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人間らしさを作るものは

人間の心は、とても奥が深く神秘的だ。

わたしは、精神的な虐待やいじめによる
生きづらさを抱えることがなければ、

こんなに深く、自分の心の中と向き合ったり、
人間の心の世界に触れることはきっと、
なかっただろうと思う。




「わたし、たぶん、物心ついた時から、人の輪に入れないって感じてたんだ」


どんな場所に行っても、
わたしだけ異質で浮いてるっていうか、
そんな感じがした。



家から1歩でも出れば、外の世界。

外の世界でもしゃべれなかった。

というより、会話ってなんだ?
人とおしゃべりの仕方がわからない。知らない。

わたしも、まわりの子たちみたいに、
子どもらしく、人間らしく、一緒に笑ったり
はしゃいだり、おしゃべりしたいな。でもできない。
心の中ではいつもそう思っていた。



ふつうの会話ができないから、
話さない人=つまらないと見られて、
誰からも関心をもたれなかった。
話しかけてもらえなかった。



輪をかけて、幼少期はずっといじめも受けていた。
味方になってくれる友達や仲間もいない。
もちろん、家族や親戚の人、先生など身近な大人たちも、
味方になるどころか、バカにしたりわたしの心をいじめる存在だったから。
誰にも関わってもらえない。
それ以前に、わたしには逃げ場所、居場所というか、
心から安心して頼れる人がいない環境だった。




どんどん、わたしは、現実の人間社会から切り離されていく。

例えるなら、地球と宇宙くらい離れているような。




まわりのふつうの人たちが、
遠い遠い自分とは別の世界に住む存在に思えた。


自分とは決定的に違う存在のような。
だから、わたしは決してそこに入れないし、
同じ仲間にはなれないと思うようになった。



大人になるにつれて(知識や経験もそれなりに増えるから)
その状況から抜け出そうと、
自分なりに社会で生き抜く術を身につけた。



どうしたら人から関心を持ってもらえる?
どうしたら、わたしもみんなと同じ仲間になれる?

一生懸命、自分なりに必死に考えてたと思う。







人間不信や対人恐怖のトラウマの過去を隠して、
明るい自分をふるまったり、礼儀正しくしたり、
仲間に入ろうと、人に好かれようとがんばった。


でも、どんなに頑張って馴染もうとしても、
その時は馴染んでるように思えても、
仲間でいるように思えても、
その場所から離れると、わたしの存在は消し去られる。


わたしの体は確かに社会に属していた。
人の輪の中にいるかもしれない。
だけど、心(存在)はずっとずっと1人ぼっちだった。

自分からがんばって話しかけても、
その場では楽しく会話できて、
友達のような関係のように思えても、
それ以上の関係は深まらない。


誰ともつながりや関わり合い(交流)のない、
さみしい孤独な世界。

まわりの人たちは、
学校を卒業しても、職場が変わっても、結婚しても、
連絡を取り合ったり集まったりできる、
好きで繋がっている人間関係をみるのがうらやましかった。

何より頑張らなくても自然体でできているのが。




SNSができてからは、
まわりの人の、成熟した歴史がちゃんと刻まれた人とのつながりや絆を
はっきり見せられるようで、
孤独感がさらに大きくなった。


例えるなら自分のことを、空気というか、無機質な物質のような、
そんな感覚がずっと消えなかった。



ちょうど、今日の記事を書こうと思ってたら、
興味深い動画を見つけた。

13歳まで部屋にひとり監禁された少女の話。

親の虐待やネグレクトにより、
部屋から一歩も出ることを許されなかった。

親(人間)から話しかけられたり関わってもらえずに
ただ時間だけが過ぎ一人ぼっちで生き延びた少女。

ようやく過酷な環境から脱出できても、
言葉や社会性を学べなかったせいで、
その後も人間らしい生活ができなかったという。


海外では、同じように、
ネグレクトなどで、親に捨てられた子どもが
動物に育てられるなどして、生き延びたものの
人間社会になじめなくなった事例もあるという。


この動画のような少女は、
現実的にはあまりない極端な事例かもだが、
だけど、人間はただの動物とは違う社会性のある
生き物だというのがわかる。


ことばで気持ちを伝えたり、心と心が触れ合ったり、
コミュニケーションできる。そういう人間らしさ。

わたしたちは、
人間らしい言葉をかけられたり、関わりを持たれなければ、
自分が人間(社会)の仲間なんだというアイデンティティも、
社会性も決して身につくことはないと教えてくれる。





わたしがずっと抱えてきた「孤独感」は、
ふつう人が感じる「孤独感」とは全く別モノだった。

現実社会から切り離され、
空気にように誰にも気づかれない自分。





以前のnoteでも記事にしたイグアナの娘。

主人公リカは、母親との関係によるトラウマで、
自分はイグアナにしか見えなくなる。

他人から見たらどう見ても人間の姿なのに、
「自分はイグアナ(人間じゃない)」というアイデンティティのせいで、
人と親しくなれない。誰にも理解されず、どれだけ孤独だっただろうか。

ある時、意を決して「わたし本当はイグアナなの」と友人に打ち明ける。

友人ノブコは驚きつつも、
リカの真実を信じ受け入れた。

ふつうなら、「何バカ言ってんの!そんなことないよ。」で終わるだろう。
だけどリカにとっては、イグアナにしか見えないことも、
そのせいで1人孤独に生きてきたことも真実なのだから。
そんな本当の自分を理解してもらえたことは、彼女にとっては
どんなに大きかったのだろうか、と共感した。

わたしが感じてきた孤独感は
ふつうに生きてきた人にとっては
理解しがたいものだろう。



だけど、わたしは好きでそうなったのではない。
わたしにとっては、
孤独な世界で生き延びてきたことが
嘘偽りなく真実なのだ

というのを理解されたかったんだな。



ディープな心の世界、最後まで読んでくれた人ありがとうございます。
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