Yoko Miyaji

スポーツライターです。専門はバスケットボール。LAを拠点に全米~全世界をまわって、NB…

Yoko Miyaji

スポーツライターです。専門はバスケットボール。LAを拠点に全米~全世界をまわって、NBAからNCAA、国際試合や時に高校生の試合も取材しています。

最近の記事

『ラストダンス回想』コラム全5回リンク

 シカゴ・ブルズのラストダンス・シーズン(97-98シーズン)を中心に、90年代のブルズ&マイケル・ジョーダンを描いたThe Last Dance(邦題「マイケル・ジョーダン:ラストダンス」)全10回がすべて放送(アメリカ・ESPN)&公開(日本を含むアメリカ国外・Netflix)されました。  この5週間、日曜夜に2話ずつ見て、さらにその後、見たエピソードからさらに当時のことを思い出しながら、コラムを書くという生活。忘れていたことも色々あり、90年代に戻ったような気分でし

    • 【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals④

       1996年NBAファイナルについて、10年後に振り返って書いた記事(2006年発売の「NBA新世紀」Vol.17に掲載)を4回に分けて再掲載してきましたが、最終回の今回の掲載分では、10年という年月について書いています。 10 Years After──十年後の視点 1996 NBAファイナル シカゴ・ブルズ対シアトル・スーパーソニックス④ 「NBA新世紀」Vol.17(スポーツマガジン2006年5月号)掲載                   (ベースボール・マガジン社

      • 【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals③

         2006年春に発売された「NBA新世紀」Vol.17に掲載された10 years after、1996年NBAファイナルを10年後に振り返った記事の3回目。この回では、2人の選手の涙にスポットライトをあてました。 10 Years After──十年後の視点 1996 NBAファイナル シカゴ・ブルズ対シアトル・スーパーソニックス③ 「NBA新世紀」Vol.17(スポーツマガジン2006年5月号)掲載                   (ベースボール・マガジン社) マ

        • 【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals②

           「NBA新世紀」に掲載された10年前のNBAファイナルを振り返るシリーズ、10 years after。2006年に1996年NBAファイナルについて書いた記事の2回目。この回では、1996年にアシスタントコーチで、のちにヘッドコーチになった2人のコーチの視点から書いています。 10 Years After──十年後の視点 1996 NBAファイナル シカゴ・ブルズ対シアトル・スーパーソニックス②「NBA新世紀」Vol.17(スポーツマガジン2006年5月号)掲載    

        『ラストダンス回想』コラム全5回リンク

          【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals①

           10 years afterは、ベースボール・マガジン社から出版されていた「NBA新世紀」という雑誌の企画で、年に1回、その10年前のNBAファイナルを振り返り、当時の選手やコーチたちが10年たって何をしていて、10年前のNBAファイナルを振り返ってどう思うかを描くシリーズ。2003年から2006年まで4回続けさせてもらいました。取材は簡単ではなかったけれど、思い出深く、やりがいがあるシリーズでした。  今回は、そのシリーズの中から2006年に書いた1996年NBAファイナ

          【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals①

          【過去記事】ラストダンスをもう一度

           1998年6月にマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズがユタ・ジャズとのNBAファイナルに勝利して6度目の優勝を果たした後に、雑誌「HOOP」に書いたエッセー。93年に電撃引退し、世界を驚かせた野球挑戦を経て、NBAに復帰して2度目の3連覇を最初の3連覇とは違う形で楽しんだジョーダンの心境の変化について書いた文章です。  ジョーダンが現役引退を正式に発表したのは、この7ヵ月後のこと。のちにウィザーズで再度現役に復帰していますが、ブルズのユニフォームを着たのは97-98シー

          【過去記事】ラストダンスをもう一度

          【過去記事】Jordan Diary 97-98④

           97-98シーズンに雑誌「HOOP」に連載していたJordan Diaryの再掲載。最終回はプレイオフ~優勝の98年5月~6月。第5戦の日の朝のブレックファストクラブの後にジョーダンがトレーナーのティム・グローバーに告げたことを聞いて、ジョーダンの引退の覚悟を再認識したのを覚えています。 Jordan Diary 1998年5~6月             HOOP 1998年8月号&9月号掲載(日本文化出版) 5月10日(日)  故郷ノースカロライナ(シャーロット)で

          【過去記事】Jordan Diary 97-98④

          【過去記事】Jordan Diary 97-98③

           97-98シーズンに雑誌「HOOP」に連載していたJordan Diaryの再掲載第3回は、98年3月&4月の話題です。 Jordan Diary 1998年3~4月            HOOP 1998年6月号&7月号掲載(日本文化出版) 1998年 3月3日(火)  デンバー戦。リーグに入って3年未満の選手がチームの大半を占めるナゲッツは、この日ブルズに負けてシーズン成績5勝54敗。その負けっぷりはリーグ史上最低記録を書きかえる勢いだ。試合後に「5勝54敗のチー

          【過去記事】Jordan Diary 97-98③

          【過去記事】Jordan Diary 97-98②

           97-98シーズンに雑誌「HOOP」で連載していたJordan Diary再掲載。2回目は98年1月~2月の話題です。 Jordan Diary 1998年1~2月           HOOP 1998年4月号&5月号掲載(日本文化出版) 1998年 1月3日(金)  対ピストンズ戦のジョーダンの出場時間は47分。4Qまで接戦だったとはいえ、いつもよりずっと多い。というのもこのところ腰痛のため、いったん身体を暖めたらプレイし続けたほうが楽だから。この腰痛についてテレビ

          【過去記事】Jordan Diary 97-98②

          【過去記事】Jordan Diary 97-98①

          アメリカ時間4月19日から、1997-98シカゴ・ブルズのドキュメンタリー10部作、“The Last Dance”が公開(アメリカはESPN、アメリカ国外はNetflix)されるのにあわせて、当時書いた記事のなかから何本か選び、掲載先の許可を得て再掲載します。 まずは当時HOOPに連載していたJordan Diary。2ヵ月分ずつ掲載していきます。 Jordan Diary 1997年11~12月            HOOP 1998年2月号&3月号掲載(日本文化出

          【過去記事】Jordan Diary 97-98①

          【声】フリオ・ラマスHC(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

           6月末~7月頭のFIBAワールドカップ・アジア予選でのコメント、最終回はフリオ・ラマスヘッドコーチ。7/2の台湾戦が終わった後、他の記者の方たちといっしょに囲み取材で話を聞いたのですが、ここでは私自身が聞いた質問に対するコメントだけ紹介します。 ──オーストラリア戦は日本のメディアやバスケファンの目線からすると本当に歴史的な勝利だと受け止めていますが、コーチから見ても、あの試合で日本の代表が変わったと感じますか? 「そうですね。私は、まぁ、歴史的な勝利だとは思っています。

          【声】フリオ・ラマスHC(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

          【声】田中大貴(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

           6月末~7月頭のFIBAワールドカップ・アジア1次予選の選手コメント3本目は田中大貴選手です。  前回の馬場選手のコメントも読んでいただいた方にはわかるかと思いますが、「オーストラリア戦勝利で得た自信は、この後八村選手がいない試合にもプラス効果があるぐらい本物なのか」という質問を中心に聞いています。 ──オーストラリア戦後に八村選手が『みんなに自信がないみたいだから、僕が自信を持ち込みました』という言っていましたが、それを聞いてどうでしたか? 「そうですね(笑)。でも、

          【声】田中大貴(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

          【声】馬場雄大(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

            6月末~7月頭のFIBAワールドカップ・アジア1次予選での選手のコメントを紹介する第2弾は、7/2の台湾戦の後の馬場雄大選手です。 ──ホームで負けた相手、台湾に、これだけ敵地で点差をつけて勝ったというのは、オーストラリア戦で勝ったことの自信や、チームの完成具合が上がったということでしょうか? 「そうですね。正直、楽な気持ちというか、気負わずに入れたところはありましたね。そのプレーがいい展開を生んだと思いますし、ニック中心にやれたかなと思います」 ──前半には八村選手や

          【声】馬場雄大(7/2 FIBAワールドカップ・アジア予選)

          【声】ニック・ファジーカス(7/1 FIBAワールドカップ・アジア予選)

           6月末~7月頭のFIBAワールドカップアジア一次予選ウィンドウ3を取材、総括原稿をナンバーウェブに寄稿しています。  この記事を書くために、選手には色々と話を聞かせていただいているのですが、すべての声を入れることはできないので、原稿で紹介しきれなかったコメントから選んで、いくつかこちらに掲載します。最初はニック・ファジーカス。台湾戦の前日練習後に聞きました。 ──あなたと八村選手は今回のウィンドウ3から代表チームに加入しました。チームに後から加わり、まわりを引っ張るぐら

          【声】ニック・ファジーカス(7/1 FIBAワールドカップ・アジア予選)

          【記事リンク】NBA Japan: 新生アメリカ代表

           7月25~27日にラスベガスで行われたアメリカ代表のミニキャンプを取材してきました。  今回ミニキャンプを行ったアメリカ代表は、来年、2019年のFIBAワールドカップ、そして2020年の東京オリンピックに出場するNBAトッププレイヤーたち。今年は大会に出るわけではないので、今回は顔合わせ的な3日間でした。  ただ、このアメリカ代表も、まだFIBAワールドカップの出場権を獲得しているわけではなく、他国と同じようにホーム&アウェイの予選を勝ち抜く必要があります。その予選を戦う

          【記事リンク】NBA Japan: 新生アメリカ代表

          【記事リンク】渡邊雄太 過去記事一覧

          渡邊雄太選手のことは、2013年に彼がアメリカに出てきてから取材してきました。最初はプレップスクールのセントトーマスモア。その後、ジョージワシントンの4年間、そして、先日のNBAサマーリーグ。参考までに、これまでに書いた記事で、今もウェブサイトで読める記事をまとめてリンクしておきます。 セントトーマスモア(2013-14) ■Cager (2014年2月掲載) コラム:アメリカの地で決断した新たな一歩 ■Cager (2014年3月掲載) インタビュー 前編「バスケも勉

          【記事リンク】渡邊雄太 過去記事一覧