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読書履歴#18_歴史から学ぶ強い組織の作り方

読書期間 2022年6月20日~6月29日

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文字数:約5,300

はじめに

歴史から学ぶべきとはよく言われますが、なかなかその考え方、真理の捉え方は難しくそれなりの経験が必要です。

今回はその考え方と真理の捉え方の一助となる良書をまとめていきます。

参考図書

序章

賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う
歴史は繰り返す要素もあり、絶対に繰り返さない要素もある
技術や人口、資源に関する変化は常にありかつ不可逆なので、歴史の上で同じ状況繰り返されることは絶対にあり得ない
・歴史は繰り返すというのは、異なる状況でも似た現象が起こることであり、歴史が参考になることも正しい
歴史から学びうる最大のものは、人間性に基づく行動の数多い事例
・歴史書物から短縮され単純化された歴史を学ぶことは効率が良い、一方でそこに生きた人の悩みと迷いは伝わらない、そしてなにより読者は結末を知っているがそこに生きた人はそれを知らない

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P3〜P29

第1章 知の宝庫「戦国」

◼️超高度成長期「戦国時代」

・世界に類がないほど平和の歴史を持つ日本に15世紀末から16世紀の最後に至るまで、慢性的な戦乱が起こっていた
この時代の大いなる文明的進歩と経済成長とを正しく理解すれば、この進歩と成長のあとで日本が再び停滞と拘束とに逆戻りする理由は何かに到達する
・明治維新以来の進歩と成長の後に停滞と拘束の中に陥れないための研究テーマを与えてくれる
・最も分かりにくいと言われる応仁の乱から戦国時代は始まったされる、ここで重要なのは、この大乱の結果、足利幕府の統治が終焉したと言う事実。これは時の政権が倒れたという枠でなく、中世的統治機構そのものの崩壊であった
・当時全国各地の農村には新興の土着勢力が興り管領と守護の実権を蚕食しており、宮廷貴族化した高級武家は地方の領地を有効に支配する機能と活力を失いつつあった
・江戸幕府末期にたった四隻の黒船と600人のアメリカ水兵の出現で根底が揺らぐ徳川幕藩体制と似た状態だった
室町、江戸幕府の決定的な違いは強固な統一統治政権ができたか否かの点
室町幕府の瓦解とともに出現した戦国大名には大きく3種類がある
①土着化した旧貴族
②主家乗っ取り型の簒奪者
③原始的蓄積から始めて大型化した豪族
(零細企業を大発展させたオーナーのイメージであり、天下争覇の決戦に進むのはたいていこのタイプ)
・戦国時代の中期と後期の分け目は明確でないが1550年代に旧体制な残滓が消滅しており、一つの変換点といえる(畿内の細川晴元、中国の大内義隆、関東の上杉憲政、駿河の今川義元)
・旧体制の破壊から群小勢力の抗争と淘汰、糾合、勝ち残ったもの同士の決勝トーナメントと歴史が進行する背景には技術と産業、経済の文化の広範かつ急激な進歩がある
・15世紀中頃から日本の技術は遣明船や倭寇が持ち帰った明、高麗の新技術が日本人に消化され始める

この時期に農業の発展が生じる、農耕具・耕作方法が改良され収穫が増大し人口が増えた。この時期に新技術の採用に取り組んだのは各地の豪族であり、得た経済的余裕で郎党を養い、妻妾を増やし子女を多く作ることで近隣農民に対する支配力を強化した

次に鉱工業の発展、15世紀末から16世紀初めにかけての鉄製品の普及は急速だった
・商業も著しく発展した。特に注目することは国内流通より外国貿易の面で先行していたこと
・1520年代に本格的な技術進歩と経済成長の大波が盛り上がり鉄製農具によって固い土地を耕すことができ米、麦の二毛作が広がった(治水、灌漑も)
・この時期最も成長したのが工業であり特に金属工業で世界最大の鉄砲生産国になっていた
16世紀は大正・昭和初期の重工業勃興期、そしてその後半は太平洋戦争以後と同じような高度成長時代であったと理解できる

・16世紀は余剰農産物と工業製品の急増で、流通市場に出される物品の種類と量が飛躍的に増大し、当時保守派であった商人の取り扱いキャパを超えた
・結果座に属さないもぐりの商人が増えた
・当然正規の商人はもぐりの弾圧を進めるが商品流通を円滑にする上で不可欠な存在になっていった
・ここに織田信長が座に属さない者も何を取り扱っても良いという楽市楽座の制度を制定した
信長は商業の発展だけでなく、座からの特許収入で僧兵を養う寺社の財源を断とうという軍事的な狙いもあった

・産業経済各面に渡る急速な発展の背後には、組織原理の近代化た管理技術(特に経理技術)の改革がある
信長は美濃を制圧する頃から、工兵と輜重兵(武器、食糧を輸送する兵)を独立させ部隊の機動性を高めた
さらに信長は、主計将校団の創設(主計:総務、経理、兵糧などを管理する部門、将校:兵を管理するポジション)
・主計将校団の独立の背景には簿記経理の進歩があった
・16世紀以前の日本は通貨や長さ、重さの単位がバラバラだったが、信長は度量衡の統一を図り尺、升、秤を統一し貨幣の統一も進め数量的把握の基礎を著しく高めた
・16世紀にこれほどの成長を経たにもかかわらず日本が真の近代化を果たせず、再び停滞と拘束の封建時代に逆戻りしたのはなぜか

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P33〜P67

◼️戦国時代の雑草的バイタリティー

・この世の中の人間にも作物的、雑草的なタイプがある
・作物的とは、有力な親などによって育ちやすく耕された環境に育つ既成体制の中でぬくぬくと育つタイプ(エリート、エスタブリッシュ)
・雑草的とは、自分の力で育ち実らないといけない
・欧米では作物タイプになるには三世代以上に続く名門でなくてはならないが日本はそこまでエスプリッシュが厳格ではない(厳しい入試試験システムの影響)
雑草的人間が栄える条件
①新しい産業、文化が急速に拡大しているとき(明治後半から大正期、戦後の高度成長期など)
②耕作者、体制が崩れた乱世(幕末維新の変革期、敗戦直後の混乱期など)

織田信長は商工業という異分子を持ち込むことで農本社会を揺さぶったばかりでなく、商工業の中でも旧体制を打破して雑草たちを連れ込んだ
・1980年代に雑草が最も伸びる分野は、体制が未整備な新分野である「ソフトウェア」(※本書執筆時に言い当てている!)
・豊富低廉な資源エネルギーの大量使用によって高度成長を続けてきた日本経済は、資源エネルギーの使用量を増やさず価値を高めるソフトによってこそ行われる

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P68〜P90

◼️織田信長

・信長はその時代の常識、通説、既成の慣習、制度の全てから自由でありむしろ誰もが信じる通説を疑った
・信長のような柔軟さと聡明さを備えた人間はいつの時代も一定の割合でいるが、それを行動として実行することは難しい
既成概念にとらわれない信長が多くの部下を納得させたのは、既成概念に代わる明確な尺度を示したこと
・信長は目的に沿っているか否かを唯一の判断基準とし、人間を機能的に見た。ゆえに信長の人間評価は自己目的の完遂に役立つ部分しか入ってこない
世界史上の英傑(ジンギスカンや太祖など)は偉大な生産者であり、賢明な廃棄物処理者であり、冷酷な調整者だった。これと比較して信長は新しいもの供給という1/3の仕事だけとも言える
・だか信長の人気が未だに高いのは、この1/3の面こそ日本人に欠けた部分だからである

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P91〜P116

第2章 日本史に学ぶ組織と人間学

◼️不正出の補佐役 豊臣秀長

・日本には真の意味での女房役は非常に少ない
・組織のナンバー2な多くは次期ナンバー1であるのに対し女房役は主人の補佐に徹する(真の女房役は次のトップを決して望んではならない) 
・女房役の条件は
①客観的にも主観的にもNo.1の可能性をもっていないNo.2
②自分の名でものごとをしない
③ある段階まで進めたら、最後のツメはNo.1に譲る
④みんなが手柄を立てたがるときに陰に回れる
(秀長の場合、検地など行政→石田三成や増田長盛、戦争では加藤清正、福島正則を表に立てる)
女房役はWhatでなくHowに徹する(トップが戦争すると言えば、どうやって勝つかだけを考える)
・日本人は世俗的に成功した人でなく世俗的にどこか不運な影を持つ人を英雄視する

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P119〜143

◼️組織人としての「知謀の人」

現代的な組織の基本形ができるまでに組織史には三つの革命があった
①秦の始皇帝
・始皇帝の始めた郡県制という国家統治制度は画期的飛躍をもたらす
・各地の名主がその土地を支配するのではなく、中央から派遣する知事や司令官によって統治させた
・地方の世襲制から中央からの任命制にし任期が過ぎれば異動させる仕組みを作り、ポストを個人から分離した
②アラブのイスラム騎士団 
・事務長と技師長の分離(所掌分担でなく機能分業
③プロイセンの参謀本部
・参謀(作戦や戦略を立てる役割)の生みの親はグスタフゾーン
参謀(スタッフ)の仕事は何をするか(What)でなくいかにやるか(How)を決めること

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P144〜P167

◼️切れ物の人間学

・関ヶ原の戦いで、東軍に立ち向かうべく奔走した石田三成だったが、戦いの大義名分など虚構と化し、恐怖心が勝る時に人は本当の行動を取る(周りの裏切り)ということはいつの時代もおなし

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P168〜116

第3章 中国史 万古不変の知恵

◼️世界帝国を築いた3つの発想

・モンゴル帝国は世界史上最大の版図を持ち、その支流は19世紀まで各地に残存した
・モンゴル帝国出現以前は中央アジアに小国が乱立・興亡を繰り返していたため東西の交通が阻害されていた
モンゴル帝国以前の大征服は
①アレキサンダーによる大遠征による、ギリシャ・ペルシャ・北インド文化の交流によるガンダーラ文化の誕生
②秦漢帝国の統一による中央アジア・西域への交通路の確保
①と②が合流しシルクロードができた
モンゴル帝国によってそれまでとは比較にならないくらい東西間の移動は容易になった
・モンゴルは突如として年貢に依存しない大帝国として出現し長期間維持された
・モンゴルは宋の中央集権的な性格を踏襲し遊牧民の移動性も重視した
モンゴル帝国が最も重視したのが農耕地域からの略奪でも遊牧地の確保でもなく、隊商(商品を運ぶ商人など)の安全性を確保するための商業ルートの支配だった
・モンゴルは物量戦と機動戦を軍事戦術に持ち込んだ、この物量と機動力は相反する関係にあり、物量を増やせば機動力は落ちる
・ジンギスカンは輜重隊を攻撃範囲内に配置し騎兵の機動力を維持させることで機動力と物量のトレードオフを見事に解決した
・他にもジンギスカンの画期的発想は3つ(世界大帝国を築いた3つの発想)ある
①大量報復:占領後も最小限のモンゴル人しか現地に残さないが、誰かに少しでも被害があれば完全報復することを徹底し、その恐怖心から反乱を抑えた
②秘密警察:用意周到な情報収集
③信仰の自由:政教分離を徹底した

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P197〜P223

◼️勝てる組織とは

・ジンギスカンが率いた元国から考えると勝てる組織とは「明確な目的を持ち、構成員がそれを揺るぎなく信じている組織」と言える
・ある組織が明確な単一の目的を揺るぎなく信じるためには、まずリーダーがその目的を心底から誇りを持って信じていなければならない
・その組織の構成員が揺るぎなく信じるための最大の障壁は既成の権威と常識的な概念
勝てる組織のリーダーは既成概念=既成の権威を取り除いて新しいことを考えたり提案したり実行しやすい雰囲気を作り、有能な人材が頭角を現し腕を振いやすい環境を作ることが重要
・ジンギスカン、織田信長、松下幸之助のような天才的なリーダーの存在がいなければ組織論が成り立たないとなれば、それは人物論になってしまう。組織論とは「人材に頼らず組織を強化する学問」

歴史からの発想
停滞と拘束からいかに脱するか
ISBN978-4-532-19216-7
P224〜P247

<所感>

私が歴史が好きな理由は

①(大人になってからテスト関係なく学ぶと)歴史は点と線の関係が必ずある
②自国、他国の文化を知るきっかけとなる
③当時の偉人たちの功績は人としてヒントになる

の大きく3つです。
この本はだいぶ前に読んだ本ですが、歴史の事実を繋げるだけでなく、なぜそうした事実が発生したのかを考えるきっかけとなった本でした。

戦国時代を皮切りに、最後の勝てる組織まで一気に繋がっていく感覚は読んでいて爽快でした。


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