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是と非の間にウソ100回①~広東語~

日本語に「ウソも100回言えば真実になる」という言葉があります。

この言葉自体についてはナチス・ドイツが出どころだという説もあれば諸説あるようですが、中国語にコレを四文字で表す言葉があります。

「積非成是」

「非(ひ)」を積み重ねれば「是(ぜ)」に成り替わる

嘘、というよりは
『ある間違いも、大多数の人によって長年踏襲されると、終いにはそれがまかり通ってしまう』
という意味です。

つまり、この言葉が言っているのはもっと広範囲にわたる「間違い」です。例えばその「間違い」が起こってしまった原因が

〇民衆の無知、誤解によるもの
〇勝手に自分の都合よく捉えてしまったもの    
ただし!
故意に流された「嘘」、つまりデマであれば?「ウソも100回言えば真実になる」という意味そのまんま。非が是に成り替わるんですから。

元々、中国語の中には一つの漢字で二つ以上の音を持つものがあります。

「え?いやいやいや日本語なんて基本そうやで、音読と訓読。」

って思われるかもしれないのですが、中国語の場合、音の違いによる意味の違いは、日本語よりも強く紐づけられています。

例えば「行」という漢字。

日本語でも「ギョウ、コウ、いく」と分かれていますが、「歩行」も「銀行」も日本語では「コウ」ですが、中国語では歩行的な意味と業界的な意味、意味が異なるので発音も異なります。

広東語では「ハン(北京語:シン)」と「ホン(北京語:ハン)」と言った具合です。

(この記事では、読みが異なっているという事だけ伝わればいいので専門的なピンイン表記は省いています。)

 以前の記事でも紹介しましたが、香港は人口の大半が中国内陸から逃げてきた人たちだった為、当時の人たち、つまり私の旦那の親とその親辺りの世代というのは、教育もまともに受けられる経済的余裕はありませんでした。

その頃は識字率も低く、広東省全域から渡って来た人達の色々な方言も混在していたせいで、字も音も間違って覚えられた言葉が結構たくさんあります。

それを一つ一つここで紹介するつもりはありませんが、今、一つの大きな流れとして起こっているのが、広東語の読み方改変です。

一部の言語学者や大学教授たちが、長きに渡って色んな方言がブレンドされて、ブレにブレてきた広東語の発音を新しいスタンダードで以て統一しようという動きが出てきました。

教育として「読み方を統一」することは、とても大切な事だと思いますが、問題となったのは「新しいスタンダード」でした。

「広東語が最も正しかったのは南宋時代の音である」等として、急にたくさんの広東語の音が、従来の読みと違うものまで出てきてしまったのです。

例えば広東語に「籍口」と書いて「言い訳」という意味の言葉があります。これは冒頭に紹介した「行」と同じ多音語で、意味によって読み方が変わるというものでした。

これは「言い訳」という意味の時は「ジェーハウ」、音は長く伸ばす「ジェー」でした。ところがこの「籍」と言う字は、日本語でも馴染みのある「国籍、戸籍」の「籍」でもあります。

この「籍(せき)」という意味で使う時、この「籍」の音は短く「ジェッ」と詰まる音に変わります。

これは方言ではなく、正規の多音語として長く流通してきました。

ところが、近年になると若い世代が「言い訳」という意味の「籍口ジェーハウ」も、「国籍ゴッジェッ」の「籍」と同じ発音で「ジェッハウ」と発音するようになりました。

私はテレビで広東語を勉強してきましたが、とうとうテレビドラマでも、この「ジェッハウ」という音がまるで正解かのように使われるようになりました。

正に「積非成是」です。使う人が多ければ多いほど、間違った音もそれが「新しいスタンダード」として、いつの間にかすり替わってしまうという状況が起こっています。

私でさえ、当初覚えた音が別の音にすり替わっていることに混乱しているので、これまで普通に喋って来た母国語のスタンダードが、知らぬ間に、少しずつ変わっていってしまう事に、少し年配の世代は何故声をあげないのか、または、これまでの香港の大学教授のような地位の人たちが、何故その間違いを正そうとしないのか、と思ったら、何と、香港の中で言語学の権威である立場の人たちが、そもそも広東語の読み方改変を推進しているのだと知りました。

現に、その人達の生徒の世代が今の社会を担うようになり、教育の現場から、報道の現場まで、そうした「新しいスタンダード」の広東語が既に普通に使われ始めているのです。

中国語には「誤人子弟(他人の子供を正しくない方向に導く)」という言葉もあります。「人を教える立場にある人には、高い素養と資質、優れた人格が求められるものである」という意味です。

誰でも彼でもがただ、教員免許という資格を取ったからといって、教育者として真に優れているとは限らない、ということです。

端的に、しかし深く的を得た言葉をどこよりも数多く持つ中国語(特に繁体字の漢字も含めて広東語)が、「これは何かおかしい」と感じている人も多い中、圧倒的な数に押されて、今や風前のともしびと化そうとしています。

自分が惚れ込んだ広東語が、このままなし崩し的に原形をとどめられなくなっていくのか、私は外部者ではありますが暗澹たる思いでこれを眺めています。

長きに渡り植民地であった為に、またその長い期間があった為に、香港は今も政治について、教育について、等、色々な現場での対立があるのだという事を思い知らされた出来事です。

以前も申し上げましたが、私は広東語が好きなのです。

マイナーではありますが、これからも広東語色々や、今香港で広東語に起こっている「積非成是」(原因が無知、無学によるものも含めて)を、細々紹介していこうと思っています。

続く

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