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【過去記事】Jordan Diary 97-98④

 97-98シーズンに雑誌「HOOP」に連載していたJordan Diaryの再掲載。最終回はプレイオフ~優勝の98年5月~6月。第5戦の日の朝のブレックファストクラブの後にジョーダンがトレーナーのティム・グローバーに告げたことを聞いて、ジョーダンの引退の覚悟を再認識したのを覚えています。

Jordan Diary 1998年5~6月

            HOOP 1998年8月号&9月号掲載(日本文化出版)

5月10日(日)
 故郷ノースカロライナ(シャーロット)での試合とあって、試合前のロッカールームでのジョーダンはチケット分配に忙しそうだ。この日、ジョーダンがホーネッツに頼んで親戚、友人のために用意したチケットは40枚。いつもシャーロットに来ると50枚のチケットを買うジョーダンにしては少なめだ。その理由を聞かれるとジョーダンは「(引退にそなえて)お金をためておかなくてはね」と笑った。
4Q終盤で20点差をつけるとジョーダンはベンチに下がり、故郷のファンを見納めるかのように会場を見渡した。でも、実際は「友人たちがみんなちゃんと席に座ったかどうか確かめていた」のだとか。

5月18日(月)
 シカゴ郊外のホテルで記者会見が行われ、5回目のMVPを受賞した。この日、ジョーダンにトロフィーを渡したのは、同じくMVPを5回受賞している元ボストン・セルティックスのビル・ラッセル。往年の名選手がわざわざ駆けつけて来てくれたことに感動したジョーダンは、ラッセルのスピーチを神妙な顔で聞いていたが、「君がひとつだけ成し遂げられなかったことがある。それはセルティックスの一員となれなかったことだ」というジョークには笑顔をこぼした。
毎年ジョーダンがMVPを受賞してもいいと考えるフィル・ジャクソンコーチは「マイケルが引退したら、MVPのトロフィーは『マイケル・ジョーダン・トロフィー』と呼ばれるようになるかもしれない」と提案したが、これに対してジョーダンは「考えたこともなかった。マイケル・ジョーダン・トロフィーである前に、多くのグレート・プレイヤーたちの名前がつくべきだろう」と謙虚な反応をみせた。

5月31日(日)
 カンファレンス・ファイナル第7戦。ジョーダンの長年のボディガードで、来日のときもついてきたガスが久しぶりに試合にやって来た。ガスは3月に癌治療で入院、手術を受け、現在療養中。ジョーダンにとって、ガスは単なるボディガードではなく父親のような存在。それだけに、前のように試合に来て、試合の間中ブルズ・ベンチの後ろに座っていられるほど元気になったガスの姿を見ておおいに勇気づけられたジョーダンは、28点・8アシスト・9リバウンドでブルズを勝利に導き、3年連続、6度目のファイナル進出を決め、この日のゲームボールをガスにプレゼントした。

6月2日(火)
 ファイナルの最初の2試合の舞台はソルトレイク。一年前は高地にあるスキー・リゾート、パークシティに泊まったブルズだが、試合や練習に通うのに時間がかかったほか、第5戦でジョーダンがかかった病気は高山病だと言う人もいたため、今年はダウンタウンのホテルに泊まる。自分に割り当てられた部屋にピアノがおいてあるのを見つけたジョーダンは暇つぶしに弾き始めた。といってもジョーダンがピアノを弾いたのは初めてのこと。彼自身も認めたとおり「弾く(play)」というよりは、「戯れる(play at)」というくらいのレベルらしいが。

6月12日(金)
 いつもの通り朝8時からジョーダン家でブレックファスト・クラブ。ブレックファスト・クラブとは朝の筋力トレーニングの集いで、参加者はジョーダン、ピッペン、ハーパーの3人に、トレイナーのティム。汗を流したあとの報酬はジョーダン家のコックが作る美味しい朝ご飯というわけだ。今夜の試合に勝てば優勝が決まるということもあって、ブレックファスト・クラブ後にジョーダンはティムに「全部片づけてしまってくれ」と言ったのだが、残念ながら予告通りにはいかずにブルズの負け。試合後の記者会見で「翌日のゴルフの予約をキャンセルしなくてはいけないのでは?」と聞かれ、「いいや、今夜たっぷりシャンペンを飲むだろうと思ったからティータイムの予約は入れていなかったんだ」

6月27日(土)
 ノースカロライナでチャリティー・ゴルフ・トーナメントを主催。その前に行われた記者会見でフィル・ジャクソンのコーチ辞任と自分の将来について触れ、「フィルが辞めたことはチーム再建の兆候だ。僕も引退に気持ちは傾いている」とコメント。引退後について聞かれ、「引退したらチャレンジできることを失うという人もいるが、そうは思わない。子どもを育てることもチャレンジだ」と父親らしいコメント。この翌日も娘ジャスミンのダンス発表会があるために、ゴルフを早めに切り上げてシカゴに戻った。

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