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個性がないという個性?

「キレイとはちょっと違うけど形は整ってる字」
自分の書いた字をそう形容された時、悔しいけれど結構的確な表現に衝撃を受けました。

「字形が整っている」イコール「字がキレイ」ではない。「なるほどね!」みたいな。

どこか拙くて、子供っぽい感じがする自分の字を大人なカッコいい字にしたくて字はよく書いてきた方だと思いますが、ずっと頭にあるのは子供時代の「伸び伸び」の呪縛。

 墨の匂いが好きで保育園〜高校まで通っていた近所のお習字教室。
アラフィフおばはんの子供の頃は、習い事と言えば習字そろばんで、お金持ちはピアノと相場が決まっておりました。

うちはお金がなかったので例に漏れず習字そろばんでしたが、臆病だった私は「字を書く」上でさえも冒険はせず、ただお手本の字を力一杯コピーしていただけでした。

それがある時、市の書き初め大会で、公園の体育館に書き初めに行った時、一緒に行ったクラスメートのSちゃんが書いた字にショックを受けました。「創造」と言う指定のテーマがありましたが、Sちゃんは「創」の時の最後のハネの部分をハネずに下にすっと流していました。しかも墨をたっぷりつけて滲んだ書き出しと、勢いよく書いて、細くかすれたコントラストが美しく、その「何者にもとらわれない自由で伸び伸びした感じ」でところ狭しと紙いっぱいに大胆に書かれた文字を見て、私は自分の書いた、字が曲がったり歪んだりしないように、下の字が小さくならないようにどちらも同じ大きさになるように、形だけを気にしてこじんまりと(自分的にはいい具合のサイズで)書いた何の面白みも勢いの欠片もない字に嫌気が差しました。

午後には金賞の作品だけが体育館の床に飾られるのですが、まるで合格発表を見に行くかのようにドキドキしながら行くと、紙の下に金色の折り紙が貼られて私とSちゃんの作品が隣り合わせで展示されていました。

美人の横のブス。

私は自分の書初めがSちゃんの引き立て役に使われたかのような、人前で恥をかかされたような、惨めな気持ちになって、
「きっと見ている人たちはSちゃんの伸び伸びとした型にはまらない作品には確かに金賞の価値があると思うんだろう」
同じ金色の紙が貼ってあるのに、当時の私の心はそんな卑屈な思いでいっぱいでした。

 Sちゃんの他にも当時はたくさんの達筆なクラスメートがいて、色んな字に憧れては自分もその人の特徴を真似したりしながら練習したりしました。

でもどこからが「クセ」で、どこからが「個性」なのか。

多分、私が習字を習っていた頃は「クセ字」は誉め言葉ではありませんでしたので、クセの無い整った字がいいモノなんだと思っていたのです。

でも、ある日突然ここnoteで書を載せたい衝動に駆られた、・・・というか伝えたい言葉を効果的に強調したいと思って、挿絵的に字を入れたのが始まりなんですが、それを見つけてサークルの仲間に入れてくれたのがakkiy☆さん

絵にも字にも、たくさんの記事にも芸術的才能を漂わせている、ただならぬ人。

 その彼女の類まれなるリーダーシップで、今や書道アート部の部員がどんどんと増えていく中、毎月恒例で書道アート部の私達にスポットライトを当ててくれるコーナーがあるのです。(や、他の人は本当に素晴らしい文字や絵を描かれる方達です。)

ある時の記事に

『とんでもなく味があって好き』  

私の文字をそう評してくださっていました。

!!!・・・そ、・・・そかな・・・(*´▽`*)
私の文字ってこれと言って癖も特徴もない比較的形だけはまあ整った無味乾燥な字。習字習ってた人は大体こんな字書くよね~的な可もなく不可もない字。

まあ、確かに自分が誰かの文字に対して何かコメントしなくてはならない事になった場合、そりゃあズバリ「つまらない字」と書く事はさすがにできないでしょう、とは思うものの!一番予想外の感想に意表を突かれました。

 それが毎回お世辞っぽさを感じさせずに、いい気持にさせられてしまうakkiy☆さんの書評が毎回嬉しくて楽しくて、最近はだんだんそれを目指して字を書くようになっています。

私はnoteで自分の書いた字を載せるようになってから、一貫して自分の字の味気なさに、派手なデコレートを施して誤魔化すスタイルですが、今回はペンも書いてみました。

字体を見るにはやっぱりペン字

やっぱり味気なく寂しい感じ。
そう言う意味ではよく私が現れているとも言えるかもしれません。
昔から「寂しそう」とよく言われてきました。でも寂しそうに見えるかもしれませんが字を書いていると楽しいんです。

 作品は適当に紙の裏に書いて、書いたそばからどんどん捨てていくスタイル。時々思うように書けず捨てたやつをゴミ箱から拾ったり。

ま、そんな事を言いつつ、いつも通りの毛筆をイラストアプリでデコレーションしたヤツ。

「水清ければ魚棲まず、人は色々張りつめすぎると、柔軟な考えができなくなる」ポピュラーなのは「水至清則無魚、人至察則無徒」らしく、その場合後半の意味は、人は厳し過ぎると友達はできない、となりますが、私の好きな俳優、ラム・チェンインのドラマでこっちを使っていたのでこっち!←どーでもいいマニアックな理由。

そしてもう一つ。

物事は極点に達すると逆方向に転じる、という意味。最近読んだ漫画の中にあった言葉。

毛筆で書くのは基本、自分の心に響いた言葉が多いんですが、
二つの言葉に共通しているのは、

「何事もほどほどに」

って事でしょうか。今月はそんな気分だったんでしょうね。

そしてヘッダーの文字は「ケセラセラ~明日は明日の風が吹く」的な言葉です。

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