デパスちゃん

メンヘラめるへん共和国デパス県ぱきぱき市在住。

デパスちゃん

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最近の記事

小学1年生で同級生を買収する。

小1の私は偏食だった。 学校の給食で食べられるものはご飯、パン、牛乳、汁物、そしてデザートはプリンのみ食べられた。(ゼリーは未だに好んでは食べない。) 当時の担任の先生は、残して良いおかずは1種類のみと言った。 しかも必ずそれも半分は食べなければいけなかった。 私は主菜と副菜が食べられないものが出てきたときは困った。 そこで私は多くのクラスメイトが食器を片付けるときに紛れて残飯入れに主菜も副菜も入れるという荒業を生み出した。 当時は小学1年生なので、ルールを堂々と破ってい

    • 小学校入学

      少し前に2~6歳の「幼少期」の私についてをまとめて書いた。 今回は小学生になった私を書こうと思うのだが、とても長くなりそうなのでこれも分けて思い出せる範囲で書こうと思う。 前にも言ったが、これは私の人生の振り返りであり読まれることをあまり想定して書いていない。 いわゆる自己満足の文であり、文章に不備やおかしな部分があるとは思うが、もし興味本位でこの記事に辿りついて読む人がいる場合、読みづらさについては申し訳ない。 私はカトリック系の幼稚園を無事に卒園し、当時住んでいた家から

      • 現2

        この前書いた「現」はタイトル通り現在の私についてであり、今回はその第二弾である。 簡単に現在の私をまとめると、夜職をして生きてきた29歳女。だけど2年前から体を壊して今は居酒屋勤務のフリーター的な生活をしている。 ちなみに、在籍しているガールズバーはまだ辞めていないがほぼ出勤していない。 先月、私は誕生日を迎えて29歳になった。 そのとき思った。 「あ、もうやりきったな」って。 今在籍しているガールズバーで私は歴代最高売上を保持している。 今から2年前の27歳の誕生日

        • 幼少期

          私の最初の記憶は、2才から始まっている。 私は物静かで手のかからない子どもだった。 それは6個上の姉とそれに対する両親の影響が大きい。 姉は当時、すごく癇癪持ちでわがままだった。 欲しい物は泣いて暴れてでもねだった。 子どもらしい子どもだった。 それに対して両親は近所迷惑なんじゃないかってぐらいに怒鳴り散らし、時には手が出た。 その環境下で、私は自然に怒られないように、怒られないように、と両親の顔色を伺う癖がついたし、その間静かに本を読んでいた。 結果、たまたま家にあっ

          くそほど泥酔している。 文章を書いている今、泥酔している。 今の私にとって、お酒とは手っ取り早く楽しくなれる麻薬のような存在であり、やめられないものであり、私を蝕む存在である。 ただのアル中(笑) 本当にやめられない。 やめようとしていないけれど、私はだいたいお酒の過剰摂取のせいで、路上で喚くし、他人に噛み付くし、説教するし、暴れて路上で寝てしまうし、立ちションもするし、寝ゲロもするし、知らない人間とセックスするし、他人をぶん殴るし、とにかく全てを止められなくなってしま

          家族構成をとりあえず書いてみた。

          家族構成 父、母、姉、私、妹の5人家族。 父親は銀行員、母親は専業主婦からの私が小5からパートに出る。 特別裕福でも無かったし、特別貧乏でもなかった。 私は記憶が2歳からあるのだが、めんどくさいからまとめたいことを簡潔に簡略化する。 幼少期、ひらがなをさかな図鑑で全て覚えたのが始まりである。 両親が私に対して「勘違い」する。 私は頭が良い。天才だ、と。 幼少期の私はそこから彼らから医者になれ、有名になれ、人の為に何かを成し遂げる人間になれ、という教育が始まる。 めんどく

          家族構成をとりあえず書いてみた。

          始まり。

          私は未熟者。 これはこの先、一生付きまとう。 私は現在28歳、女、フリーター。アラサー。 あと1ヵ月で29歳。アラサー。 居酒屋アルバイト兼ガールズバー勤務。 まともになろうとしている。 だからまとめることにした。