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久々に乱打

長らく投稿をしていなかった。色々あった。堕落もしていた。真剣になれていなかった。

このnoteは自分の負の感情やこれからへの少しの希望を打ち込んできたつもりだった。できること、できないことも増えた。それでも4月からは必死にしがみついてきた。

違う分野での勉強は確かに難しかった。それでも修士課程で学生をしていればそれだけでうれしかった。今は現実的な課題が見えていて、そこにただまっすぐに進んでいる。

学外での活動もさらに増えていた。

facebookを知っている人、見かけたことがある人が増えた。いわゆる身バレというやつなのかもしれない。
「〇〇の写真を使っている人ですよね。見たことがあります。」
「〇〇によくいますよね」
「〇〇で働いている方ですよね」
などとても多くの声をいただくようになった。

月に何回かはかなり離れた土地へも出向いている。その中で自分を大切にしてくれる人たちがいる。地元にも自分を大切にしてくれている人がいる。

そして、また新たな土地で自分を大切にしてくれる人にあえる喜びもある。


正直、4月からずっと暗い気持ちだった。終わらない研究、新社会人ではない自分、これからどうなるか不安な自分。自分は、とりあえずやればなんとかなるという見立てを持っている。

なんとかなる落とし穴

成功や失敗といった経験を山ほど体験している。そして、これからも経験していく。面倒なことも、ただの作業だと割り切る。見通しが持てなくても、この期間乗り切ればなんとかなる。今ここでお金を使っていても、毎日アルバイトをしているから回収ができるなど見立てがつく。
 見立てをつけることは、計画通りに行くことでもある。その見立ては、外部での行動であれば利益収集に使われている恐れもある。相手の利益になっているだけで自分は大切にされているか?自分のやりたいこととマッチングしているか?とりあえずやってみようで満足していないか?など考えるようになった。

僕がいいたいのは、結末が見えるストーリーに面白が見いだせなくなったことだ。淡々として作業のなかにも面白みはあるが、そうではない。わかり切った内容だからこそ理解が難しい部分がある。

他者と自己

人の目を気にしていたが、今はプライドがなくなった。どこでも恥をかけるようになった。「誰かのために頭を下げること、誰かに面白いと思ってもらえること」が好きになったし、そしてまた自分を好きになる。


発言に影響力を持っている

実は、なぜか自分の発言は人に印象を持ってもらいやすい。良い影響、そして悪い影響。

適当なこと言わないで、私のことをこんな風に言っていたの等、本当に私が言ったのか確信がなくてもとりあえず怒られる。場合によっては反論をするが、反論の時間をできるだけ取りたくはない。

意外と人は人に興味を持っていない。自分がやっていることに対して質問をされたら応答するだけで。みんな違ってみんなどうでもいいとはそういうことだと感じる。

いい面では相手への強い影響だ。

実際に言われたお褒めの言葉の自己満掲載
「あの時仕事なんていくらでもあるって言ってくれたおかげで、今仕事(新しい仕事)が楽しい」
「本の参考文献とかも読むといいって言ってたので、私もそのようにしてみました」
「〇〇に受かりました。色々指導してくれたおかげです」

などなど全く論理が飛躍しているが、ほめられたのだった。



私の知識一つ一つが誰かの役にたっている、誰かを助けられたらそんな嬉しいことはないだろう。そして、知識がないやつは誰も助けられないのだ。
自分が勉強する意味、忘れてはいけない。


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