ずっと変わらないものが、自分らしさだった
仕事も、やりたいことも、生き方も、変わっていく。
僕らは、変わっていくものばかりに気を取られてしまう。
・自分のやりたいことは何なのだろうか
・このままの生き方で良いのだろうか
不確実な時代を生きているからこそ、不確実なものに囚われてしまうのだろうか。
確実な未来を自分で創るために、不確実なものをはっきりさせたくなるのだろうか。
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自分のビジョンとか、価値観とか、どうせ変わっていくのに、確固たる自分の意思を見つけ出そうと自己分析に必死になる。
そうして疲れて、かえって自分を見失ってしまう人は少なくない。自分も過去、いや、現在もそうかもしれない。
皮肉なことに、自己分析をしていつも最後に残るのは、“自分についてよく分からない”という感覚だ。
よく考えてみたら、そりゃそうか。
自らの意思の有無にかかわらず、毎日様々な情報を浴びせられているから、日々考え方も変わっていくはずだし、一日単位で朝令暮改を繰り返してしまうのも無理はない。
だから、自己分析をする度に、ブレる自分がそこにいることだけが明確になって、モヤモヤして嫌になってしまう。
だから、唯一変わることのない“今この瞬間の自分”だけを信じてみたい。
「今この瞬間の自分」に限らず、「これまでの自分」の中にも変わらない何かがきっとある。
これまでの選択はどれも異なるもので、目立った共通点は無いかもしれない。
けれど、それらの選択に至るまでの考え方や価値観には、自分自身が大切にしている、変わらない何かがあったりする。
いつも厳しい道を選んでいるな
その時の直感を信じているな
結局、どれを選んでも後悔はしていないな
良くも悪くも、変わらないものに「自分らしさ」が出てしまっている。
けれど、僕らがずっと知りたかったのもまた「自分らしさ」だ。
自分らしく生きていきたいなら、「なりたい自分」を考え過ぎるのはあまり良くないのかもしれない。
ないものねだりな自分や嫉妬深い自分が投影された「なりたい自分」は、本当に自分らしい自分なのだろうか。
過去の栄光にすがるみたいに、自分自身の変わらないものにすがってみたい。
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