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人生の醍醐味は 〜人生はいつだって謳歌できる〜

人が生きている意味って何だろな…

何のために生まれてきたの?

ずっと考えていました。

今になっても答えは出ません。

この問いに正解なんてないし、答えは一つじゃないのだとも思います。


でも最近になって、自分の中で一つ腑に落ちたことがありました。

人生の醍醐味は、感じることそのものだということ。

そして、感じた自分から新しい何かに気づけたのなら、それだけで拍手ものだと。


気持ちいいな、楽しいな、痛いな、辛いな、苦しいな、寂しいな…

生きていれば、良いことも悪いこともあるから

心地の良い感情も嫌な感情も、どちらも湧き上がってきます。

言葉にできない感情もたくさんありますね。

でも、そのどれもが生きている証。

それそのものが人生の醍醐味だと思ったのです。

そして、感じた自分から新しい気づきを得る。

別に「成長」につながるような大きな発見じゃなくっていい。

成長しなくてもいい。

私って実は〇〇だったんだ…とか、☆☆やっぱり好きだなぁ〜とか、自分への小さな気づきがあればもう十分。

嫌な気持ちにもなったけど、あの人にはこういう所もあったんだな…という他者への気づきもいい。

この街ってこういう顔もあるんだな…という場所への気づきだって素敵。

犬って実は、猫って実は、鳥って実は、花って実は…

どんな事に対してでも、どんな些細な気づきでも良いと思うのです。感じられたのなら。気づけたのなら。


そうやって見直した途端、世界は感じとるべきこと、愛すべきもので溢れていました。

私が感じ取れていなかっただけで、感じとるべきことは、どこまでも無限にあったのでした。


自分が何にどう感じるか、それを味わうことこそが、もう生きる価値。

感じるべきことがたくさんあると思えば、それだけで世界は生きるに値するということができます。


そこからさらに、「実は〇〇なのかもな」、「こんなこともあるうるかもな」、なんて気づきを得て、少し新鮮な気持ちにでもなれたら、もう十分。

それだけで人生を十分謳歌しているということなのだと思います。


もしかしたら、この世界には愛すべきものと同じくらい忌まわしきものもあるのかもしれません…。

それにまつわる嫌な事も起こるかもしれない。

でも、それでも良いんです。

だってどんな感情になったとしても、それを感じて味わうことそのものに価値があるのだから。

確かに嫌な感情を受け止めるのは苦しいけれど、でもそれは素晴らしくちゃんと生きているということ。

そう思えただけで、少し心は救われます。

ましてそこから何かに気づけたり、少し新鮮な気持ちになれたなんていったら、もうにじゅうまる◎。


「感じ、気づくこと」

そこに価値を見出せるようになれば、人はどんな時だって、どんな状態だって人生を謳歌できる。

いつだって自分の人生をまるごと肯定できるんだと気がつきました。


自分の存在や人生をまるごと肯定できるとしたら、それは幸せへの近道になるはずです。

色んなこと、上手くいった方がそりゃあいい。

思い通りになるのなら、そうなるに越したことはない。

でも、たとえうまくいかなくたって

価値を感じるところさえ気に留めていれば

私達はいつだって人生を謳歌できるのだ。

自分をまるごと認めてあげられるのだ。


勲章をもらわなくてもいい。

カタチにとらわれなくてもいい。

何者かになろうとしなくてもいい。

他人の物差しや一般的な幸せの基準ではなく

自分の感じ方を味わい祝福することに

価値を見い出せさえすれば

心はいつもあたたかく

誰のものでもない自分だけのゆたかな人生に

していけるような気がするのです。






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