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ありのままでいられる場所が、一つでもあると良い

できることなら、ありのままの自分でいたいけれど、あらゆる環境や関係性において、そうあるのは難しい。

中学時代の友人に見せる自分、高校時代の友人に見せる自分、職場での自分、趣味で繋がっている人に見せる自分、親の前での自分、パートナーに見せる自分。

それらは同じ「自分」でないことがほとんどだ。

時には、その矛盾に苦しんだり、居心地の悪さから関係を解消したり離れたりすることもある。

自分は自分でしかなく絶対的なものであるけれど、相手の存在によって影響を受ける、という点では相対的なものでもある。

だから、誰にどんな一面を見せるか、誰に自分の何割を見せられるか、それらが人によって違うのは当然だと思う。

この人の前では素でいられるけど、この人の前では少し遠慮してしまう、そんな感覚があるのも自然。

誰に対してもありのままでいられるのは才能かもしれない。

ただ、大事なのは、自分自身がありのままでいられること以上に、相手がありのままを受け入れてくれる存在かどうか、なのだ。

「ありのままを受け入れてくれるかどうか」を友人や付き合うべき人の基準にした方が良い、という意味ではない。

お互い素を全面に出しているわけではないけれど、居心地がいい。そんな関係性だってあり得る。

ありのままを受け入れてくれる関係性や環境が一つでもあると、うまくバランスを保てる、と言いたい。

必ずしも人間関係に限った話ではなく、noteというプラットフォームもまたその環境になり得る。

何だろう、ありのままでいられる場所がないと、自分のありのまま、つまり「自分自身」が分からなくなってしまうような気がする。

だから、自分をありのままでいさせてくれる環境は、自分を保つうえで大事な気がしてならない。


もし、noteをそういう場所として選ぶなら、ぜひありのままを書いてほしいなと思います。

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