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【過去記事】10 years after: 1996 NBA Finals③


 2006年春に発売された「NBA新世紀」Vol.17に掲載された10 years after、1996年NBAファイナルを10年後に振り返った記事の3回目。この回では、2人の選手の涙にスポットライトをあてました。

10 Years After──十年後の視点
1996 NBAファイナル
シカゴ・ブルズ対シアトル・スーパーソニックス③

「NBA新世紀」Vol.17(スポーツマガジン2006年5月号)掲載
                  (ベースボール・マガジン社)

マクミランの涙、ジョーダンの涙

 ブルズ3連勝後、ソニックスが地元で2連勝。3勝2敗となったシリーズの勝負は6月16日までもつれた。
 この、最後の試合は二人の涙が印象的だった。ひとつは試合中、ベンチで目頭を押さえたソニックスのネイト・マクミランの涙。ファイナルが始まったときから抱えていた背中の痛みを悪化させ、これ以上プレーできない状態になっていた。ベンチに下がったマクミランは悔しさに涙を流し、タオルの上から目頭を押さえていた。
「自分の選手生活の中で一番大きな試合まで到達していたのに、身体が100%ではなかったのだから、きつかった。あのときだけでも健康でいたい、そういう試合だったのに」とマクミランは振り返る。
 もうひとつ、鮮明に記憶に残る涙は試合後。ブルズのロッカールームでのことだった。優勝が決まった後、ジョーダンはしがみつくようにゲームボールを抱き抱え、セレモニーが続くフロアを後ろにロッカールームに戻ると、うつぶせになり人目も気にせずに泣いた。
 6月の第3日曜日、父の日だった。不思議なことに、当時ソニックスでプレーしていたマクミランもエリック・スノウも、あれが父の日だったということは全く記憶に残っていないという。
「父の日だった? それは知らなかった」とスノウ。「全く記憶にない。そうだった? 思い出せないよ」とマクミラン。
 しかし、当時ブルズにいたフィル・ジャクソンやスティーブ・カーは、ジョーダンの涙とともに、あれが父の日の出来事だったことを鮮明に覚えていた。
「あの試合はとても難しい試合だった。マイケルは父親のことがあったからとても感情的で、試合の終わり方もとても感傷的だった。試合後にマイケルがコートを走ってボールを取りに行った映像。あれはとても感動的だった」とジャクソン。
「そう、96年のファイナルの最後は父の日だった。マイケルがボールを持ってロッカールームに行き、泣いた日だ」とカーも同じ場面を思い浮かべた。
 93年夏、強盗殺人によって父を亡くしたジョーダンにとって、父がいない父の日は3度目だった。しかし、前の2回は父の日に試合はなかった。全米の注目を集める中で、優勝を決める試合を戦う必要はなかった。
 引退からの復帰の集大成である優勝を目前に、一番見てほしい父がアリーナにいない。その事実に、ジョーダンはいつものように感情を脇に追いやることができなかった。父の葬式の日ですら涙を見せず、気丈に弔問客の前で父への弔辞を述べたジョーダンが、この日だけはあふれる涙を我慢することができなかったのだった。

                            (④に続く)

            10 years after: 1996 NBAファイナル
               ①「72勝」をめぐる10年後の不思議な縁
               ②「成功に魔法というものはない」
               ③マクミランの涙、ジョーダンの涙
               ④再びNBA復帰を目指すケンプの今


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