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2018年9月の記事一覧

「分からない」ではなく「知りたい」と言う

ここがよく分からないな これは広告会社で企画書を書きまくっていた頃、よく営業や先輩に言われていた言葉だ。ちょっと伝わりづらい言葉になっていたり、流れがおかしくなっていたり、確かに分かりづらくなっているなと思う箇所にその言葉が飛んでくる。 それから自分が少しずつ企画書をチェックする側に回っても、なんとなくその「分からない」という言葉を使っていた。 ただ最近、それがとても印象が悪い言葉遣いのような気がしてきた。 例えば、オンラインで企画書の指示をしようとコメントを書き溜め

自分がポジティブになれる環境を考えてみる

静かで騒がしくないこと 人や物が少ないこと 美味しいコーヒーがあること これは昨日とあるUXデザインのワークショップに参加して、自分がポジティブになれる環境について話すワークで僕が書いたものだ。 ワークショップの本題とはズレるので、1分くらいしか取り扱われなかったが、振り返ってみるとここ数年で自分の求める環境が変わってきたことに気づいた。 多分3年前くらいだったら、 文化祭前日のような賑やかな感じ たくさんの好きなものに囲まれている状態 とか答えていたと思う。 別

外食という体験と価値について

しんぽ、というお店がある。 西荻窪にあって、いつ行っても海鮮が美味しく、日本酒の揃いもいい居酒屋だ。 妻と僕は、なにか嬉しいことがあったとき、なぜかいつもしんぽに足が向かう。記念日みたいな日は行かないけど、日常でちょっとした贅沢を味わいたいというときのしんぽ率はかなり高い。 特にカニクリームコロッケは名品だ。いつも帰り道に今日のベスト・オブ・しんぽの話をするのだけど、決まってカニクリームコロッケに軍配があがるので、もはや会話の意味をなしていない。いま思い出すだけで美味し

柔らかい言葉は誰かへのラブレターで出来ている

毎日一通かならずラブレターを書いている。 宛先は最初からは決まっておらず、その都度出す相手を決めている。 でも大抵はその時、心の半径1メートル以内にいてくれる誰かに宛てることが多い。 宛名は、書かない。 大切なのは「やりたい」ではなく「できる」と自分で決断すること。どうやってやるかなんてその後から考えればいい。その瞬間から夢は夢でなくちゃんと触ることができる現実になるから。 だって大変だから。新しいジャンプは怖いから。描く夢が大きければ大きいほどに、私たちの頭や心は「不

「反応するニッチ」と「反応しないその他大勢」

ツイッターやフェイスブックなどのSNSで様々な主張が先鋭化しがちであることについて考えていた。政治社会的な分極化(polarization)のテーマと言い換えてもいいかもしれない。 良く知られていることだが、SNSで他者から何らかのリアクション(いいねやリツイート、シェアや新規のフォローなど)をもらうことには心理的な報酬がある。心理的と言ってもその報酬には避けがたい身体性があり、身体が喜んでしまうと言ってもいい。 したがって、意識してか、無意識のうちか、SNSのユーザーは

記事の書き方、基本編。「花・幹・根」で大切なのは?

こんにちは、塩谷舞(@ciotan)です。 ここ数年、「Webで伝わる記事の書き方」のような講座を持たせていただく機会が本当に多かったのですが…… 「ライターになりたい!」という方の記事を添削しながら「ううううぅ〜〜ん……?」と頭を抱えてしまうことも多かったんです。でも、そういう記事でも、書き出しや、パッと見た感じはすごく良さげなんですよね。言葉選びは美しいし、漢字とひらがなのバランスも適切だし……。 でも3行、4行と読んでいくと、すぐに置いてきぼりにされるというか、読

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格好なんかつけなくて良いんだって。誰も見てやしないから。

と、雑なことを思い始めてから文章を書くのが楽しくなりました。 前は本当に全然書けなくて。言葉を紡ぐのに1週間かかるのもザラでした。もちろん、たくさん考えて考えて考えて紡いだ文章は美しいけれど。 たった1度の幻のホームランを狙うより、とにかく小さな当たりをたくさん狙いたい。そんな気持ちな今です。 結局、全然テンポよく書けなかったときの原因って、必要以上に格好つけようとしていたからなんですよね。 そんな顔の見えない誰かを気にして格好なんかつけなくって良いの。誰も気にしてるほ

仲は「ふたり」では深まらない

いくら側にいる大切な人だったとしても、話しきれないことは数多にある。家族や恋人、どれだけ仲が良い友達であったとしても、それぞれの関係でしか話せないこと、それぞれの関係だからこそ話せないこと、は、たくさん、たくさんあると思っている。 特定の人と長く同じ時間を共にするということは、一見、お互いのことを深く知ることにつながると思いがちだ。けれど、お互いがお互いのことを「知った風」になってしまったり、あるいはコミュニケーションが固定化されてしまったりして、実は長くふたりで同じ時間を

習慣になってしまった事を辞めるには断固たる意思がないと

自分史の更新をはじめたので、こうしてまいにちの日記を綴るのをやめようと思っていたのだけれど。習慣化って怖いもので、タバコやコーヒーと一緒で、ないととっても気持ち悪い。心地悪い。と感じるようになってしまいました。ということでこの「まいにち日記を書く」も知らないうちに中毒性を持ってわたしの生活に溶けこんでしまっていたらしく、こうして今日もカタカタをやってます。続けられるところまで書こうか。 今日は勝手にオフと決めつけて(やることはいっぱいあるのにね。ごめんね。)1日のんびりして

書きたいけどうまく表現できない人へ

最近「書きたい」人が増えているように思います。 自分の感じたこと、表現したいことを発信したい人が増えたように感じる昨今、書きたいという声と同じくらい「うまく表現できない」「書くのが苦手」という人がいるようにも思います。 書く上では「論理的でシンプルに必要な情報を伝えらるようになる」がまずは第一ステップではありますが、そういうのは文章をたくさん読み、「小論文」とか「文章を書く」系の参考書や本を読んで実践すればある程度力がつくきがするので、それ以上の感じたことを形にする部分を書

力ではなく愛を。 地雷ではなく花を。

オールドレンズでとらえた、沖縄をゆるりお散歩中に出会った花が本日のアイキャッチ。玉ボケが美しい。やっぱり写真が好きです。 ここ数日、恥ずかしながらちょっとウダウダと悩んでいました。 ちなみに今はもう元気です。2日間くらいひたすらに低空飛行していたけど、今は上昇気流を捕まえたので、あとはのぼるだけ。 あの珈琲屋さんに行こうとか、この音楽聴いてみようとか、余裕も出てきました。しばらくは大丈夫。 「自分の働き方や生き方を人に話すのであれば、胸をはりなさい。でなければ誰もついて

小細工じゃなくて、震える心に会いたくて

うだるような暑さから逃れるように、偶然右手にしていたゴムできゅっと髪を縛ってみる。東京からつけてきていたはずなのに、カラフルなブレスレット達に埋もれて、その存在に今日まで気がつかなかった。 「そこに確かにあるのに、存在していないと思い込んでいる状態」に、名前をつけるとしたらなんだろう。そしてそのものは、果たして本当にそこに存在していると胸を張って言えるのだろうか? そんな小難しいことを考えるわたしの首元を、すっと風が通りすぎていく。いつの間にか髪が伸びたなあなんて、さっきま

「おちゃめな肩書き」のすごさ

「人はわかりあえない」というテーマのなにがしかを、この一年間でおそらく50回以上は見たり聞いたり読んだり考えたりした。 それは、ダイバーシティというテーマが世の中で話題になったこと、「自分に正直に生きていい」という価値観が広がって常識という殻やまとまりを人々がどんどんぶち破るようになってきたこと、「そもそも常識をぶち破らずとも人は多様だ」という考えがさらには出てきたこと、そして何よりそういった話題に私が興味を持っていること、など、さまざまな要因があるのだと思う。 「わかり

Pinterestをポートフォリオとして使う裏ワザ

文章はこうやってnoteに溜めていってるのだけど、写真でポートフォリオになる場所がなかなか見つけられなくて迷子になっていた。 インスタを使えばいいかなぁと思ってた時期もあったのだけど、欠点もある。(あくまでポートフォリオとして使おうとした場合の話) ■インスタのデメリット■ ・1枚1枚の写真よりも、フィードの統一感のほうが重要視される ・あとから写真の並べ替えができない ・ジャンルごとにわけることができない ・もし誰かが私の写真を気に入ってくれても、拡散が難しい ・万が一