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人生という材料を使って「わたし」を生きる


人生をまるで「自分のすべて」というように感じてしまうことがある。

いや、それは間違ってはいないのだけれどね。
もちろん命がなかったら、やりたいことだってできない。
むしろ、感情だって生まれてこない。

そもそものところ、人生っていつだって自分のものなはず。
だけれど、そんな人生に振り回されてしまうことが多々あるように思えてならない。


これをお金に置き換えて考えてみると、もう少し分かりやすくなる気がする。

お金がすべてになったり、お金に振り回されてしまったり…
お金がなかったら生きていけないと思う。
だけれど、お金がすべてなわけではない。

そう考えてみると、「ないと困るもの=自分にとってのすべて」という式は成り立たない。

それでも、「ないと困るもの=自分にとってのすべて」と思ってしまうことが多々ある。


人生を失敗しないように、と生きていくこと。
お金を失わないように、と生きていくこと。

それは大切な心得かもしれないけれど、人生もお金も、本来手元にある自分の人生を彩るための材料に過ぎないんじゃないかなって最近思うようになった。

人生や、その中の限られた時間や、お金。
そんな自分の人生の中で得られるものを材料にして、自分の人生を実験して冒険していきたいって思っている。

なんとも大げさな言い方にも感じるけれど、まずは自分が自分に許可を出すことが大事だからこそ、大げさに言ってしまいたい。


つい誰かの考えや、一般的な常識に思考を委ねてしまいがちになってしまう。

それが正しいのか、自分のこころがときめくのかさえ分からないのに「普通に考えて」「常識として」というような枕詞によって思考が築かれていく。

毎日なにげなく生活をしている中で、驚くほどたくさんの常識や先入観、偏見に囚われてしまっている。

そのことに気付くこと、常識を疑ってみることを自分自身に許可をしていく。

「失敗してもいいじゃん」
「大丈夫」
「なんとかなるよ」

自分の人生に責任を持つことで、自分に許可を与えていけるようになる。


自分の人生に責任を持つことは、自分の選択に責任を持つこと。
それは、自分の気持ちと向き合う行動になる

ひとつひとつの気持ちと向き合って、納得感を持って選択をしていく。

その選択の先に、まだ見たことがない未来が待っている

新しい選択や、まだ見えない未来は少しこわい気もするけれど、挑戦がない人生ってきっとすごく楽ちんで少しだけつまらないんじゃないかな。

選択を繰り返しながら人生を大きく駆け抜けた時に出会った人たちや感情で、どんな化学反応を起こすのか見てみたい。


人生って、まるで実験だ。




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