uruouko@ACIM学習者

A Course In Miracles 奇跡のコースのレッスンでの気づきなどをただ淡…

uruouko@ACIM学習者

A Course In Miracles 奇跡のコースのレッスンでの気づきなどをただ淡々と綴っています。

最近の記事

奇跡のコース lesson23

恐れから抜け出す唯一の方法。 その他に方法がない。 失敗はありえない。 これだけ言い切ってもらえるのって気持ちがいいですよね。 なにか外側に問題が起きたとして、その問題に直接アプローチしても無駄だってこと。 ただの対処療法でしかない。 その問題を見ているわたしの思い(原因)に働きかけないと、何度も同じような問題が手を変え品を変えやってくる。 戦争がその良い例な気がする。 私たちひとりひとりの中に、誰かを、何かを攻撃する思いがある。または誰かに、何かに攻撃されている思い

    • 奇跡のコース lesson22

      “報復”という言葉は、あまり現実では使わないですよね笑 怒りなどの攻撃的な思考を心に持つと、 それが世界に投影され、 報復という形になって自分が攻撃される。 わたしの攻撃心  ↓ 世界に投影される  ↓ 攻撃される  ↓ 防衛する  ↓ 攻撃される  ↓ 防衛する ものの見方を変えない限りは、これが繰り返されるだけ。 原因であるわたしの攻撃心を訂正すれば、一瞬で消える。 わたしが見たい世界は安心が延長される世界です。

      • 奇跡のコース lesson21

        なにか感情が揺れる出来事が起こった時に、この出来事のせいでわたしは怒っている、悲しい・・・・。 この人のせいで怒っている、悲しい・・・。 など、外側のせいにしてしていたりしますよね。 でも、その外側の出来事には何の意味もないですよ。 と、はっきりと言われています。 では、なんで? どうして? わたしの感情はこんなに揺さぶられるの? と疑問に思ったら、今日のレッスン。 わたしは別の見方で見ることを決心します。 あなたの表に出る怒りや悲しみ、その他感情はずっとあなたの中に覆

        • 奇跡のコース lesson20

          わたしの本のlesson20のページに貼っていた付箋に書かれたメモ。 どうやって見るか? なぜ見たいのか? 見るモチベーション 真実を見ることのモチベーションを常に思っておかないと、 すぐに忘れるということなんだろう。 肉体の目(自我の目)で見ることに慣れているから、 どれだけ自分(自我)を取り下げて見れるか。 365日のレッスンで20日目なので、 まだまだ真実を見るとは何だろう? わからなくても、とりあえず決心しよう。 という感じで、わからないままやっていくというこ

        奇跡のコース lesson23

          奇跡のコース lesson19

          lesson18はどのように見るか。 lesson19はどのように思うか。 嬉しい、楽しい、悲しい、腹が立つなどの感情を発した時、 その波動はもうすでに周りに影響を与えている。 よくよく考えたら、すごいことですよね。 ちっぽけだと思っている自分の思いは、確実に周りに影響を与えるんだから。 そもそも自分をちっぽけだと思っていることが間違い。 わたしたちは神の子なのだから、ちっぽけな存在なはずがない。 それでも自分はちっぽけな存在だと思うのなら、 神に対抗して、神と闘って

          奇跡のコース lesson19

          奇跡のコース lesson18

          すべての心はつながっている。 何を見るかよりどのように見るか。 大抵の人は、自分がどのように見ているかということが、 人に影響を与えているなんて思ってもいないと思う。 わたしは5年ほど前に大病を経験しました。 別に隠すつもりは全くなかったけれど、 治療中に家族、親族意外に病気のことを伝えたのは、 わたしが心から信頼できて、肯定的に物事を見れる友達だけにしたのです。 内面的に心配やかわいそうという思いをもってわたしを見ていたなら、 表向きには普通に接してくれたとしても、

          奇跡のコース lesson18

          奇跡のコース lesson17

          物事は原因と結果のみ 原因は心のほう 結果は外の世界 本当はシンプルだ 外の世界の出来事に感情を揺らして、 ドラマティックを味わって楽しんでるだけ そのことに飽きたら、 そのことに疲れたら、 見るのは原因のほう 原因を見て訂正するだけ シンプルなんだけどね すんごい深ーいところに、 すんごい重い蓋をのせて、 厳重に見れないように、 密かに抱いた原因(思い)を閉じ込めていると、 なかなか見るのが難しい そんな時は、 わたしは、 密かに抱いた原因となる思いを見た

          奇跡のコース lesson17

          奇跡のコース lesson16

          ニュートラルな思いって何だろう? 中庸、中道と仏教等では言われたりしますよね。 「千と千尋の神隠し」でも、終盤で千尋が電車に乗って湯婆婆の姉妹を訪れる時、電車の駅が「中道」だったような・・・・。 中庸、中道というのは、わたし的にジャッジしないということだと思っています。 物事には多角的にいろんな面があるので、どちらが悪くて、どちらが良い。こっちが正しくて、あっちは正しくない。というのもない。 ただ、自分はどう感じるかは見ればいいかなとは思ってます。 では、この奇跡のコー

          奇跡のコース lesson16

          奇跡のコース lesson15

          身体の眼で見るのか、心の眼で見るのか。 身体の眼で見ている時、わたしは幻想を見ている。 幻想だから何の意味もない。 何の意味のないものを作り出しているは自分である。 全ては自分自身が作り出したと真に受け入れることができた時、 かすかな光がわたしの心に届くのだと思う。

          奇跡のコース lesson15

          奇跡のコース lesson14

          今、自分が見ている世界が平和で安心が広がる現実ではないのなら、 恐れや不安が現れている世界なら、 そのような世界を作り出したのは、 神から離れたわたし、 神に対抗する自我(エゴ)が作り出したもの。 今一度問うてみる。 わたしはどのような世界を見たいのだろうか? あなたはどのような世界を見たいですか?

          奇跡のコース lesson14

          奇跡のコース lesson13

          本当は意味のない世界はない。 意味のないものは存在しない。 愛か恐れか。 神か自我か。 愛、神の世界は存在するが、 恐れ、自我の世界は幻想だよ。存在しないよ。 自我は瞬時に私たちの心の隙に入り込んでくる。 あまりにも一瞬なので、ほとんど気づかない。 そのため自我を自分だと思ってしまう。 心の隙間に自我が入り込まないように、愛で満たしたいです。 恐れを選んで神に張り合うつもりはありません。 という祈りを1日の終わりに。

          奇跡のコース lesson13

          奇跡のコース lesson12

          noteでは、レッスンのアイデア(太字)の部分とわたしが”ここ"と思った箇所を抜粋して載せています。 奇跡のコースのレッスンをしていると、そのレッスン内容にぴったりの出来事が起こったり、内容を補足してくれる出来事が起こることがある。と以前の投稿でも書いているのですが、今日も抜粋した箇所を補足してくれることが起こりました。 今日仕事で少しイラッときてしまい、帰りながら今日のレッスンを心の中で唱えていました。 「わたしがイラッときたのは、意味のない世界を見ているからです。」

          奇跡のコース lesson12

          奇跡のコース lesson11

          今日のレッスンはとても大事なこと。 外側の出来事がわたしに影響を与えているのではなく、 わたしの内側の思いが外側の世界に投影し、世界を作っているよ。 と伝えている。 最近はスピリチュアル的にもこのアイデアは浸透してきているかもしれないですね。 例えば、戦争について。 ニュース等で戦争を見ている私たちの心は平和でしょうか? 夫婦、親子、その他誰かとの言い争い。 戦争とこれらの言い争いは、規模は違うけれど、 心が平和ではないということに関しては等しいです。 ダライラマだっ

          奇跡のコース lesson11

          奇跡のコース lesson10

          なにかについての思いがよぎる時、 今日のアイデアを当てはめようと思うが忘れてしまう。 それぐらいいつも、常に、わたしの頭の中には様々な思いがあり、 その状態が当たり前になっているので、何かの思いがよぎっている。という考えに及ばない・・・・。 これはきっとわたしだけではないと思う。 という思いにはなんの意味もありません・・・・。 ちょっとした思いもすべて、 外側に意識が向いているうちはどうやら何の意味もないらしい。 少しの時間でも意識を内側に向けて、 わたしは本当のこ

          奇跡のコース lesson10

          奇跡のコース lesson9

          わたしは、いま使用しているPCをありのままに見ていません。 とレッスンをしながらも、頭ではいやいやこれPCやし。 ありのまま見てるし。 と抵抗してしまいがちだけど、 ただ理解できなくても淡々とありのままに見ていないと認めていく。 上記引用の文章と同じことを先日聞いた。 「話を聞いていて、それ知ってる。と思っただけで、その話は頭には全く入らない。何か必要なメッセージがあったとしても。だから、初めて話を聞くように聞いて下さい。」 奇跡のコースのレッスンをしていくと、レッス

          奇跡のコース lesson9

          奇跡のコース lesson8

          何かに反応して感情が動く時、 何かを判断する時など、 わたしたちはそこに過去を見ている。 今ここではないものを見ている = 幻想を見ている。 365日のレッスンの8番目で、 じんわりと時間の概念を崩しにかかってきてたのを改めて知った。 こうやってnoteに書いてみることで、今までよりも深くレッスンが入る気がする。 わたしは本当のことを見たいです。 そのように祈ることは、 わたしが見ているものは幻想である。 と認めること。 理解できなくてもいい。 そうなんだとただ認める

          奇跡のコース lesson8