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涙の数だけ強くなれるし、優しくなれるよ


めずらしく、恋愛について言及してみる。

というのも、先日友人から相談を受けた時に話していた内容は、今まで自分の中で大切にしてきた信条やこれから先も自分の軸になると思ったから残しておきたいなって思った。


恋愛だけではなくて、なにかを選択する時に大切にしていることは「この選択肢はわたしが幸せになる選択だ」と確信できるかどうか、ということ。

結論的に、幸せになれなかったとか、失敗した選択だったとしても、その選択をするその瞬間は絶対的に大丈夫と信じている。

以前、結婚できない側の人間であるというnoteを書いたけれど、これも、結婚してしあわせになる想像が1ミリもできないからなんだ。

それでも、周りの友人は結婚して輝いている人たちが多くて、結婚自体に悪い印象があるわけじゃない。
ただ、わたしは無理なのかもしれない…という話。


結婚する予定も願望もないけれど、離婚に対してはネガティブな印象はまるでない。

離婚も結局のところ、ひとつの選択であって、しあわせになるために選択しているんだって信じているからなんだよね。
実際はいろんな問題が絡まっているし、そんな簡単に割り切れるものではないから、0か100かでは測り切れないんだけれども。


その友人は結婚を目前にしながらも、モヤモヤと考えているみたいだったから、自分を幸せにできるような選択肢を選べればいいんじゃないかな?という話をしたところから、話が展開していく。


その友人は、傷つくのがこわいと言う。

もし浮気されたら、もし結婚してうまくいかなかったら。
「もし」という言葉の後には、永遠にネガティブな言葉が並んでいた。

だけどさ、と私は思う。

本気で好きだからこそ、傷つくんじゃないのかなって。
相手が不本意にしたことだったとしても、本気で好きだから傷つくこともあるし、予防線を張っても防げることではないはず。

むしろ、傷ついた数って、本気になった数の勲章のようなもの。

なにか本気で頑張ったり、真剣に向き合ったり、ものすごく好きになったり。
心の底から沸き上がった情熱でぶつかったら、傷ついたり、悔しかったりしちゃうよ。

傷つくのはこわいけれどね、その気持ちは分かるけれど、傷つかない恋愛なんて存在しない気がする。
あるのは、傷つけないためにも大切にするお互いの気持ちや、傷つけてしまった時に癒すための頑張り。

傷つかない人生なんて、むり。


傷つかないように生きるのってきっと、無感情になるしかない。
そんな無感情のまま生きても楽しくないよね。きっと。

プラスにもマイナスにも、感情震わせて、感動したり傷ついたりして生きていきたい。

だって、ちゃんと笑ったり泣いた人生にしたい。


そんな話をしたら、そうだよね、頑張らなきゃって言ってくれた友人。

だけどさ、とまた思うわたし。

頑張る時に、自分の感情を無視しちゃだめだよっていう話をした。

つらいとか、悲しいとか、苦しいとか、そういうネガティブな感情はつい蓋をしてしまいがちだけれど、蓋をするから感情が暴れてしまう。
そのネガティブな感情に飲み込まれるでもなく、蓋をするでもなく、ただ自分の気持ちを感じることってすごく大切。

瞑想したり、紙に書きだして、すこしでも客観的に自分の感情と向き合うようにしている。
時には、友達に聞いてもらって意見をもらうことで、第三者目線での意見も聞くようにすると、自分の中にあったものを取り出して向き合えるようになる気がする。


そして頑張るのは、彼のためではなくて、自分のために頑張るんだよっていう話をした。

恋愛が頑張るためのエネルギーになるのは素敵なことだけれど、そのため「だけ」に頑張ってしまうのは、一旦待ったをかけたい。

頑張ったことってどんなことでも、どんな形でも自分自身に返ってくること。

もし、彼のためだけに頑張ってしまったら、彼とうまくいかなかったり、喧嘩するたびに頑張る理由が薄れてしまう。
それってなんだか、もったいない。

根底に「彼のため」があることで、頑張りの妨げになることもあれば、余計な影響が出てくることもある。

彼が細身の子が好きだから、という理由で無理なダイエットをする人もいるはず。

それよりも、可愛いと思ってほしいということだけをエネルギーにして、これから先の人生のために健康的に痩せるとか、自分の人生にとってのプラスになる頑張りの方が長期間頑張れる気もするんだよね。


恋愛ボートはふたり乗り。

ひとりで漕いだら疲れてしまうし、そんな遠くまでは行けない。
ふたり以上で乗ったら、もれなく沈みます。

ふたりで交換するなり、協力するなり、ふたりならではの漕ぎ方で、少しずつ進んでいけたらいいんじゃないかな。


自分の気持ちや考えを渡すのであれば、相手の気持ちや考えも受け取る準備をしておかないといけない。
それができないならば、無意識のうちに意見を押し付けているだけになってしまうんだよね。

束縛だって、相手が考えてしている行動の否定にもつながりかねない。
相手のこと信じて託す気持ちは、相手のことを尊重することに似ている。


そんな話をして会話が終わった。





わたしがnoteに書くこととして大事にしていることのひとつとして、『話題の鮮度』というものがある。

これは時事ネタとかではなくて、自分の中での鮮度という意味。
感情は生ものだから、noteに書こうとした時に震えた感情の鮮度が古いものはあまり書けない。(旅の備忘録は、記録のため頑張っているけれど)


だからこそ、恋愛のことについては書かないのではなくて、書けないと言った方が正しい。

もう気付けば数年恋愛をしていないので、自分の中に鮮度の高い話題がない。
そして強がりとかではなくて、恋愛をしてもしあわせな想像ができなくて、まだまだ恋愛をする選択をできなそうなので、しばらくは恋愛についてのnoteは書けなそう。




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