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うつ病になりやすい性格の私
うつ病になるリスクは誰もが抱えている。
一方で、同じ環境でもうまくストレスをいなし、うつ病にならない方もいる。
結論から言うと、うつ病になりやすい性格というのは、真面目で責任感の強い頑張り屋だ。
それは素晴らしい美点だ。でもそういう人は仕事でも人から信頼され、重要なポジションにいて、どんどん負担が増えると思う。私がそうだった。
この性格特性について、自分のうつ病経験から述懐してみようと思う。
振り返ると私は、客観的には完璧主義でおせっかいな上に真面目で責任感が強いのかもしれない。他人からはそう評されることが多い。
でも実際は、総じて、自分に対する期待が爆発的に高いことがすべての原因だと感じる。
仕事などで何か作業する時、自分の中での「最低限のクオリティ」を設定し、私としてはそれをクリアしようとしているつもりだ。
でもその「最低限」がすごく高いのだ。
矛盾しているのだけれども、私はすごくがんばらないとその「最低限」をクリアできない。
できないとなれば、「最低限」もクリアできないなんて、こんなクズみたいな成果物で満足するなんて、それで恥ずかしくないの? 満足なの? もっと熱くなれよ! 心を燃やせ! みたいな謎の感情が芽生えてくる。
結果的に、他人から見ると十分できているにも関わらず、何回もやり直したりする(慣れた作業ならそこまではしない)。
そして出来上がったものは「最低限」をクリアしているだけなので、自分からは何ら達成感も、お褒めの言葉も何もなかったりする。「できて当然でしょ」以上、終わり。
これでは確かに疲れてしまう。
実際、こんなこともあった。
昔気のある男の子に何かのお礼でマドレーヌを贈ろうと思い、私はキッチンに立った。
![マドレーヌの写真](https://assets.st-note.com/img/1687167595955-enjvUMLpC6.jpg?width=800)
私は全力を尽くすと決めた。
小さなメモにマドレーヌのレシピを書き留め、何度も作っては食べて頭をひねり、砂糖やバターの量を微調整した。自分で完璧と思うまで10回以上繰り返した。自宅は失敗作であふれたが、ついには私の舌をうならせる、完璧に美味しいマドレーヌレシピを作り上げた。
そのマドレーヌを彼にプレゼントしたところ、反応が薄かった。後日聞いたら、「えっ。君が作ったの? お店のやつだと思ってた」とズレたコメントを頂戴した。いや、手作りかどうかはふつう、分かるだろ、ラッピングとかで。
でも、当然ラッピングもこだわっていたので洋菓子店のマドレーヌと混同してもおかしくないかもしれない。
私は涼しい顔で流したので、アイツ未だに私がどれだけあのマドレーヌに工数をかけたか知らないのだ。ただ喜んでほしかっただけなのに、私はなんでこんな苦労をしているんだろう。
責任感が強くて頑張ってしまうという特性で思いだすのは、私が初めてうつ病を発症する直前の出来事だ。
私は当時の客先でパワハラ・セクハラ被害を受けていた。私は自社の上司に相談した。自社の上司から客先の加害者に連絡が行った。
上司は私に、他の現場に異動するかどうか聞いた。私は異動しなかった。「ここで頑張る」ことが必要だと思ったからだ。
でも結果的に、加害者と接しながら、周りから腫物を扱うようにされて、耐えられず、うつ病を発症して休職から退職することになった。
どちらかというと、責任感よりも、執念深さから来ていると思う。一度決めたことをなんとしてもやり遂げたいのだ。私はできると証明したいのだ。
これもまた、自分への期待感の高さから来ている。
だから、自分の基準を満たさない行動や成果物を出してしまうと、恥辱の感情で前を向けなくなる。
昔とある短文のコンテストに応募して、採用いただいたことがあった。
それ自体はとても嬉しかったのだが、いくつか応募した中で採用されたのが、自分としては「イマイチかな」と思う作品だった。
そのコンテストの記念にいただいたプレートがあるのだが、それを部屋に飾りつつ、しかし、私は直視できない。文章が目に入りそうになると、視界に入らないように器用に目を逸らしている。
この状態がとても辛い。
喜びたい。それにまつわる、色々と嬉しい出来事もあった、喜ばしいできごとなのに、ずっと「恥ずかしい」と思っている。noteの記事だったら後から編集できるので良いのだが、もう直せないからこそ受け入れられない。
完璧主義、やめたらいいじゃない。
そう思う方もいらっしゃるかもしれないが、自動的な考えを矯正していくことは容易ではない。
でも、大事なことは、完璧な自分でなくとも、それでも価値を認めて愛情を持つことだと思う。
出来の良い時の自分も悪い時の自分も、等しく価値がある。
何ができるかによって、自分の価値は増減したりしない。自分から見てどんなクオリティであろうと、まずできたことに対して、自分自身に感謝すること。それ以上を求めるなら、自分に強い負荷を求めていることを自覚する。
数回の休職経験から私は上記のことを学び、少しずつ実践するようにしてきた。正直、完璧主義な部分は消えたわけではないのだが、自分を労わることで少しずつ寄り添うようにしている。
また、メンバーシップ特典で恐縮だが、上に挙げたようなことを記事にもしてきた。
私は自分の経験や、メンタルケアなどの本から学んだ内容を元に、自分や、自分の大切な人たちへの愛情をもって書いてきた。こうして書くこと自体が、私の貴重な経験にもなっている。
こうした活動を通じて、人に喜んでいただくこと、それ自体が癒しなのだとも実感した。
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