中澤系とその時代~コスモス 新・評論の場

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
           中澤系『uta0001.txt』二〇〇四年
 プラットフォームのスピーカーから聞こえる上の句。いつもの駅の風景だ。だが、下の句の声はどこから響いてくるのか。一瞬で「理解」してしまった筆者は、その分析や解体は野暮と承知で書かねばなるまい。閃光のようなこの下の句の意味を、中澤系の歌についてを。「理解できない人」は、常識的で善良で平和に暮らしてこられた人たちなのだろう。そちらがわに向かって。

出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ
わからないのなら仕方ないですねとりあえずは信じておきなさい

 中澤系歌集『uta0001.txt』(雁書館)が刊行されたのは二〇〇四年。妹で書家の中澤瓈光によると彼は一九七〇生まれ、一九九三年早稲田大学卒業、作歌を始めたのは一九九四年以降、一九九七年に結社「未来」に入会、二〇〇九年に副腎白質ジストロフィーにより死去。
 この、人と人との断絶が煽られるばかりの現代社会で「気づかずにいる」「わからない」多数派の者をあきらめるような詠みぶりでいながらも、そうでないだれかに必ず届くはず、と確信を持って詠まれた中澤の歌は今このときにおいても色褪せず、むしろ精彩を放って読み継がれている。
 ホームに通過電車が来たときどうすべきか?ふつうは白線の内側に下がる。「理解できない人は下がって」とは?この「理解」には、見えない目的語が設定されている。それは(駅員の放送の)常識・通念・社会的了解ではない。「今だ!」という叫びだ。「3番線に〈死〉そのものが到来する。いま飛び込めば成功するぞ!」という自殺へのゴーサイン。中澤の声なのか、ここではないどこか、ここと背中合わせの何かからの声。
 しかし、すなわち死んでしまえという短絡的なメッセージでもないだろう。サインの受容体を脳内に持っている者をあぶりだす、仲間を見分けるリトマス試験紙のようだ。理解して死を選ぶ者には死んでほしくはないのだ。「理解できない人は下がって」、この「下がって」は、死ぬな、でなく「引っ込んでろ!」の一喝。一瞬の間に幾層もの否定と命令がある。
 この歌の詠まれた時代の筆者はあさはかにゴーサインに乗ってしまうあやうい状態だった。その一九九〇年代末、中澤系と出会うべきだった私はあの東京のどこかで、新宿あたりの街角で、JRの改札口で、営団地下鉄のホームで、彼とすれ違っていたのだという手応えがある。同時代・同世代・同じ匂いのわれわれ。筆者は、こちら側から中澤系の歌を語ってゆこうと思う。

    九〇年代若者文化
終わりなき日々を気取るも日常は「ロウ」と「スマックダウン」の間
終わらない日常という先端を丸めた鉄条網の真中で
 
RAWとSMACKDOWNはともに米国のプロレスショウ番組。丸めた鉄条網とは大仁田厚の有刺鉄線電流爆破マッチへの疑念か。茶番でしかないものを延々と観せられ続けるだけの毎日。テレビ画面の、自分の、「やらせ」の闘い。飽き飽きしながらも偽物の鉄条網に囲まれ、そこからは出られない。先端を丸めてあるのだから本気であれば逃走可能なのだがそうはしない無気力。かったるそうな口調。どうせなにも変わらない、という諦め。〈終わりなき〉の語には、華々しい終焉、スカッとした終末、日常生活を吹っ飛ばす何かへの期待が見せ消ちの手法で隠れている
 〈終わりなき日々〉〈終わらない日常〉は、一九九五年に出版された宮台真司『終わりなき日常を生きろ~オウム完全克服マニュアル』からの引用だろう。
 退屈な日常の繰り返しへの〈死〉を用いての批評、社会が蓋をしている暗部の存在の暴露は鶴見済『完全自殺マニュアル』により一九九三年にすでに日本にあらわれていた。この書物と「3番線」の歌の構造は相似形をなす。ゴーサインと同時に登場する、いわば崖から落ちる者の〈捕まえ役〉。旧来の綺麗ごとのタテマエで糊塗された社会の嘘を、嗅ぎ取れる者がいるはず、理解できるヤツがどこかにいるはずだ、という若者たちのカウンターカルチャーがこのころあったのだ。

絶唱と思う叫びが突然の咳で中断された、あの感じ
 
「期待して待っているといつも❝不発❞なんだ。ピスト
ルを思いっきりくわえこんで引き金を引いたら、カチッ
と音がしたみたいな感覚。そんな状態が続いているよう
な気がする」(「音楽と人」一九九四年一月号)
 鶴見済は、自殺マニュアルをめぐってのテレビ出演のまずさを「不発」という言葉で語っていた。九三年サッカーW杯でのまさかの日本の最終予選敗退「ドーハの悲劇」になぞらえる形で。変わり映えしない毎日をひっくり返す「デカい一発」は来ない。カタルシスへの期待と失望。あの時代の空気が中澤の歌によく記録されている。

どっちみちどの道どうせ結局はとどのつまりは所詮やっぱり 
枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』一九九七年

 一九九五年、枡野浩一が角川短歌賞を最高得票数にして岡井隆ただ一人の大反対により落選という「事件」があった。枡野はフリーライターとして当時、宮台・鶴見らといくつかの同じ雑誌媒体で仕事をしており、一九九七年に「ライターズ・デン賞」を短歌作品五十首によって獲得、宮台を含む三人の主催者に絶賛された。作品は「週刊SPA!」に掲載。枡野の現代口語体や愛唱性の高さ、社会批評性の高い視点やアフォリズム的なスタイルは中澤系に受け継がれていると感じる。

つぎつぎと真実映すカーブミラーにもひとときの休止(パウゼ)をくれよ
いつもどこかにある中心者に見つめられながらぼくらは生きてゆく

 カーブミラーに幻影を夢想する精神の甘さはすでになく、映るのはうんざりする「真実」ばかり。せめて休止を。欲しいのは触れることのできない鏡像の過酷な推移のひとときのパウゼ。「いつもどこかにある中心者」は監獄の建築様式〈パノプティコン〉か。視線はもはや瞳と瞳で交わすものではなくなり、システムの網目そのものとして機能する。
 カーブミラー、凸面鏡・魚眼レンズの構図は世の中の〈アシッド化〉の表現として、一九九〇年代後半の日本および東アジア文化圏(香港・中国・韓国等)にて流行した。acidとは、酸、酸味の意味から派生して、辛辣な、好意的でない、あるいは、リゼルグ酸系の幻覚剤、を表現する言葉となっている。中澤の歌においても、快楽より、監視、自己嫌悪、矮小化などのバッドトリップの表現の色が濃い。
 「3番線」の歌について宮台真司は、二重否定構文の複数の解釈の可能性を述べている。
 下がれと呼びかけられている連中はマイノリティ(上の句の社会的了解が理解できない・中澤もこちら側)、だから下がって、死ぬな/この世界の真実を理解できる人は下がらないで電車に当たるだろう、そうか理解できる自分は当たってもいいのか…。(宮台真司×穂村弘トークセッション「歌人・中澤系が生きた時代、そして今」二〇一五年)筆者は後者と「理解」した。

    新しい世代へ
レーズンパンのレーズンすべてほじりだしおまえをただのパンにしてやる    戸田響子『煮汁』二〇一九年
許されるならば切りたし春の日に「切れてるチーズ」を作った奴ら                中澤系
 このパンとチーズは同じテーブルの上にあるように思えまいか。冗談めきつつ怒りと苛立ちがにじむ。レーズンパンは手作りではなく市販のものだろう。工場での大量生産の上に「切れてる」まで過剰なサービスを加えてくる(させている)生産者。工業製品で食事をするわれわれ。戸田響子は「生産性を求める社会生活」(あとがき)には適応できずその中から、不穏さ・しょうもなさ・やるせなさを「ほら」というように手づかみで、独自の嗅覚・聴覚をたのみに抉り取ってくる。

突っ伏して嘔吐を始めるお客様ありがとうございました大丈夫ですか?   佐佐木定綱『月を食う』二〇一九年
君の排泄物とぼくの吐瀉物を引き合わせろよ下水処理場
        
 ラーメン・牛丼・蟹チャーハン…『月を食う』の食べ物もほぼシステムに組み込まれた〈商品〉してのそれだ。めだか・猫・ヤモリなど都市生活に共生する小さな生き物たちと、〈元・生き物〉としての食用肉と。下水処理場の歌はそのまま一九九五年『リバーズ・エッジ』あとがきの岡崎京子の詩とリンクし、中澤の同時代の空気の匂いを彷彿とさせる。佐佐木にはオートメーション化された生活の生臭い部分を可視化し、タテマエの社会の奥のはらわた、つまり〈本音〉を暴き、そのもっと奥にあるはずのうつくしい〈本心〉を求めて、社会の重層(レイヤー)を素手で貫通・突破したいという意思を感じる。

「長い毛は縛る」が新たに追加され実験規定の版改まる
           奥村知世『工場』二〇二一年
3Lのズボンの裾をまるめ上げマタニティー用作業着とする

 新版の規定は、実験の人員に今までいなかった女性が加わったことを示すのだろう。現場は化学プラント。作業に従事する少数の女性として、産休・育休制度を利用する労働者として、妊娠・出産の主体として、さまざまな角度から世界を視る。血なまぐさい事故の発生の可能性と隣り合わせの環境、機械設備と有機的なモノとの対比・比喩のとりあわせによってこの社会のもっともやわい部分を突く。それは女性であり母体であり人間である自分自身だと。
 中澤系がこの世を去って十年以上が経つ。テクノロジーは進化しつづける。欲望は叶うなり無化され、再強化され、新たな不安に転生してシステムに組み込まれて、を繰り返す。中澤系の歌は古びるどころか警句として、予言としてますますの説得力をもって響いてくる。『uta0001.txt』は雁書館にて二刷、二〇一五年に双風舎から新刻版が、その後は晧星社にて二〇一八年から版を重ねながら今日に至る。
 戸田・佐佐木・奥村らはこの生きづらい仕組みのなかでなんとか生き延びつつ、喪失感すらない諦念と知性とユーモアを手にサバイブするソフトな戦術を身につけている。中澤の世紀末的なセンチメントよりややドライだが、口語新かな・呼びかけの多用の文体が彼らにもある。その口調および無機質な構造物となまなましい「生」のコントラストの描写の共通にときおり中澤の魂の気配がよぎる。後継の新世代は確実に育っている。

  固いボルトゆるめる瞬間ふとこれをしめた誰かとつながる感じ                 戸田響子

   おわりに
こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して                 中澤系

 太陽は眩しくて直視できず、やさしすぎる月の光は届かない。蛍光灯は見え透いて、スポットライトは柄じゃない。
 夕暮れなのか夜明けなのかもよくわからないあのくらがりの中では、私には、私たちには、針のような光でなければ信じられなかった。そして現在。〈くらがり〉は〈くらやみ〉に近づいている。「針のようなる光」はいや冴えてくる。
 今はめぐりあわなくとも、存在する。同じ匂いの人に、生きていればどこかで会えるだろう。彼は探していた。私は探されていたのだ。「中澤圭佐氏」に会うことはなかったが、彼のいない世界に「歌人・中澤系」の本があらわれた。絶望的な社会のシステムの中に、こんなにも人はうごいていて、ときどき思いがけない希望を手渡してくれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
    

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?