堂岡埜本店は文京区本駒込六丁目に現存する。
 藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』第七巻(昭和五〇年)に「バイバイン」という一話がある。振り掛けられた物体が五分ごとに二倍に増える薬、ひみつ道具の〈バイバイン〉。腹をすかせた主人公のび太は栗まんじゅうにこれを用いるが、やがて限りなく増えてゆくことに困惑し、最後にはドラえもんに泣きついてロケットで栗まんじゅう群を宇宙にすべて飛ばしてもらうのであった。
 山本弘『宇宙は栗まんじゅうで埋まるのか』(河出書房新社、平成十九年)に、この話はアレキサンドル・ベリャーエフ『永久パン』(一九二九年発表)というSF小説から着想を得たのではないか、とある。ソビエトの食糧難を解決するために発明された、微生物と空気の反応で増え続けるパンがやがて国土を埋め尽くし世界問題に…という物語。
 この考察を読む以前、筆者は藤子・F・不二雄(一九三三~一九九六)は岡本かの子の歌に影響を受けたのではないかと考えていた。栗まんじゅうは、栗、小麦粉・砂糖・鶏卵・膨張薬・重曹・蜂蜜からなり、こってりもったりとした食感なので、ひとつふたつ食べれば充分である。不用意に増え続けられたら困る食べ物としてお誂え向きだ。かの子の息子・岡本太郎(一九一一~一九九六)が大きな役割を担った昭和四十五年の大阪万博を経験した世代であり、そのテーマ「人類の進歩と平和」への関心の高い漫画作品を数多く遺している。
 平成二十六年十月、神奈川県川崎市にある藤子不二雄ミュージアムを訪れる機会を得た。館内には「先生の本棚」という展示があり、自宅に遺された蔵書が一堂に集められている。しかしいざ目の当たりにすると、棚は二階の吹き抜けに至る高さがあり、見学者の視野に収まる規模ではなかった。
岡本かの子・太郎の書籍の所蔵の有無を学芸員に尋ねたところ、後日、電話での回答を得た。「館内の蔵書には、かの子・太郎の文献は見つかりませんでした。ただ、読書のすべてを網羅したわけではないので読まれている可能性はあるかもしれません」ということである。真相への余地は残されたままとなった。(藤子は、製菓会社に就職するも、工場での作業による指の怪我で漫画が描けなくなるのを恐れて三日で辞めた、というエピソードが伝わっている。菓子への潜在的な恐怖があったのかもしれない。)
 山本弘は、栗まんじゅうの増え方を数学的に試算し、七時間で地球の体積を超えるという数値を出した。重力や光速度を考慮して計算すると、何千年、何万年かをかければブラックホール化、惑星化が想定されるとしている。宇宙は滅びないようだ。
 岡本かの子の〈はてしなきおもひ〉はとりあえず〈栗まんじゆうをひとつ〉で埋まる。しかし、かの子の作品群を前にするとき、背後に広がる宇宙の果てしなさを感じる。「兄さん私はどこまで行つたら満足出来る女なのでせう」(実兄・大貫晶川に宛てた手紙、明治四十四年)。欲の深さ、業の深さ、愛の深さ。彼女の精神の膨張には限りがないのだ。
 かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも         『わが最終歌集』昭和四年


近現代日本の砂糖と歌人
 天平感宝六年(七五四年)、唐僧鑑真来日。インドから唐に伝わった黒糖の塊が天皇に献上された。これが日本の砂糖の文化の始まりといわれている。
 一八六八年、明治維新。鎖国から開国へ。明治八年に米津凮月堂が日本初の洋菓子店を開業、明治四十三年には初のカフェーが西銀座に開店する。珈琲、紅茶の喫茶文化が花開き、北原白秋らがこれを大いに享受、謳歌した。
 一匙のココアのにほひなつかしく訪(おとな)ふ身とは知らしたまはじ        北原白秋『桐の花』明治四十六年
 昭和四年には砂糖を日本国内で完全に自給自足することができるようになる。岡本かの子の栗まんじゅうの贅沢はこの流れの中にあるだろう。琉球、台湾を国土に含めた大日本帝国は、昭和十四年には国内総消費量が砂糖伝来以来最大量を記録するに至る。
 だが頂点を迎えた次の年、糖価に公定価格制が敷かれた。その翌年昭和十六年、真珠湾攻撃。自由に流通していた砂糖は統制下におかれ、やがて禁止の対象となった。軍部の菓子を除いて。日本人と甘味の文化に断絶が生じる。
 猫も食ひ鼠も食ひし野(や)のいくさこころ痛みて吾は語らな         
 く          宮柊二『小紺珠』昭和二十一年
 昭和二〇年、敗戦。進駐軍とともに突然、チョコレートやチューインガムがやってきた。日本人の味覚はここで大混乱を起こしたであろう。アメリカの原材料、調理法が急激に流入、拡大し、和洋折衷の新しい菓子が多く生まれた。(茶道における和菓子においても、古来は季節の色かたちは象徴のみにとどめる美意識であったのが、大いに具象化してゆく。色とりどりの練切などの上生菓子は存外歴史は若いようだ。)
 一九六二年、キューバ危機。アメリカはキューバ産サトウキビの輸入を制限、ゆえに加工食品への使用はコーンシロップ(ブドウ糖果糖液糖)が主流となった。それが菓子類の大量生産に繋がり、また同時に日本は高度経済成長期を迎え、卸問屋、小売店、百貨店が多く現れる。この文化の申し子が葛原妙子といえよう。彼女の美食の歌はデパートの地下を巡るような楽しさがある。
薔薇酒すこし飲みたるわれに大運河小運河の脈絡暗し 『朱霊』昭和四十五年


 instagenic
最後に最新の状況報告として、平成二十八年に第二歌集を刊行した二人の作品を紹介したい。オフィスで働く女性たちであり、食べ物、飲み物の歌が多い点も共通していて興味深い。


甘納豆やうじで刺して食べてゐる何処かで待つてゐるんだ奇跡           水上芙季『水底の月』
引出物のバームクーヘン三食の主食としてをり独り身のわれ


 『水底の月』収録歌は四八〇首、うち飲食物の歌は六十四首、甘いものはおよそ十八首(缶コーヒーやワイン等、甘いかどうかを保留する食品を含む)。水上は、甘味にことよせて自らの境遇を巧みに表現する。三〇代未婚、契約雇用で毎日業務をこなしながら恋愛や結婚に焦りを感じ、少々やさぐれつつも諦めずに生きるさまに多くの〈女子〉は共感するだろう。『女の子よ銃を取れ』(雨宮まみ)、『スカートの中はいつも戦場』(たまきちひろ)『女たちの武装解除』(小島慶子)などの出版物のタイトルに見られるようにしばしば女性の戦場に喩えられる現代日本。


味のことなどは言わないこの人が祖谷蕎麦の淡き甘さを言えり         『さみしい檸檬』大西淳子
身のうちに雪ふり初めぬほわほわの雪花氷(しえーほあぴん)をひとくち食めば


 『さみしい檸檬』は四三二首、うち飲食物三十六首、甘味は十三首。蕎麦の歌のように、めまぐるしく変動するライフステージの中の人間関係のあわいを言語化するが、こと甘味となると雪花氷、シャンパントリュフ、こんぺいとう、アメリカンチェリー、マスカット・オブ・アレキサンドリアと時めく材料が登場し、彼女は素直な詠みぶりでそれらの味に感嘆する。人生の陰翳を受け止めつつ自らを肯定して生きてゆく向日性を表現することに甘味が効果的に置かれている。
 二〇一六年に全世界で利用者五億人を突破したスマートフォン向けアプリ「インスタグラム」。撮影した写真をSNSにより共有するもので、正方形の画面に短文を付けることができる。被写体は自分の顔(自撮り)、恋人や友人、ペット、ファッション、花、風景など様々だが、なかでも食べ物の撮影は人気が高い。これによる宣伝・拡散効果は強力とみえて、飲食業界では「インスタ映え」(instagenic)をメニュー開発の考案条件に盛り込む現状がある。
 水上、大西らの飲食物の歌の多さにこのインスタグラムを連想した。旅先のご馳走を一枚、女子会のテーブルを一枚、撮影が記念となる。そのときの美味を、そのときの感情を残したい、そして共有したいという気持ちが伝わってくる。スマートフォンのカメラの品質には大きな幅があり、簡易なものからライカ社製のレンズを搭載したものまである。加工も可能だ。彼女らの短歌は非常に高性能、高品質の魅力的な画像を思わせる。
SNSによる「シェア」「承認欲求」の概念は現代の若者の病理のごとく触れられることがあるがこれは人間のプリミティブな欲求だ。筆者は先日、電車の中で、二〇代半ばとみえる女性三人組の会話に聞き耳を立てていた。彼女らがSNSについて語り合うなか、一人が「承認欲求ってもう、ほめられたいとか自慢とかイイネが欲しいとかじゃない。ただ、私が生きている、っていうことを知って欲しいだけになってる」と寂しげに呟いた。
「みずからの生の証明」そのものではないか。
朴葉鮨まほり食らひて甘露煮の鮎をもまほる君が馳走と         宮柊二『緑金の森』昭和六十一年
 後年の柊二にもこのようなinstagenicな歌があるが、あの車中の女の子は最早、ただ単にステキな画像をアップすることでは満たされないことを自覚しつつある様子が窺い知れる。女子の戦場の、知らるるなけむ生きの有様をまつぶさに記録、表現する欲求が生じつつあるのではないか。
「甘味の短歌史」前稿において、若い女性が消費市場のターゲットとされ「スイーツ(笑)」と揶揄されている近年の状況を述べた。そして消費の次なるステップ、創造へ向かうのかどうか。
 インターネットの普及、コミュニケーション能力重視の社会構造、語学教育などにより、現代人はことばの飽食状態にあるといえる(貧困格差、教育環境の二極化と背中合わせではあるが)。
糖分は、熱量は充分足りている。食文化とともに短歌の歴史が明るく更新されてゆくことに大いに期待したい。

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