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読書履歴#17_日本語はおもしろい

読書期間 2022年6月13日~6月17日

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文字数:約5,200

はじめに

読書履歴はただひたすら読んだ本をまとめていますが、歴史系だったり、キャリア系だったり自分の趣味が出ているな、と感じています。

今回は日本人感や民度という新しい切り口で本を紹介したいと思います。
前職では海外の方と仕事することも多く、日本人としてのアイデンティティを理解して説明できるようになりたいと思ったのがきっかけです。

まずは「日本語」に焦点を当ててみます。

あくまで私見ですが、最近子供にかなり早くから英語を教える親が増えています。私の娘と息子の周りにも多いです。

私は

「英語ができる前にまず日本語喋れないと無理」

と思っています。
というのも、どんなに勉強しても英語が上手くならない人をたくさん見てきましたが

圧倒的に日本語が下手

と言う共通点があります。あと英語は後からでも勉強すれば読める、喋れるということです。

私は英語が苦手でしたが、海外で仕事をする機会があり20代後半から猛勉強し、ネイティブではないですが十分仕事できるレベルになりました。(TOEIC 255→400→525→600→700→855とほぼ全てのスコアレンジを経験しています笑)

同じくプログラミングもやたら早く教える人が多いなと感じています。

プログラミングこそ、ほんとにいつから勉強してもできます!

大学院から独学でプログラミングの勉強をして、自分でシミュレーションソフトを作れました。

英語もプログラミングも自慢してるわけではなく「自分が出来なくて苦しんだ劣等感」を経験させたくない親の気持ちはよく分かりますが、子供にあんまり早く色々教えなくても良いんじゃないかな?ってのが持論です。
※子供がやりたい!というなら別ですが。

かなり前置きが長くなってしまいましたが、早速日本語の特異性、面白さを深ぼっていきます。
文字数:約

参考図書

第一章 日本語は誤解されている

・日本は一度も中国の直接支配下に入らず、国内には中国人もほとんどいなかった。漢字は日本から隋唐に渡った少数の役人や学者、留学僧が苦労して学んで日本に帰ってきた
中国語を全く知らない人に教える必要があったため漢字を一つ一つ書いて読んで、日本語で説明をした結果音読み訓読みという二重読みが生まれた
・音読み訓読みが存在する日本漢字の二重音声化現象は学習者に余計な負担を強いると言う好ましくない結果を確かに生んだ
・一方で難しい専門的な内容の日本の漢字語の持つ特徴は、書いた文字を見れば多くの場合それが何を意味するのかの見当がつくということ(例:猿人)
・英語で猿人はpithecanthropeというが、これを知ってるのは日本人に限らずアメリカやイギリスでも少ない
・英語では専門用語のような高級語彙のほとんどは一般人には意味が伝わらないため、新聞や雑誌などインテリを念頭に置いた高級紙と一般紙とがはっきり分かれている
日本の場合は全ての国民を対象とする全国紙がいくつもあるが、日本語が社会の上下を区別する必要のない言語だからであり、その理由は漢字という古典外来要素に訓読みという一種の意味上の注釈が用意されていることにある
・全てに良い面と悪い面があり、漢字の音訓二重読みに困った点があることも事実だが、英語などに見られない日本語の均一大衆化を助けているのもまた事実

◼️ラジオ型とテレビ型言語
・ラジオ型とは音声だけで十分伝達できる音の中に全ての情報が含まれている言語、文字がなくても伝達に問題がない
・テレビ型は文字表記(漢字)の映像も加わっている複合体
日本語は彗星や水星、化学や科学のように似たような意味の同音語が多くある珍しい言語
日本人はある言葉を聞いた時にほとんど無意識に字を思い浮かべる
・日本語は表意文字の漢字と表音文字の仮名を混用している
同音語が多い理由は日本語の音韻組織が古代中国に比べて簡単なため元々別の音を持っていた沢山の漢字が同じ発音になってしまったこと
・また日本人は同音語を排除するよりも、意図的に作っていることも多い(言葉遊び)
・英語、ドイツ語、フランス語には音韻の総数が45、39、36もあり、日本語はわずか23しかないため音声から見た日本語の言語としての最大の弱点
・短くて使いやすい言葉があれば効率よく会話できるが、日本語は音韻と音韻の組み合わせが限られているため、短くて使いやすい一音節語の数が少ない
・日本語は音節を子音で終わる事ができない、さらに言葉の始まりに子音を重ねる事ができない。このためstrengthsはストレングススと英語は一音節に対して日本語は七音節とやたら長くなる
日本語は音節の変化多様性が乏しいため言葉が長ったらしくなりがちな弱点を補っているのが視覚に訴える文字

日本語教のすすめ
ISBN978-4-10-610333-9
P10〜P62

第二章 言語が違えば文化も変わる

・虹の色が日本では七色、欧米では六色、太陽の色が日本では赤、アメリカでは黄色など、色の使い方に各国違いがある
・色彩語には、直接色について議論する場合と何かと対比して色を用いる方法(弁別法)とがある
・アメリカ人の同性への意識、日本の乳房への考え方の欧米化、イギリスには靴べらがなく裸足が恥ずかしいなど文化に応じて当たり前が異なる
これを最低限の知識として知っておくためにも文化人類学の復権が必要

日本語教のすすめ
ISBN978-4-10-610333-9
P64〜P118

第三章 言葉に秘められた奥深い世界

・天狗の鼻が長いでなく高いと表現されるのは、高いという言葉に尊敬の意味を持つことと、何より日本人にとって鼻はその人の特徴を示す上で重要なパーツであるから
・海外ではむしろ鼻は猥褻なイメージがあり、アゴで表現する事が多い
小さな文化の違いだが異文化理解が決して簡単ではないと理解できる

・形容詞とは事物の性質・状態を表す自立語であるが、「近い、遠い」「狭い、広い」「大きい、小さい」などはそのものの性質を表していない
・ある人にとっては近いし、狭いし、小さいが別の人には遠くて、広くて、大きくもなる
・例えば大きいリンゴを考える時、人の頭の中には標準的なリンゴの大きさがあり、それと比較してリンゴとしては大きいと言っている
→形容詞の中身は何か?と考えると奥深い世界が垣間見える
英語のtallは高さに対して幅が狭いとき、highは高さに対して幅があるときに使われる
冷たいと寒いも違うことは分かるが何が違うかの説明は意外と難しい(冷たい:体の表面が一時的に温度の低いものに触れたときに感じる感覚、寒い:冷たさが長い間感じ続けた結果として生まれる不快な内部感覚)
何気なく使っている形容詞を意識的に分析してみると、かなり面倒な規則や細かい違いを含んでいる

日本語教のすすめ
ISBN978-4-10-610333-9
P120〜P156

第四章 日本語に人称代名詞は存在しない

◼️家族内での呼び方(対象詞)
①親族用語が使える場合
相手が目上の親族には、その人を親族用語で呼ぶ(子供がお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟にお兄さん、お姉さんと呼ぶ)
反対に目下の親族には親族用語は使えない(親が子供に息子、兄が弟とは呼ばない)
②名前で呼ぶ事ができる場合
・目上の親族には名前で呼べない
・反対に目下の人には名前で呼べる
③人称代名詞が使える場合
目上の親族にはあなた、君、お前のように人称代名詞は使えない
目下の親族には人称代名詞が使える
①、②、③から目上の人には親族用語でしか呼べない
◼️相手に対して自分を表す言葉(自称詞)
①親族用語で自分を指すとき
・目上の人には親族用語で自分を表すことはできない
・目上の人は目下の人に、自分を相手からみた親族用語で称することができる
②名前で自分を指すとき
・年下の人に対して自分のことを名前で称することはできない
・年下の人が年長者と話すときは名前で称することができる(名前による自称は男は小さいうちに限られている、女は幅広い年齢層にみられる)
③人称代名詞を使うとき
・一人称代名詞として私、僕、俺などあるが、僕と俺は男が使うなどスタイルの差がある
誰のことかわかるときは省略される事がほとんどで、日本人は自分を指す言葉をあまり使わない傾向がある

家族内での相手が目上か目下かで自称詞と対象詞を使い分ける言語習慣が社会的な場面にも見られる
会社では目上の人には、部長、課長など役職で呼ぶことが多い(さん付けで呼ぶ会社も増えているが家族内で歳の近い親密な関係のある姉妹などで名前で呼び合うのと同じ)
・目上の人が目下の人を名前+さんやくんで呼べるので、家族内で目下の人に対して名前や人称代名詞で呼べる
上下親疎に関係のない自由な言葉のやりとりが十分発達しておらず開かれた近代社会の要求には対応しきれていないと言える

◼️日本語の人称代名詞
・日本語は西洋と比較して人称代名詞の数が多いと言われるがむしろ存在しない
・会話には必ず話し手と聞き手の二人が必要で、その時の相手との関係をどのような角度から眺めてどう表現するのかの仕方が言語によって全く異なる
・どの言語も昔から一人称(言葉の発信者)、二人称(受信者)、三人称(それ以外)を含む人称代名詞という特殊でまとまったグループの用語がある
一人称二人称代名詞はなくても特に困らないので、動詞の語尾変化で人称を表せるラテン語やスペイン語などは特に強調する場合以外は人称代名詞を使わない。そして日本語のような言語は人称代名詞がそもそも存在しない
日本語の場合は一人称代名詞の代わりに親族名称が多用される
・社会的な場合でも職業名(お医者さん、お巡りさんなど)や役職名を使い人称代名詞は使わないことが多い
欧米の一人称と二人称の関係がボールと互いに打ち合うテニスのようなもので、日本語は壁を介して相手とやり取りするスカッシュに例えることができる(日本語は二人称としての相手ではなく他者=三人称)
日本語はどちらかと言うと独り言の性質を持っているといえる、このことが日本人が議論が下手と言われることと無関係でないと考える

日本語教のすすめ
ISBN978-4-10-610333-9
P158〜P212

第五章 日本語に対する考え方を改めよう

・混んだ電車から降りる時に「降ります」といえる人は意外に少なく黙って押しでる人が日本には多い
言葉を使って他人をこちらが望むように動かすことを他動機能と呼ぶが、日本人の言語行動はこの言葉の使い方が弱い
・この態度が国際社会とのコミニュケーションでは謙虚で、言葉を他者を制御しながら国を守る伝統が欠如している
・これは日本が海に囲われた島国であり、地政学的に見て平和な期間が長かったことに起因している
・日本の外国語教育は、その外国語をまるで死語のように見做して学んできた相手不在の一方的な学習であり、それが可能だったのは日本の地政学的な長期に渡る国際的な孤立状況だった
アメリカの外国語への学習は覇権に挑戦する国に対し、その国をよく知って叩き潰す目的で重点的に学ばれる。それを学んで自国の良くないところを直そうとする内向き視点はほとんど欠如している
中国の外国語の学習は、中国の良さ、考え方を外国に広め相手を威圧し自国の良さの対外宣伝、外国人の啓蒙に置かれている
日本の場合は相手国をどうこうしようということは全く念頭になく、むしろ遅れた日本の国内を発展させるといった内向きのベクトルで学ばれている
・世界の多くの国の人にとって日本は暗号で書かれた分厚い本のようなもので、面白そうだが日本語が分からなければ解読できない

日本語教のすすめ
ISBN978-4-10-610333-9
P214〜P240

<所感>

普段当たり前に使っている日本語ですが、同音語の多さ、形容詞の不思議、家族間での呼び方など言われてみれば確かに。と思う内容で日本語って面白いなと素直に思いました。

漢字に訓読みを作ったのは本当に偉大なる発明だと思っています。

山もサンではなく「やま」と読むことが多いですが、これは漢字が入ってくる昔から和語ではやまと言っていたことの証です。
訓読みがないものは、漢字が入ってきた時には日本になかったモノ・概念だとも言えます。

日本語に目を向けて普段の言葉一つひとつに目を転じると色んな発見があり、楽しくなります。

最後の章に日本語教のすすめというセクションがあります。そこには筆者の日本はもっと自国文化・言語に自信を持って発信すべき。という強い想いが記されています。
一文一文に重みと説得力のある内容ですので、ここではまとめませんでした。
是非ご興味のある方は手に取ってみてください。



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