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僕がうつ病で8ヶ月間、休職した話。

まえがき

自己紹介にも書いたが、僕は以前うつ病になって8ヶ月間休職していたことがある。
その間、ずっと寝込んでいた。
…というわけではなく、少し元気なときは「なぜ自分がうつになったのか?」と悶々とした思いを文章に綴っていたりした。
うつが少し良くなり、ある程度動けるようになってから復職するまでの間、ブログを立ち上げ、ほぼ毎日更新していたように思う。
今はほぼ更新することがなくなり、先日久々にそのブログを見て、何だかとっても恥ずかしい気持ちになった。
よくこんなものを世の中にお披露目していたもんだなと感じてしまった。

人の考えは移ろいやすい。
それは僕も同じ。
もしかしたら他の人より移ろいやすいかもしれない。

今じゃ考えられないようなことを考えていたり、今じゃ口にできないような恥ずかしいことを書いていたりしている。
これは僕自身の成長・進化なのか?それとも退化なのか?
分からないけど、当時の僕は今の僕とだいぶ違っている気がする。

でもnoteを書く上で、昔を振り返り書けるネタもあるだろうから、しばらくブログはそのまま置いておこうと思う。
ブログはネタを絞り切った時点で閉鎖するつもりだ。

今回はそのブログを読み返しながら、僕がうつ病になって経験したことを書こうと思う。
もしうつ病を抱える当事者の方に読んでいただき参考になれば、とても嬉しい。

うつになって現れた最初の変化

2018年の2月~3月頃。
今からちょうど5年前に最初の変化が起きた。

好きな映画を観ても何も感じなくなった。
面白くもなんともないどころか、ストーリー展開に付いていけず、話の内容がまったく頭に入ってこない。
普段ならおかしくて大爆笑してしまう芸人のギャグも白々しく、見上げた空はどこまでも灰色に見えた。
塩味や甘み、苦みなど味覚は正常なのだけども、好きなものを食べても美味しいと感じなくなった。

感情や感覚が鈍くなる感覚が現れた。
これはきっと、うつ状態になったことのある人なら経験のある出来事だろう。

そして情緒が不安定になり、周りにとげのある態度を取ったりもした。
八つ当たりも甚だしい僕に、当時職場では孤立していたような気がする。

体調は常に悪く、37度を超える微熱をしょっちゅう出していた。
咳やのどの痛みはないが、何だか常に腹部に違和感を感じ、病院で胃潰瘍か十二指腸潰瘍の疑いがあると言われ、薬が処方されていた。

そんな状態がしばらく続き、4月になった。
ある日、僕は夜勤勤務のため、夕方前に地下鉄に乗ろうと、最寄りの駅に来た。
駅まで歩いて来たのだろうが、どの道をどのように歩いて来たのか覚えていない。
わけが分からなくなり、どこへ行こうとしているのかさえも分からなくなった。
「なぜここに来て、今からどこへ行こうとしているんだろう?」
電車がホームに近づいていることをアナウンスが知らせる。
鼓動は高鳴り、手には汗をかいている。
状況の不気味さに不安感が押し寄せ、ホームの掲示物に目をやる。
電光掲示板には、最寄りの駅名や行先が、日本語、英語、中国語、ハングルで繰り返し表示されるが、どれもまるで記号のように見えて、言葉として理解することができなかった。

電車を一本乗り過ごし、何とか落ち着きを取り戻す。
ふと我に返り、今から夜勤に行かなければならないことを思い出す。

そこからは翌日の朝まで気合を振り絞って仕事をした。
きっと必死な様子が周りにも伝わったのだろう。
しばしば体調を心配する声を優しい同僚たちから掛けられながらの夜勤だった。

そんなことがしばらく続いた。

優しい声をかけてくれる同僚もいれば
「最近どうしたの?もっとしっかりしてもらわないと」
と苛立ちを隠せない同僚もいた。

まあ、とにくかく様子がおかしかったのだろう。
それからもしばらくの間、頑張って働き続けていた。

そして遅番で働いていたある日、夕方で退勤予定の同僚に声を掛けられた。

「あれ?今日夜勤なの?」
「違います。今日は遅番です。」
「そうなの?あー、良かった。私明日早番なのよね。お疲れ様。」

彼女が明日早番ということは、もし僕がその日夜勤であれば、朝一番に僕と顔を合わせるわけだ。
それが嫌だったから、“良かった”と安心したのだろう。
ぼーっとした僕の頭でもその言葉の意味はすぐに理解でき、ショックだった。
それ程までに、僕は仕事ができないし、不機嫌だし、一緒に仕事をしたくない人としてレッテルを貼られていたのだろう。

このことがきっかけで完全に戦意喪失。
とどめの一撃だった。
主治医に診断書をもらい、休職する運びとなる。

うつになった原因を振り返る

僕は転職し、2017年5月に当時の職場である有料老人ホームに介護職員として配属される。
前職は全く関係のない職種の仕事をしていた。
介護職員初任者研修を修了しているとはいえ、全てが初めてことばかりだった。
今思えば運が悪いことに、その有料老人ホームのオープニングスタッフとして配属された。
経験や知識の差こそあれ、先輩後輩はない。
全員が同期という環境だった。
施設自体が新しくオープンしたという環境下。
決まっていなければいけないルールが曖昧だったり、はっきりしないということはどうしても出てくる。
なのでみんな必死だ。
介護職経験者たちが必死に話し合ってルールを構築していく。僕はついていくだけで必死。
未経験なので当然分からないことがあれば誰かに聞きたいわけだが、ルールはリアルタイムで構築中。
経験者である職員を頼りに、不明な点を聞いても
「私に聞かれても分からないので、別の人に聞いてください」
と言われることもしばしばだった。

そんな日々の中で、僕が休憩室のカーテン一枚で区切られた更衣室で制服から私服に着替え、帰り支度をしていたとき。
ベテラン職員ら何人かが一斉に休憩室に入って来た。
そして僕がいることに気が付かず話し始めた。

「正直、未経験の子をこの状態で入れるってどうなの?」
「本当よね。教えてあげる余裕もないし。」
「言っちゃ悪いけど、足手まといなのよね。」

未経験の職員は何人かいて、僕のことを話しているとは限らない。
けど、僕は思った。

それは僕のことだよね?と。

すごく高いモチベーションでこの職場に来たし、初任者研修も一生懸命勉強した。
けど足手まといなのだろう。
ただただショックだった。
それからは、同僚の機嫌や顔色を見ながら仕事をするようになった。
本来介護とは、利用者本位でなくてはならないところ、気づけば職員本位な仕事をしていた。

やりたいことと、実際にやっていることのギャップに僕の心は蝕まれていった。

職員同士の人間関係で悩みを抱えていた上に、慣れない仕事内容。
慣れない夜間の勤務に不規則なシフト。
どんどん体調がおかしくなっていった。

今思えばうつになっても仕方のない環境だった。
早く信用できる仲間を見つけて、相談できれば良かったのだろう。
けどその余裕を当時の僕は持ち合わせていなかった。

休職したいと伝えたときの上司の反応

精神科で診断書をもらい、そのことをすぐ上司である施設長に電話で報告をした。

そしてすぐ面談を行った。
頭が回らず上手く言葉が口から出てこない中、できる自分の今の状況を話した。

上司は少し間をあけて
「…わかりました」
とだけ答えて、今後の手続きなどについて淡々と説明し始めた。
けれど、その半分も僕は理解をすることができなかった。
しかし、その場ではうなずくしかなった。
説明を終えた後、上司はこう続けた。
「落ち着いてからで良いから考えてほしい。うつ状態になった原因をね。だって、精神科にかかる時点で“普通”じゃないでしょ?原因がわからないと、復職したって、また同じ原因にぶち当たって、休職が必要になるかもしれない。あなたの場合、勤続年数から言うと、休職できるのは1回だけです。次はないよ。だから落ち着いたら考えてほしいんです」
上司の言葉の中で、僕が引っ掛かったのは「精神科にかかる時点で普通じゃない」という部分だった。
このときの僕の中にはきっと、被害妄想のようなものがあって、何だかとても見下されたような気がした。
きっと上司は僕のことを心配して
「普通に暮らしてたら、精神科にかかることなんてそうそうないでしょ?」
というニュアンスで話したのだろう。
そのときの僕はとにかく卑屈だった気がする。
それに気づかず上司は話し続ける。
「一度休職すると復職するにあたって、産業医の診断が必要になります。そのときに復職は難しいと診断されたら復職できません。主治医に復職できると診断されても、産業医が復職できないと診断する場合があるんですね。私が知っている人で、2年復職できない人もいるし、一旦休職してしまうと復職は難しいですよ」

なんと返事して良いのか困る僕。
でもたとえ2年かかったとしても今のまま働き続けるなんて到底無理だ。
うつむき加減な僕に上司は質問をした。
「原因は、きつい口調の○○さん?それとも●●さん?みんなまだ知らないけど、○○さんなら5月いっぱいで辞めるから…」
と上司は微笑みながら話した。
彼としては、僕に心の中の鬱々とした思いを吐き出させたくて、こう話したのかも知れない。
が、僕の頭の中ではまだ「普通じゃない」という言葉が頭の中で引っ掛かっている。
卑屈だった僕は、微笑む彼の表情さえも、なんだか馬鹿にされているような気がした。

今振り返ると、心を病んだことで、物事の認識まで歪んでしまっていたような気がする。
そしてもうあの上司とも会うことがなくなったけど、今思えば良い上司だった。
きっとまだ大阪のどこかで施設長をしていることでだろう。
もし再び会う機会があれば、温かい言葉を掛けてくれたことに、ありがとうと伝えたい。

信頼できる主治医との出会い

その後、僕は8ヶ月間休職して見事に?復帰を果たした。

今では寛解(かんかい)し抗うつ剤も飲んでいない。
ちなみに寛解とは、治癒とは少し違う。
辞書によると、“病気による症状や検査異常が消失した状態を「寛解」と呼ぶ”とある。

それもこれも、長く治療に付き合ってくれた信頼のおける主治医のお陰かも知れない。

最初の主治医

最初、腹部の不快感を訴え駆け込んだ病院は、内科と心療内科を行っている、とある大阪・キタの病院だった。
彼女は僕を胃潰瘍か十二指腸潰瘍だと診断した。
ストレスなど思い当たる節がないか聞かれ、思い当たると回答。
ストレスを緩和し、消化器系の調子を整える薬を処方される。
が、どんどん症状は悪化。
最初に効いてたはずの薬では太刀打ちできな程度に。
モヤモヤとした不安感が続き、腹部は常に痛く、胸やけもしていた。僕にとっては一大事だった。

不規則なシフトの間の時間を調整して、なんとか彼女のところで診てもらう。
今思えば彼女は僕の顔を見ることもなく、ただ僕が話す症状をパソコンのモニターを眺めながら入力するだけだった。
薬が消化器系の調子を整えるものから、抗うつ剤に変更になった。
しかし、とくにこれといって説明はなかった。
薬局で薬剤師からは
「副作用が強くでることがあります。その場合はクリニックかここに電話してください」
と言われた。
しかし僕は今まで薬の副作用やアレルギーに苦しんだことが一度もない。今回も大丈夫だろうと油断していた。

その後、彼女の指示どおり服薬をし始めた2日目の朝。
熱は38度を超え、汗が止まらない。
動機で胸が張り裂けそうな上に、吐き気と下痢に襲われる。

薬剤師の言葉を思い出して、すぐにクリニックに電話をする。
主治医である彼女が電話に出た。
僕が症状を説明すると彼女は
「薬のせいでしょうね。いったん飲むのを止めて、様子を見てください」
と言い、僕が返事をする前に早々に電話を切った。

後に知ることになるのだが、抗うつ剤などの精神疾患に出される薬は、副作用の出方など人によって千差万別のようだ。
僕のような副作用がでるのもさほど珍しいことではないらしい。

それならそうと、前もって説明して欲しかった。
薬剤師は説明をしようとしていたけど、軽く捉えていた僕にも問題はあるが…。

二人目の主治医

僕は病院を変えようと決意し、近所の精神科に予約を入れた。
わざわざ電車に乗らなくても、こんなに近所に精神科のクリニックがあったことをネットで調べて始めて知った。
そのクリニックを選んだ理由はただ“近かったから”。

医者との相性もあるだろうから一概には言えないが、僕にとっては“当たり”の医者だった。
彼は彼女と違い、丁寧に診察をしてくれた。
一回の診察で30分~1時間話しを聞いてくれることもあった。
勿論、薬についても詳しく事前に説明をしてくれる。

何度か薬が変わり、その度に耐えがたい副作用に苦しめられた。
しかし、事前に彼の説明があったので安心して服薬を続けた。

そして自分に合いそうな薬を見つけるに至った。
最初は少し体調に変化があったものの、彼が
「それぐらいの副作用なら少し我慢してみましょう。しばらくすれば、落ち着いてくるはずですから」
と話したので諦めず指示どおり服薬を続けた。

その後転居することになり、違う病院に移ったが、今の僕があるのは彼と彼の処方してくれた薬のお陰だろう。

うつになって変な民間療法などに手を出す人がいるという。
僕は彼らの気持ちが少しだけわかる。
というのも、副作用のない自分に合った薬に出会うまでがとても大変なのだ。
耐え難い副作用を与える薬もあり、その副作用が出るか出ないかは飲んでみるまで分からない。
一か八か。まるで自分が実験用のラットになった気分だ。

どんな病気も治療には苦痛を伴う。
それはうつ病も同じこと。

僕はあまり根性論が好きではない。
が、うつを治すには自分に合った信頼できる主治医と西洋医学の他に、多少の根性が必要な気がする。

去年、転居と仕事の予定が合わなくなったことを機に、お世話になった当時の主治医のいない別のクリニックに移ることを検討した。
そのことを相談したときも笑顔で
「だいぶ落ち着いてきていますし、別の先生に診てもらうのもいい機会かも知れません」
と前向きな言葉をくれた。

今は別のクリニックに行っている。
そして新しい主治医の見立てで、徐々に抗うつ剤を減らしてもらい断薬することに成功した。

その代わりにといってはなんだが、ADHDという発達障害の傾向があることが分かり、現在その症状を抑える薬を飲んでいる。

僕がうつになった原因には、ストレスフルな環境の他に、このADHDも関係しているのかも知れない。
うっかりミスをすることが多く、それまではずっと、自分がそそっかしいのが悪いのだと考えていた。
だがそうではなく発達障害の影響があったのかも知れない。
他の人並みにヒューマンエラーを減らすには、他の人以上に努力をしなくてはならないので、当然ほかの皆よりもストレスを感じやすくなる。
新たな自己覚知。

お陰で以前より仕事がはかどりストレスが減った気がする。

それもこれも、2人目の主治医に出会えた影響が大きかった気がする。

勝手な断薬をしなかった

医師に相談することなく自己判断で処方された薬を飲まずに断薬をする人がいるという。
僕はSNSでそういう人がいることを知ったのだが、たいていそういう人は突然断薬したため起こる離脱症状やぶり返すうつの症状に苦しめられる。

僕も抗うつ薬を飲んで症状が落ち着いてきたときに、勝手に断薬しようかと頭をよぎったことがあった。

出来る限り副作用の少ない自分にあった薬を主治医は処方してくれているのだが、口の中が妙に乾くなど、多少の違和感があったからだ。

そして、抗うつ剤の効果というのは、飲んですぐに元気になれるものではなく、2~3週間経って「あれ?そういえば最近調子がいい気がする」程度のものなのだ。
少しずつ効いてくるので、本当に薬の効果で元気になってきているのか、それとも時間が心を癒してくれのか?実感を得ることがとても難しい。

「ちょっと薬止めてみようかな?」
と思うのはうつ病の患者あるあるなのかも知れない。

でも僕は、SNSで離脱症状に苦しむ人の状況を知ることができたので、主治医の指示どおりきちんと服薬を行った。

もし今断薬しようか迷っている人がいるのであれば、間違いなくやめておいた方が良いと断言できる。
主治医との信頼関係にも関わる。
僕が経験したことから言えるのは、治療に近道はないということ。
急がば回れで着実に治療を行った方が良い。

たまにSNS上で、勝手に薬を多く飲んだり少なく飲んだりして調整する人がいる。
しかし沢山の患者を診てきたプロの意見にはきちんと従うべきだろう。

休職期間中、僕なりの自己肯定感の上げ方

結局のところ僕はその年の5月からうつで仕事を休職をしてた。
休職し始めの頃は身体が鉛のように重く、ほとんど動けけずにいた。
8月半ば頃から少しずつ興味のあることなら身体を動かすことができるようになり、必要な買い物にも難なく出掛けれるようになっていった。

主治医には
「散歩でも何でも好きなことでいいです。無理のない範囲で身体を動かして活動量を増やしましょう」
笑顔でアドバイスを受けた。

落ちた体力を取り戻すために、筋トレなど試みてはみた者の、休職前より5kg以上も痩せた身体では無理があり、あっけなく断念。

主治医のアドバイスどおり、軽い散歩から始めてみる。
最初は近所を少し歩いただけで、息が切れるほどしんどかったが次第に慣れていった。

復職に向けてもっと負荷をかけて体力をつけたいと思うようになったが、挫折した筋トレを再開する気にはなれず、もっと沢山の距離を歩いてみることにした。
とはいえ、目標もなくただ歩くだけなんて無理があるよな…と考えたいた。

ボランティア

そんなことを考えていたとき、ネットで「ゴミ拾いのボランティア」の募集を見つけた。

“決められた場所に決められた時間に行って、歩きながらゴミを拾う”

これはちょうど良いリハビリになるかも知れない。
一日限りのボランティアだったが、早速応募してみる。

ゴミ拾いに必要な、トングと軍手とビニール袋を用意して、当日集合場所に向かった。

実はこの年になるまで、ボランティアらしいボランティアには参加したことがなく、これが初めてのボランティア活動。
参加者は男女五分五分。大体2~30人ぐらいで大学生が多い印象だったが、小学生から60代まで幅広い世代の人たちがいた。

今回は僕同様、初参加の人が多かったため、ひとりひとり簡単な自己紹介をしていく。
名前と職業、なぜ参加したのか?などを順々に発表する。

「○○と申します。今大学の○回生です。今回、このボランティアに参加しようと思ったのは…えっと…学校に何かボランティアに参加してみたら?と言われたからです 笑」
というような自己紹介もあり、和やかな雰囲気。

中には小学生と男の子とその母親もいた。
なるほど。今は夏休み期間中。
もしかしたら、ゴミ拾いが自由研究か何かの役に立つかもしれない。

小学生そこそこの男の子の母親はこう自己紹介した。
「今日は、この子が夏休みって言うのもあって、時間の都合がつきやすかったので来させてもらいました。今は私の言うことをよく聞いてくれる子やけど、中学とか高校とかに入ったら、面倒くさいし捨てちゃえ!ってポイ捨てする子になるかもしれません。今日の経験が、そんなことせえへんように繋がってったらいいなぁと思って参加しました。よろしくお願いします」

なるほど。なんとも意識の高い教育熱心なお母さんなんだろう。
そんなことを考えながら、皆の自己紹介を聞いていた。

なんとなく“うつで休職中でリハビリ目的で…”と本当のことは言えず
「普段介護の仕事をしていて、たまたまネットで募集を見て応募しました」
というような薄っぺらい自己紹介をしたように記憶している。

自己紹介がひと段落したら、早速一行は列をなして繁華街へ。
皆それぞれ和気あいあいと話しながら、歩道や側溝に落ちたタバコの吸い殻、生垣の上にハマった空き缶など拾っていく。

こんな僕にも声を掛けてくれる人がいた。
30代でひとりでこのボランティアに参加している男は、多分僕だけだったろう。
当時僕は、そのとき付き合っていた恋人以外に普段人と話すのは、医者と買い物などで接客をしてくれる店員ぐらいだった。
こうやって他人と関わって、何かひとつのことを協力しながらするという体験は、休職してから初めてだった。

そしてゴミを拾いながら気づいたこと。
それは“路上にはこんなにもゴミが落ちてるのか?”ということ。

繁華街を抜け、大阪城公園へ。

2時間かけて歩き、参加者で感想を述べ合い解散。

この時僕は、人知れずささやかな達成感を覚えた。

普段、ワンルームの片隅から微動だにしない生活を送っていたわけだが、そんな自分も“まだ社会と繋がれる”、“社会の役に立てる”と感じたように思う。

ゴミ拾い散歩

そしてこのボランティア活動への参加を機に、初めて路上のゴミに思いを巡らせることになった。

それからしばらくの間、朝早く決まった時間に起きて、2~3時間ゴミ拾い散歩をした。
どうせ暇だし、活動量を稼がなくちゃいけないのだから、意義のあることに体力を使おうと思ったのです。

ただ早朝で人が少ない時間でも、街中や公園でゴミ拾いをすると、ぼちぼち目立つ。 
なんだか気恥ずかしい気がしたが、
「まぁでも僕の顔なんて誰も覚えてないだろう」
と考えるようにした。

ところがしばらくすると、お年寄りや年配の方に
「いつもありがとう」
「ご苦労様」
と声を掛けられることが増えるようになった。

近所のおじさんに
「あ、おはようございます!!いつもこの辺(ゴミ拾い)やってくれてはりますねぇ。ありがとうございます!」
と声を掛けられることも。

小さいことかも知れない。
けど、僕もまだ人の役に立てる。

今思えば、そう繰り返し感じることで、だだ下がりだった自己肯定感を底上げする、良いきっかけになったように思う。

ストレスとの付き合い方

うつ病は個人差もあるが、簡単に再発する。
今は寛解しているが、またあのつらい時期にうつの闇に脅かされるかも知れない。
だから僕は心が疲れたときは、なるべくゆっくり休養を取ったり、気分転換をするように心がけている。

かと言って、それだけでは人生つまらない。
元気なときは新しい様々なことに挑戦も行いながら、無理が祟って危険水域が見えて来たら、なるべくセーブするようにしている。

ストレスが溜まってきたら、ストレスの原因からなるべく距離を取ったりもする。
ストレスの原因が仕事などで関わりを持たなければならないモノなどであれば、関わるのは仕事中だけにする。

仕事を家に持ち帰ったりもしたこともあったが、決まって翌日のパフォーマンスに影響する。
だから余程元気で納期が差し迫ったモノでない限り持ち帰えらないようにしている。

そして、しんどいときはなるべくニュースを見ないようにする。
ニュースというのは、視聴者の不安を煽るようにできている。
気持ちが不安になる出来事の方が、人々が関心を寄せ、視聴率が上がるらしい。
ニュースで話題になるのは、決まって政治の腐敗や残虐な殺人事件などだろう。

元気なときは見るが、元気がないときは見ない。
気持ちを無意識のうちに引っ張られてしまう気がするからだ。
興味があるのなら、また元気なときに見れば良いのだ。
何も今見ないからと言って、世界が引っ繰り返るわけでもないだろう。

それと気分転換に一生懸命になる。
僕の場合、ツレ(パートナー)と同居しているので、仕事とは全然関係のない話をして気を紛らわすこともできる。

ツレが仕事などでいないならいないなりに、ひとりでカラオケに行き、大声を出し発散する。(あんまりうまくないそうだが、声量には自信があります 笑)

もしくはツレとは観れないような、映画を観る。
余談だが、ツレは字幕の映画が苦手だ。
あと暗い話も嫌いだという。
だから一緒に映画を観る際の選択肢は、邦画か吹き替えのある比較的コメディ要素多めの洋画になってしまう。
でもたまには観たいのだ…
字幕でしかサブスクで公開されていないような作品が…笑

最後に忘れてはいけないのが睡眠だ。
しんどい時はさっさと寝る。
これに尽きる。
納期が迫っている仕事も一旦忘れて翌朝こなせば良い。
疲れたら躊躇せずすぐ寝るようにしている。

 色々試行錯誤する中で、自分のストレス耐性について、どこまでが安全でどこからが危険水域かある程度分かるようになった。
だから今でも意識的に対策をしている。

ストレスが溜まってきたら下記の4つを心掛けている。

  • ストレスの原因(人やモノ)と距離を置く

  • ニュースを見ない

  • 一生懸命気分転換する

  • 早寝早起きをする

すでに対策済みかもしれないが、もし同じくストレス耐性があまりない方がいらしたら、ぜひ試してみてもらいたい。

最後に

このnoteで、うつ病のことをしってもらったり、治療中の方の参考にしてもらえたら嬉しいです。もし僕と同じようなうつ寛解の方がおられましたら、再発防止のため心掛けていることなどコメントで教えていただければ嬉しいです。
その他のコメントも大歓迎です。
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もし宜しければぜひお願いします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、また。

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