小細工じゃなくて、震える心に会いたくて
うだるような暑さから逃れるように、偶然右手にしていたゴムできゅっと髪を縛ってみる。東京からつけてきていたはずなのに、カラフルなブレスレット達に埋もれて、その存在に今日まで気がつかなかった。
「そこに確かにあるのに、存在していないと思い込んでいる状態」に、名前をつけるとしたらなんだろう。そしてそのものは、果たして本当にそこに存在していると胸を張って言えるのだろうか?
そんな小難しいことを考えるわたしの首元を、すっと風が通りすぎていく。いつの間にか髪が伸びたなあなんて、さっきまで難しい話を投げかけていたわたしに、ずいぶんと今度はシンプルな呟きを投げかけた。
沖縄に長期滞在をしながら、仕事をして。たまに周辺の島々に遊びに行って。
当時、そんな生活を送るイラストレーターのたかぎなおこさんに憧れて、わたしは沖縄へと足を運んだ。
フリーターだった私は、当然、長期間そこにい続ける時間もお金もあるわけがなく。沖縄そばを食べ、ふらり国際通りを歩き、1人できたんです、だなんて会話をかわして。あっという間にタイムオーバーになり、飛行機にのって元いた場所へと連れ返されていったっけ。
それでも、あの瞬間、目の前は鮮やかに色づいていた。
なんだかすごく遠くにきたような気もしたし、憧れのわたしに一歩、どころではなく、駆け足で向かっているような、そんな気持ちにしてくれた数日間だった。
その時撮った写真達は、わざわざ印刷もしたし、部屋にも飾ったし、なんなら出会った人たちに、フォトブックにしてお送りしたりもした。
それほどに、私の心は、真っ青な海と、ゆったり流れる空気にいつまでも浮遊していて、熱をおび続けていた。まるで、初恋のように。
そしてあれから6年が過ぎて。私は今、沖縄で、長期滞在をしながら、ゆるり島を回りながら。写真を撮って、言葉を編んでいる。
望めばまだまだいられる。 帰りたかったら帰れば良いし、アラスカに行きたければ行けば良い。
そんな自由を手に入れた。
あの時喉から手がでるほどにほしかった現実が、目の前に横たわっているのに。
頭を、まるで冷たい氷で冷やされてしまったように、わたしは冷静だった。青い海にも、ゆったり流れる空気にも、もちろんとても感動したし、あの頃夢に見た姿で、ここにこうしていられることも、感慨深くないわけがない。
なのに。
私の心は震えないのだ。
大人になってしまったからなのだろうか。器用になりすぎてしまったのだろうか。
それともあの日、夢見た私をあの日においてきてしまったのか。
それならば、今すぐに腕を引っ張って、ここに連れてきたい。
あなたがあの日夢にみたのが、この日でしょう、と。
明日島を渡り、旅のはじまりの場所に戻ったら、私の心はあの日、フォトブックをなんども何度も開いた日と、重なるだろうか。
あの島は、あの日のわたしを連れてきてくれるだろうか。
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