見出し画像

【過去記事】Jordan Diary 97-98①

アメリカ時間4月19日から、1997-98シカゴ・ブルズのドキュメンタリー10部作、“The Last Dance”が公開(アメリカはESPN、アメリカ国外はNetflix)されるのにあわせて、当時書いた記事のなかから何本か選び、掲載先の許可を得て再掲載します。

まずは当時HOOPに連載していたJordan Diary。2ヵ月分ずつ掲載していきます。

Jordan Diary 1997年11~12月

            HOOP 1998年2月号&3月号掲載(日本文化出版)

1997年
11月13日(木)
練習後にジョーダンは、ダウンタウンのスタジオに直行。モハメッド・アリとの豪華共演で、シカゴ・シボレーのCMを撮影した。
「いっしょに過ごした時間は短かったけれど、楽しかった。今度はもっと多くの時間を過ごしたいね。彼の前で、僕はまるで小さな子どものようだったよ」

11月14日(金)
 ジョーダンが、元NFL選手のウォルター・ペイトン、人気司会者のオプラ・ウィンフリーとともに、シカゴのNFLチーム、ベアーズを買おうとしているとの記事が、シカゴ・サンタイムス紙に載ったが、ジョーダンはこれを頭から否定した。

11月15日(土)
  試合後に新しくオープンするロッドマンのナイトクラブのオープニング・パーティー。ブルズ選手、コーチは全員招待されたが、ジョーダンは「みんなの評を聞いてからにしておくよ」とパス。

11月24日(月)
  ピッペンのトレード要望のコメントが、シカゴの新聞に載る。ジョーダンはともに優勝を目指していたと思っていたピッペンのこの発言にがっかりしたものの、この日の練習後には「スコティは自分にとって一番いいと思う決断を下さなくてはいけないと思う。その点で彼を支持している」と、ピッペンを支援するコメントした。

11月25日(火)
  シアトル。試合前のジョーダンは、前の晩に見た手品の種明かし番組のことで頭がいっぱい。番組を見ていなかったほかの選手やチームスタッフに、興奮気味に番組で見た手品の種明かしを説明していた。
試合後、地元の記者から「これがシアトルに来る最後?」と聞かれたジョーダンは、「そうなると思う。・・・・ソニックスがファイナルに出ないかぎりね」と今シーズン後の引退を決心したかのような発言。

11月28日(金)
  インディアナ。ペイサーズ戦の1Q、ジョーダンは通算得点でエルビン・ヘイズを超え、リーグ史上4位に浮上。
いいことばかりでなく、この試合でジョーダンはまた手首をいため、ブルズは負ける。

11月29日(土)
  ワシントン。新しいMCIセンターが完成したため、この試合がUSエアウェイズ・アリーナで最後のNBA試合。古くて暗くて、選手にはあまり評判がよくないアリーナだが、ジョーダンは「僕は古い建物(でプレイするの)が好きなんだ。でもこれも時間の流れなんだろうね」と、またひとつ古い建物が減ることを残念がっていた。

12月3日(火)
  ジョーダンは試合前にいつもミルクと砂糖をいれたコーヒーを飲む。この日のボストンでの試合前もロッカールームでコーヒーを飲みながら番記者たちと雑談。最近フリースローのミスが多いことを記者のひとりから「モントロシア(E・モントロスのよう)」とからかわれると「いや、違う。シャックだね」と自分で言って笑った。

12月5日(金)
  ホームでのバックス戦。シュートの調子が悪いジョーダンは、珍しく試合2時間前にシュート練習をしたが、それでもシュートが入らない。試合序盤からファウルがかさんで1Qの半分をベンチですごしたこともあって、4Qが始まった時点の得点はわずか5点。ランディ・ブラウンに連続二桁得点の記録が危ういことを指摘され、4Qになって積極的にシュートを狙い、試合が終わったときには計13得点。無事に連続二桁得点試合をのばした。

12月9日(火)
 1Q残り4分に決めたジャンプシュート(この日8点目)で、モーゼス・マローンの通算得点(27,409点)を超え、NBA歴代3位に浮上。今季と来季にフル出場してシーズン平均25点以上あげれば2位のウィルト・チェンバレン(31,419点)を超えるのだけど、今季末での引退を覚悟しているからか「あとの二人はかなり上だから、追いつくことは考える必要がないよ」

12月30日(火)
  試合が行われたミネソタのターゲット・センターに、ジョーダンの兄の名を語る男から、ジョーダンの母がノースカロライナの病院のかつぎこまれたといういたずら電話があった。ハーフタイムにそのことを知らされたジョーダンは、電話をあちこちにかけて確認していたため、後半が始まってもロッカールームに残ったまま。いたずらとわかって試合に戻ったものの「こういうことがあると試合がそれほど重要に思えなくなり、集中するのが難しかった」。確かに後半はなかなか波に乗れず、ブルズは初めてティンバーウルヴスに黒星。

それでもジョーダンは33得点。これで、連続2桁得点試合でカリーム・アブドゥル-ジャバーの記録( 787試合)を抜き歴代1位にたった。ちなみに、ジョーダンがプロ入りしてから一桁得点だった試合は、86年3月22日のクリーブランド戦(8点)の一試合だけ。これはプロ2年目のジョーダンが骨折から復帰して間もなく、チームによって出場時間を前後半7分ずつに制限されていた試合だった。


記事は多くの方に読んでいただけるように無料公開中です。サポートは歓迎。今後の取材活動に活用させていただきます。金額の大小は気にせずご自由に&お気軽に。よろしくお願いします。