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小学校入学

少し前に2~6歳の「幼少期」の私についてをまとめて書いた。
今回は小学生になった私を書こうと思うのだが、とても長くなりそうなのでこれも分けて思い出せる範囲で書こうと思う。
前にも言ったが、これは私の人生の振り返りであり読まれることをあまり想定して書いていない。
いわゆる自己満足の文であり、文章に不備やおかしな部分があるとは思うが、もし興味本位でこの記事に辿りついて読む人がいる場合、読みづらさについては申し訳ない。

私はカトリック系の幼稚園を無事に卒園し、当時住んでいた家から徒歩15分程度の場所にある近所の小学校に入学した。
姉と同じ小学校だ。6個上だから1年間だけ同じ学校だった。

当時住んでいた場所はアパートだったため、同じアパートに住んでいた子たちはみんな同じ小学校だった。したがって、朝登校するときは1年生から6年生までみんなで集団登校だったから最初から通学に不安はなかった。
それに、私は幼稚園のときから1人で近所までおつかいをしていたため小学校くらいであれば1人でも難なく歩いて往復できた。
姉はやはりずっと親に反発する癖?のようなものがついていて、アパートの集団登校には混ざらず、近所の仲良い友だち数人と通学していた。

小学校に入学した私に笑顔はなかった。
ここから戦いが始まる、というぐらいの緊張感があった。
当時の写真がおさめられたアルバムを見ても、入学式の私に笑顔は一切無い。
ずっと真顔。入学式と書かれた校門前で撮った写真もあるのだが、全て真顔の写真だった。
そもそも幼少期から写真を撮られるのは苦手だった。大人たちが「笑って」と言わない限り笑わなかったし、「笑って」と言われても笑わないことが多数あった。

新しい机、ぴかぴかのランドセル、黄色い帽子、大きな名札、体操着、おはじきセット、色とりどりの教科書、ノート、そのどれもが嬉しくなかった。

勉強ができなかったらどうしよう、両親に見捨てられたらどうしよう、授業についていけなかったらどうしよう、先生に怒られたらどうしよう、これらの不安だけが常に付きまとっていた。

入学してしばらくしてからも私はクラスの子たちと話すことはなかった。
授業以外の休み時間は教室にある学級文庫を静かに自分の机で読んでいた。
それか、たまに「じゆうちょう」に何の脈絡もない絵をかいていた。

私がとても不安がっていた授業も、最初はひらがなの書き方から始まったからとても拍子抜けしたのを覚えている。
ただ、正しい書き順は知らなかったからとても勉強にはなったと思う。

私がぶつかったのは「さんすう」だ。
1こと1こを合わせると2
3こより1こをすくなくすると2
だとか、詳しい文章は忘れたが、私が塾で習っていたのは普通の計算式の足し算と引き算だったから、この日本語で書かれた計算式ではない足し算と引き算の意味が分からず混乱した。
答えを見てようやくこれは足し算と引き算のことを言っているのか、と理解してなぜ+と-で記入しないのか訳が分からなかったが、周りの同級生たちはそれで理解しているようだったから、私は焦ってしまった。

けれどそれを言葉に出して発することはなかった。親に言うこともなかった。
私は本当に静かな子どもだった。
クラスメイトがどんなにうるさくしていてもただ無言で本を読み、先生の話は静かに姿勢を良くして聞き、授業も大人しく受けて、発言を求められたり、教科書を音読するときのみ声を出した。

そんな私に入学して1ヶ月くらいしてから声をかけてきた女の子がいた。
今でも覚えている。
いつも通り登校してから自分の席で本を読んでいると、前の席に座っていた少しがたいの良いツインテールの女の子が私に話しかけてきた。
「ねぇ、何の本を読んでるの?」
私は無言だった。
「ねぇ、ねぇってば、ゆきちゃんっていうんだよね?私、ひとみ(仮名)だよ。」
そこでようやく私は読んでいた本から顔を上げて彼女の顔を初めて見て言った。
「何?」
きっと私は真顔だったし、ずいぶんと冷たい口調だったと思う。とても酷いことをした、と大人になった今反省しているからこそ、とても鮮明にこの場面は思い出せる。
「いつも1人でご本読んでるよね?ひとみね、いつもどんな本を読んでるのか気になってたんだ!ゆきちゃん、私とお友だちになろうよ!」
私がずっと1人で本を読んで、周りのクラスメイトと一切話さなかったから、きっと心優しいひとみちゃんは私を気にして声をかけてくれたのだ。
それなのに私が彼女に言い放ったのは冷たい言葉だった。
「友だちって何?絶対につくらなきゃいけないの?この本は教室の本だなにあったものだから勝手に読めば?」
それだけ言って、私はまた読んでいた本を読み始めた。
ちなみにこのとき読んでいた本は「のんびりこぶたとせかせかうさぎ」という本だった、ということまで覚えている。

おそらく、友だちになろうよと言ってこんなことを言われたのが初めてだったのか、ひとみちゃんは机に突っ伏して泣いてしまった。
当たり前だ。こんなことを言う小学1年生はなかなか存在しないと思う。どうだろう、令和の今だったらSNSが発達していて子どもたちの身の回りには膨大なコンテンツが存在するからそんな言葉を覚えて発する子どもが居るかも分からないけれど、少なくとも当時この学校のこの学年でこんなことを言うのは私だけだったと思う(おそらく)。
これが、私が人を初めて傷付けてしまった日である。
当時は他人を傷付けてしまったという自覚すらなかった。
ひとみちゃん、本当にごめんなさい。

ひとみちゃんはチャイムが鳴っても泣き止まず、同じクラスの子どもたちも周りに集まってきてしまって、みんながどうしたの?とか大丈夫?とか声をかけていて、とうとう先生が教室に来た。
その間私は静かに本を読んでいた。
「先生!ひとみちゃんが泣いてる!」
と誰かが言った。先生は「どうしたのですか?」と事情を聞いた。
ひとみちゃんは嗚咽が酷くて言葉にできない言葉を出していたが、何とか「ゆき、ちゃんが、」という言葉を発してから「私がっ、悪い、んで、す」とだけ言ってまた泣き出したから、先生は私たちに「静かに本か教科書を読んでなさい」とだけ言って彼女をとりあえず教室から連れ出した。

1年生が静かにできるはずもなく、私はクラスメイトたちから責められる時間が始まった。
「なな、みてた。ひとみちゃんが友だちになろうってゆきちゃんに言ったのに、ゆきちゃんがひどいこと言った。」
「いーけないんだーいけないんだー!」
「せーんせーに言ってやろー」
私は静かに本を読んでいたけど、あまりにも周りの子たちが責めるので私は本をパタンと閉じてこう言った。
「どうして?私は静かに本を読みたいだけ。先生がさっき、静かに本を読んでてって言ったのにうるさくしてるあんたたちのほうが怒られる。友だちってつくらなきゃいけないの?1人で本を読んじゃいけないの?ひとみちゃんは私が本を読んでいるのに邪魔をしたんだよ。それを言って何が悪いの?」
教室中が静まりかえった。
今思えばクラスメイトが授業中の発言や出欠以外で私の言葉を聞いたのは初めてだったと思う。
この言葉の意味を理解していないクラスメイトもいたと思う。
小1の私は一語一句違わずこう言ったはずだ。

「それでもおまえがわりいんだよー!」
「そーだそーだー!」
って、誰かが言ってまた教室はうるさくなった。
「うるさい!!!!!!」
という声と共に先生と泣き腫らした顔のひとみちゃんが戻ってきた。

そして、みんながいる前で先生が言った。
「ひとみさんは、ゆきさんとお友だちになりたかったのです。ゆきさんはどうして、ひとみさんとお友だちになりたくなかったのですか?」
私は正直に話した。
「学校は、勉強をするところです。私は本が好きです。本を読むときは1人で読みたいです。お友だちはいらないと思います。」
先生はこう答えた。
「そうですね、勉強をするところですね。そしてゆきさんは本が好きですね。でも、ひとみさんはそんなゆきさんとお話しがしてみたかったのです。もちろん本は1人で読むものですが、学校ではみんなと仲良く友だちになって遊んだり、一緒に勉強したりするところでもあるのです。ひとみさんは、ゆきさんが本を読んでいるのを邪魔してしまったと言っていましたが、確かに邪魔をするのはいけないことですが、ゆきさんもみんなと仲良くして、まずはひとみさんとお友だちになりましょう。ひとみさんを泣かせてしまったこと、お友だちを傷付けてしまったことに謝りましょうね。」
と私に優しい口調で言った。
まだ納得はしていなかったが、「ごめんなさい」と一言だけ言ってお辞儀した。
ちなみに小1のときの担任の先生は、ベテランのおばちゃん先生だった。
普段は生徒にがっつり叱るしがっつり褒めるタイプの、ちゃんとした先生だった。
姉は彼女のことを家で「ブルドック」と呼んでいたが。

余談だが、私は小学校6年間を通して、教師に個人的に怒鳴られるぐらいの勢いで叱られたことは一切無い。
もちろん、クラスの誰かもしくは全員がうるさくて全員まとめて叱られたという場合は除く。
はっきり言おう。
私は手がかからず、授業態度も良く、発言もして、テストの点数も良く、宿題を提出しなかったこともなく、忘れ物も一切なく、大人たちにとって手のかからない良い子だったからだと思う。
それとも私みたいな、家庭で無意識に追い詰められている子どもにはきつく叱ってはいけない、それを学校の態度で感じ取られていたのだろうか。
理由は分からない。

私は思うのだが、子どもは子どもらしく過ごせることが一番幸せだと思う。
私の子ども時代は戻ってこないのだが、小学1年生であれば、もっと笑顔でみんなとかけっこしているような、そんな子どもが良かった。
泣きたくなるほど、いまだに私は子どもらしい子ども時代を取り戻したくなる。

話は戻るが、このひとみちゃんとの一件で私はクラスメイト及び他のクラスの子たちから目をつけられる。悪い意味ではない。注目を浴びた、というか尊敬?の眼差しみたいなものだった。
私の発言が6歳にしてはあまりにも大人びていたからだ。
担任の先生が私とひとみちゃんのどっちが悪い!とかどちらかのせいにしなかったおかげでもある。先生のおさめ方もきっと上手だったのだと思う。
あと、いつも怒鳴って生徒を叱るタイプの先生が私に対しては諭すようにゆっくりお話しをしたから、この子はなんだろうという興味本位が大きかったのかもしれない。

「ゆきちゃんって頭良い!」
「難しい言葉を知っててかっこいい!」
「すごい、いつも怒る先生が怒らなかった!」
「いつも何の本を読んでるんだろう!」
こうして、ひとみちゃんとの一件以来、いろんなクラスメイトが私の机の周りに集まるようになる。隣のクラスからもその噂?みたいなのを聞きつけていろんな女の子が来るようになった。
ひとみちゃんからは
「ゆきちゃんすごい!人気者!」
と言われたが、私はただ真面目に授業を受けて、常に静かに本を読んでいただけだった。
というか今こうして書いてみて思う。
ひとみちゃんが良い子すぎる。
普通だったら拒絶されたら話しかけられない。
私だったら無理だ。

そして、私は同い年のみんなが知らないことを知っていた。
大人たちは当たり前に知っていることだろうけど、私はすでにたくさんの本を読んでいたためにみんなの質問に答えることができた。
例えば「この虫の名前は?」とか「このお花の名前は?」とか「どうして葉っぱはみどり色なの?」とかいわゆる常識?うんちく?豆知識?みたいなやつだ。
私の机の周りに集まって同い年の子たちとお話しするようになるけれど、だいたいはこういう質問をされて私はただ答えるだけだった。
それから、先生の言う通り「友だちになろう」と言われたら断らずに「いいよ」と言うようにはなった。

私が入学前から恐れていたテストだが、小学校6年間を通して、私は算数以外のテストはほぼ全て満点だった。
だから難なく両親に見せることができた。
しかし、算数はやはりどうしても苦手だった。
満点を取れないことが多くて、それでも90点台であることが多かったが、1年生のときに初めて満点ではない算数のテストを恐る恐る母に見せたら
「ああ、ゆきは算数が苦手なのね~。でも他が満点だからいいよ。大丈夫!」
とだけ言われて心底ホッとした記憶がある。
父親からは
「算数苦手かぁ~、でもお医者さんになるんだったら算数も頑張らなきゃね~」
とだけ言われて、姉みたく責め立てる口調ではなかったことに本当に心の底から胸を撫で下ろした。
そして、姉からは発狂レベルで怒鳴られた。
「どうして!!!!どうしてゆきはテスト満点じゃないのに怒られないの!!!!!!こんな点数取ったらお姉ちゃんはお母さんからもお父さんからも怒鳴られて叱られて落ち込まれるのにどうして!!!!!!!」
このときの姉の顔は今でも思い出せる。
涙目で、顔を歪ませて、あれは私に対しての憎悪だ、とさえも思った。
そして両親はこの姉の発言に対して
「お姉ちゃんは勉強すれば満点取れたのに勉強を全然しなかったから取れなかった、ゆきは勉強したのに満点取れなかった、努力してない人間を怒るのは当たり前。頑張ってもできなかったのは仕方ないでしょう。それにゆきは国語は満点なんだから。お姉ちゃんが1年生のとき、国語で満点取れた?取れなかったよね?」
とますます姉を追い詰めた。
そして姉はやはり癇癪を起こして手がつけられなくなるぐらい部屋で暴れてまた怒られて、の繰り返しの毎日だった。
私はテレビを見るふりをしたり、本を読んでいるふりをしたりして、聞かなかったことにするしかできなかった。
ヒートアップしてきて父親が怒鳴り散らかすと、その怒号が怖すぎて布団の中で目を瞑って耳を塞ぐ日々だった。
ちなみにそれでお姉ちゃんからぶん殴られたり物を投げられたりしたことは多々ある。私も同じようにやり返していたが、結局は両親のそういう発言と態度が発端で私と姉はよく喧嘩をしていた。

いつか私たち姉妹の話も書けたら、とは思う。
お姉ちゃんと妹。
私以外に子ども時代に地獄を味わった2人のお話。
私から見て両親→姉は今でいう虐待だと思う。
言葉の暴力と時には手も出てたし、グーで殴られたり、平手打ちされたり、何かと怒声を浴びせられたり、とにかく姉を傷付けるものにまみれていたと思う。
ちなみにこれらが大体の原因で姉は15歳で家を出た。
今は結婚して旦那さんと子どもたちと幸せに暮らしている。
もちろん、社会では今も苦労する面が多そうではあるし、過去の後遺症のようなものは抱えて生きてはいるが。

両親→私はおそらく精神的な虐待だったと思う。
生きた心地がしなかった、前も記述したし何度も言うが細い糸の上を綱渡りさせられているような、ずっと常に緊張感と焦燥感と不安感があった。人間としてという意味で私の精神状態が安定たのは25歳だ。

両親→妹は過保護。
妹は私の4個下だが、末っ子に対して甘くなるとかは聞いたことがあるが、両親は異常だった。
妹に関しては新しいおもちゃや洋服が与えられ、怒られたりしたことは1回もなく、その代わりアルバイトは一切禁止だったし、門限は20歳を越えても23時だった。妹に対しての両親は無だった。怒ることもなければ特に褒めるようなこともなく、会話をすることもない。けれど籠の中には入れて管理だけはする。歪だ。妹も社会に出てからやはり苦労した人間である。

お姉ちゃんと妹のお話しも書けたら良いね。
我々は戦友のような感じ。

話が逸れてしまったし、思いのほか私の記憶が鮮明だったため、小学校入学時のときの私だけでこんなに長くなった。
ひとみちゃんとのエピソードはこの他にもたくさんあるのだが、それはまた次に思い出したら書こうと思う。

これが6歳、小学校1年生の私。

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