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岸谷康弘/新卒1年目で会社がつぶれて社長になった人の自己紹介

はじめまして。岸谷康弘です。
僕がどんな人間なのか、何を大事にしているのか、そういったことをこれから出会う人に知ってもらいたい、すでに僕のことを知っている人にもより詳しく知ってもらおうと思い、自己紹介を書きました。


基本情報

改めまして、岸谷康弘(きしたにやすひろ)です。
僕は1984年1月18日に和歌山県で生まれました。
現在は東京でメリーゲートという会社を経営しています。
「働き方・暮らし方・コミュニティ」をテーマにキャリア支援、不動産仲介、WEBマーケティング、小売、イベントなどを手がけています。

経歴

1984年に和歌山県に生まれて、幼少期は大阪、小学校・中学校は三重、高校からは和歌山で育ちました。
その後に東京理科大学/大学院で生物工学を学び、バイオベンチャー企業に就職。
リーマンショックの影響で社会人1年目からフリーターを経験。
その後にジョブチェンジで営業・マーケティングを軸に活動し、30歳で独立。36歳で法人を立ち上げました。

サッカーに明け暮れた高校時代

僕は子供の頃からサッカー選手に憧れてました。

プロになりたい!とかではなくて、純粋にサッカーをやるのも観るのも大好きだったので、迷わずサッカー部に入部しました。

僕の高校時代の思い出は99.999%がサッカーで、他の思い出は全く無いです(笑)

高校生活は始業前に朝練をして、昼休みは筋トレ、放課後は部活の練習。土日は遠征や練習試合とサッカー漬けの日々でした。そんな毎日がとっても楽しかったです。自分を成長させる楽しさ、仲間と目標を追いかける楽しさ、努力する楽しさをサッカーを通じて学びました。

恵まれた体格と地道な努力のおかげで2年生の冬からはセンターバックとしてレギュラーになりました。3年生での夏の総体で引退も考えてましたが、怪我をして総体に出れずに不完全燃焼だったので冬の選手権まで部活を続けました。

残念ながら目標の全国大会に出ることはできませんでしたが、とても充実した高校生活でした。

サッカーを通じて、熱中することがあれば人生はとても楽しくなることを学びました。うまくいかないことや悔しいことがあってもそれをバネに努力をして自分を成長させることができました。努力は必ず報われる、報われるまで努力するという自分の信念はこの時にできたと思います。

成功体験は人に自信を与えます。
自分はやればできる。そう思えるようになりました。

バイオの研究

大学/大学院で生物工学を専攻し、研究に没頭していました。

月~木曜日:朝9時~10時から夜23時~24時までずっと研究室
金曜日:20時で研究を切り上げて、居酒屋で飲み
土日:9時~15時までバイト、15時~19時に研究室、19時から彼女と会う。

こんな感じのスケジュールを学部4年生、修士1年、2年の3年間で続けました。

僕は回転寿司屋でバイトをしてたので、栄養補給はできてたので大丈夫でした。
お金がない学生は栄養失調で倒れないように飲食店でバイトすることを強くお勧めします!

ほとんど休みなく研究してたので、友達からは「やつれたけど大丈夫か?」と心配されてましたが、全然つらくなく、むしろ研究の楽しさにどんどんはまっていきました。

やっていたことは、脳神経系の発生分化に関わる遺伝子(から生成されるタンパク質)の機能解析。分子生物学というやつです。

人間の体には37兆個の細胞があり、それぞれに核というのがあり、その中にあるDNAに遺伝情報が組み込まれています。

遺伝子がmRNAという翻訳家さんによって、アミノ酸の複合体のタンパク質が生成されます。時期や外部環境によってタンパク質の発現量は変化します。

お腹の中にいる胎児が脳神経系をつくっていく時に発現量が多くなるタンパク質を調べていました。その時期・その場所に多く発現するということは、その時期・その場所で何かしらの役割を果たしている可能性が高いです。

その頃、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の論文を発表して、発生分化、再生医療の分野はとても注目されてました。
4つの遺伝子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を皮膚の細胞に導入すると、なんにでも分化できる幹細胞になるという画期的な発見でした。

このへんの話を書きだしたらきりがないのですが、要は遺伝子って面白いってことを伝えたかったのです。

そんな感じであっという間に研究生活の3年間が過ぎていきました。

リーマンショックで会社が潰れてフリーターに!

僕はバイオ研究にはまっていたのでもちろん就職はバイオの研究職です。

僕の父親は40歳まで会社員でした。毎日必死に働いて人生のほぼ全てを仕事に捧げていました。僕が子供のころに父親と会えるのは土日だけ、とはいえ土日も疲れて家でゆっくり休んでいるので家族で出かけるようなことはあまりありませんでした。

そんな父親の影響もあって会社員に対するイメージはあまり良くなかったです。会社に人生を捧げるなんて嫌だ!自由に生きたい!と思いベンチャー企業に就職しました。
ベンチャー企業のほうが自由に働ける気がしたんです。

そんな僕に神様は試練を与えました(笑)

リーマンショックの影響で会社がつぶれたんです!
社会人1年目の夏に!
僕の社会人1社目の経験は5か月で終了しました。。。

ここからの僕は暗黒時代です。
バイトをしながら転職活動をする。でも研究職の採用をどこの企業もしていない。
結局、フリーター生活が半年以上続きました。

25歳で起業を志す!

転職活動がまったく進まない25歳の僕は焦っていました。
人生で一番先が見えずにもやもやしていた時期です。大学院にまでいって勉強して、今はフリーター、俺はいったい何をやっているんだと自信を失っていました。毎日、安い焼酎をたらふく飲んで酔っぱらわないと寝れないくらい病んでました。

そんな時に人生を変える出会いがあったんです。
映画やドラマで人生を変えるきっかけみたいなシーンはよくありますが、現実でそんなことあるかよと思ってましたが、実はあるんです。

3つの出会いが僕の人生を変えました。

3つの出会いとは①彼女、②本、③メンターです。

ここは書き出すと長くなってしまうので詳細は割愛します。

とにかくこの3つの出会いで僕は変わりました。
何が変わったのか?
それは「新たな目標をみつけた」ことです。

僕はサッカー、研究と目標を持って努力している時は人生を楽しんでいました。
その目標を失い、死んだように生きていました。

3つの出会いがきっかけで起業を志すことになるのですが、目標を持つということは人生にとてもとても大きな価値を付けてくれます。
目標をもつことは僕の人生に必要不可欠な要素だということをこの時の経験で身に染みました。だから僕はどんな時も頑張れます。諦めるということは目標を失うということ、目標を失うということは自分にとっては死ぬことと同義です。

スラムダンクの名言に「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉があります。
試合で勝つことを諦めかけた中学時代の三井寿に安西先生がかけた言葉です。その試合で三井は逆転勝利、県のMVPに選ばれました。

その後、三井は高校でケガをきっかけにぐれて、バスケをやめます。
でも諦めきれない三井はバスケを再び始めます。
復帰した三井はどんなに苦しくても走ることをやめません。ふらふらになっても得意のスリーポイントを打ちます。あきらめが悪い男、三井寿。三井は誰よりも諦めることの怖さを知っています。だから諦めないんです。

ザッツオール!

キャリア支援について

僕がキャリア支援の仕事に取り組む理由は、自分が25歳の時に目標を失ったから、そして出会いによって新たな目標をみつけ、人生を良くすることができたからです。

根本的に人はみな頑張りたい、良くなりたいと思っているはずです。

人間は、遺伝子レベルで自己複製(自分を増やすこと)するために設計されています。
自分の遺伝子を残すために行動しています。

喉が渇いた→水を飲む→幸せを感じる→その個体は健康に近づき自己複製に有利になる
お金を稼ぐ→衣食住が安定する→幸せを感じる→その個体のストレスが減り自己複製に有利になる
などが分かりやすい例です。

なので、遺伝子に従い、脳が幸せと感じるように努力することは、幸福な人生を送ることに繋がっていきます。目標をもって仕事をして自分を豊かにすることは遺伝子レベルで設計されていることであるはずです。

目標をもって仕事に取り組むきっかけを僕と出会うことで人に与えていきたい。25歳の時の自分のように新たな目標をもって人生を変えるお手伝いがしたい。そんな想いでキャリア支援の仕事をしています。

集客(マーケティング)

僕は集客のプロです。マーケターとして集客のサポートを10年以上やっています。SEO、MEO、SNS運用、WEB広告などのオンラインだけでなく、オフラインのマーケティングも駆使して、飲食店、小売店、美容室、クリニックなどの集客とブランディングや店舗運営のサポートをしてきました。

その経験を活かして今は自分のお店を出す準備をしています。詳細は省きますが、テーマは「バイオテクノロジー」「健康」「コミュニティ」です。
自分が熱中していたバイオテクノロジーに研究ではなく、経営として携われることがとても楽しみです!

コミュニティづくりが生きがい

経営をしていくうえで組織づくり、チームビルディングは必要不可欠です。社員だけでなく、取引先、お客様も含めてコミュニティをつくる力が経営者には必要だと強く信じています。

自己紹介の最後に弊社のHPに記載している代表メッセージで締めさせてもらいます。

Fortune comes in by a merry gate.
笑う門には福来たる

株式会社メリーゲートの社名の由来となった言葉です。

グローバル化や少子高齢化、ITの発達により、世の中は日々変化し続けています。5年後、10年後の未来がどうなっているのか予測もつきにくい社会になってきました。

そんな変化の多い時代だからこそ、長い人生において、良い時もあればそうでない時もあります。何が起こっても、どんな変化があっても、最後は笑えることができれば良いなと思っております。

私自身たくさんのチャレンジをしてきて、今なおチャレンジし続けています。
そんな時にいつも心の支えになってくれたのは、家族、友人、仕事仲間、メンターです。

人は人によって生かされている。私はそう思っています。

誰もが「楽しむ」場、大切な人達が集まる場をつくりたい。その輪を広げて世の中を明るくしたい。
そのような思いからメリーゲートという社名をつけました。

・気心のしれた友人と一緒に過ごす楽しさ
・チャレンジする楽しさ
・新しい人、もの、ことに出会う楽しさ
・自分と向き合う楽しさ
・目標を達成する楽しさ

そんな「楽しみ」を共有しながら、人生を豊かにしていくお手伝いをしていきます。

未来は明るい。

代表取締役 岸谷康弘


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